『北関大捷碑』。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、義兵たちが日本軍を撃退した戦功を記念して、現在の北朝鮮咸鏡北道に建てられたものと言われ、現在は靖国神社に設置されている。



『北関大捷碑』といえば『略奪された』『奪われた』という枕詞と共に、その返還を要求する報道が、度々なされてきた。

覚えている限り、2003年9月18日の日本植民時代に強奪された「北関大捷碑」靖国の森に放置という記事が、大々的に報じられた最初であろう。

この記事を書いたのは、一部で大人気であり「伝説記者」の称号を得たオデヨン特派員であり、この捏造記事によりzeong氏の追求を受けたのは、記憶に新しい。
有る意味で、NAVER総督府と呼ばれる活動の原型であろう。
話が逸れた。

この『北関大捷碑』返還に尽力している日韓佛教福祉協会によれば、1998年12月には靖国神社に対して返還要請を行っているようである。
ちなみに柿沼洗心会長のページの下の方にある、今は韓国に贈られた安重根の遺墨が、2月28日のエントリーで取り上げた遺墨と同一であるのは、単なる偶然であって思慮に基づくものではない。(笑)

再び話が逸れたが、2003年9月18日以降も『略奪された』『強奪された』という記事は数多い。

日帝に奪われた「壬辰倭乱戦勝碑」返還へ向け、韓国政府は積極的に活動せよ
日本に略奪された「北関大捷碑」が返還へ


この略奪されたとは、何の話であろうか?
アジア歴史資料センターには、現在『北関大捷碑』の来歴に関する史料が二つある。
「北韓大捷の碑文送達の件」(レファレンスコード:C03026802400)と、「加藤清正征韓紀念碑下付出願の件」(レファレンスコード:C03026852200)である。
「加藤清正征韓紀念碑下付出願の件」によれば、

建設者ノ子孫ニ諮リテ其承諾ヲ得今回還送シ来リタルモノ【画像】

である。

上記史料の信憑性を問う声ならば、あってしかるべしであろう。
しかしながら、略奪した、あるいは略奪されたとする史資料は皆無である。
何を以て「略奪」としているのか、韓国側は明確にして欲しい。
そして、共立女子大学国際文化学部の北島万次教授は、何の根拠を以て「略奪」の認定をしているのか、明らかにするべきであろう。
何の根拠も無いのであれば、李泰鎮教授と何等変わるところがない。

また、現在の捏造あるいは誤解に基づく記事が、韓国国内に広く頒布されている現状、このまま返還を行えば、

1.日韓基本条約を逸脱し、国内にある半島系文化財を恣意的に略奪品認定される危険性が高まる。
2.日露戦争で掠奪行為を行った事を靖国神社が認めた事になる。
という話が、さらに頒布されることが予想される。


勿論、「渡すな」と言っているのではない。
略奪を意味する史資料は皆無であり、一方で建設者の子孫の承諾を得て日本に送った史料が存在することを明確にし、且つ日本の善意から贈る事が伝わらなければ、誤解を受けたままであろうと言っているのである。

この後、韓国側が外務省を説得し、外務省が靖国神社を説得するという経緯になるであろう。
あるいは、民間施設の所有物であるということで、外務省は係わらないかも知れない。

いずれにしても、無意味な譲歩を行うべきではないし、それによって日韓友好が訪れるなどという考えは、妄想であろう。



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