「アリラン」は大韓帝国期の抵抗歌?

7月11日のエントリーで述べたとおり、アリランには無数に替え歌が存在するのだが・・・。

仁川・済物浦(ジェムルポ)の暮らし向きは良いが、倭人にしつこくたかられて、やってられない。
嗚呼、しつこくてたまらない。
お前と2人きりで暮らすなんて、嫌だ 嫌だ。
アララン アララン アラリーヨ、アララン アオールソン


前後の歌詞、全然意味通じてないなぁ。(笑)
ま、その新聞記事を確認する必要はあるだろうね。


さて、それでは本題。
李氏朝鮮、或いは大韓帝国、そして日本統治下の歴史を研究する際、避けて通れないのがキリスト教である。
半島に初めてキリスト教宣教師が足を踏み入れたのは、朝鮮出兵の際小西行長の元に赴いた、イエズス会のスペイン人神父グレゴリオ・デ・ゼスペデス(Gregorio de Cespedes)であると言われている。
その後カトリックの宣教と丙寅教獄に代表される数度の弾圧を経て、開国後には、特に長老派(プレスビテリアン)とメソジスト派を中心としたプロテスタント諸派の宣教師達が送り込まれてくるのである。

「宗教」自体については疎いため、あまり深く突っ込まず、又朝鮮におけるキリスト教史を書くつもりは無いので、この程度の紹介に留めておこう。
まして今回紹介する史料は、「宗教」的な話はほとんど関係ないし。(笑)

ということで、丸山警務顧問から伊藤博文への1906年(明治39年)5月9日付『顧秘第350号』より。


耶蘇教布教弊害に関し、公州支部より報告せし要領、左の如し。

路傍又は山上峠にある樹木の下に石を積み之を崇拜するは、韓人の迷信と称すべきも、一面に於て樹木の保存に関し、或は夏期旅行者の慰藉となり、或は道路上の風致を為す等の利益あるに拘らず、昨年来往々之を伐採する者あり。
耶蘇教徒の所為なることを聞知し、教徒一名を警務署に召喚し取調の結果、教師の教へなりとの証言に依り、教師たる韓人申明均を召喚し取調ぶるに、斯る教唆を為したる事なしと断言し、且つ教師たる身分上、官庁に召喚せらるる義務なしとて不服を盟へ、恰も教師たる身分は不可侵権を有するものの如く思惟し居るを以て、懇々説諭を加へ放還し置きたり。
然るに、巷間の風説及教徒の証言に依り伐木の事実に徴すれば、彼れの教唆に出たる事疑なきが如し。
又独り耶蘇教に限らざるも、元来彼等輩が教徒を勧誘する手段を見るに、教徒たれば生命財産の保護を与ふべし(逮捕免れしめ、訴訟に勝たしむる等の類多し)と唱へ、官憲を無視したる言動を以て愚民を誘惑し、其罪悪を隠蔽せんとするもの、若くは遂行せんとする徒輩を集めて教徒たらしむ。
而して、之れが直接の教師は到底教誨の任に堪へざる如上輩の韓人なるを以て、却て民を不順に馴致しつつあるが如し。
之等は、施政上の妨害甚だしきものと認めらる。



んー、「教師たる身分は不可侵権を有するものの如く思惟し居る」か・・・。
新興宗教の教祖じゃあるまいし、馬鹿丸出しですな。
つうか、しょっ引いちゃえよ。(笑)
まぁ、本当に逮捕すれば恐らく「不当な逮捕だ!」と騒ぐわけで、本当に度し難いですな。

5月12日のエントリーで取り上げた二重国籍の話と、根底に通じるものがあるかも知れない。
それとも真剣に、教師は神聖不可侵だとでも思っていたのかも知れない。

どちらにしろ、この史料の一件を「耶蘇教布教弊害」と報告した公州支部には一言言いたい。

キリスト教の布教、全然関係ありませんから!(笑)