「日本の伊藤内閣、明成皇后殺害に介入」

1895年の明成皇后殺害に、日本の総理大臣伊藤博文や閣僚が関わっていたことを裏付ける史料が日本の国会図書館・憲政資料室で発見された。
明成皇后殺害事件は8日に110年目を迎える。

ドキュメンタリー監督の鄭秀雄(チョン・スウン)さんは5日、芳川顯正司法大臣が1895年6月、陸奥宗光外務大臣宛てに送った手紙を公開した。

この手紙には芳川と井上公使の間で交わされた話が書かれており、芳川は帰任を控えている井上に「(伊藤総理に)弥縫(びほう)策はきっぱり放棄し、『決行の方針』を採択するよう強く勧めよ」といった内容を話している。

日本は事件直後から現在まで一貫して日本政府の介入を否認しており、韓国の学会からは当時の駐韓公使三浦梧樓の単独犯罪説、井上馨元駐韓公使主導説などが出ていた。

そのため、当時日本の最高指導者だった伊藤を含む閣僚の介入を暗示する今回の史料は今後議論を呼びそうだ。芳川は手紙に「(井上の)心の中を探ったところ、反対していないようなので、こちらの希望通り動きそうだ」と書いている。

李泰鎭(イ・テジン)ソウル大学教授は5日、この手紙について「司法大臣と外務大臣が手紙でこのような問題に触れていることから、内閣レベルで明成皇后の殺害について話し合っていたものとみられる」とし、「伊藤の殺害事件への介入を裏付ける資料はほとんどないため、かなり注目に値する」と述べた。

明成皇后殺害事件を追跡してきた崔文衡(チェ・ムンヒョン)漢陽(ハニャン)大学名誉教授は、「伊藤の明成皇后殺害事件への介入を明確に暗示する資料だ」と語った。

日本近代史研究者の小松裕熊本大学教授は、この手紙について「『弥縫策』は朝鮮政府を貸与金で懐柔しようとする井上の方針を意味するものと思われる」とし、「『決行の方針』は武断的手段での解決を示唆するものとみられる」と分析した。

この手紙が書かれた翌日の1895年7月、陸軍中将出身の三浦が井上の後任として駐韓公使に任命された。井上は同年9月1日、三浦が赴任してから17日間公使館に泊まり、事件の20日前に帰国した。



「明成皇后、日本からの賄賂を拒否した」

明成皇后が1895年日本によって殺害される直前に、日本から「賄賂」の提供を提案されたものの、断固として拒んでいたことが明らかになった。

また、三浦梧樓駐韓公使が明成皇后殺害事件につけた、作戦名「狐狩り」が朴泳孝(パク・ヨンヒョ)から由来したとみられる資料も5日公開された。

同資料は明成皇后殺害事件関連ドキュメンタリーを製作している鄭秀雄(チョン・スウン)プロデューサーが日本国会図書館・憲政資料室で手に入れたもの。

当時日本の内相だった野村靖が1895年8月2日付で井上公使に送った手紙によると、韓国赴任を控えていた三浦公使が当時、明成皇后殺害事件に介入して日本に亡命した朴泳孝に会い、その日話を交わした。
野村内相は三浦から聞いた内容を伝え、「朴泳孝から聞いた話だ。早めに朝鮮で井上公使と秘密相談したが、朝鮮政府に提供する貸与金300万円のうち、一部は閔妃に渡す予定だという。ある日、それを王妃に話したら、王妃は手を振り切って『受け取らない。恐ろしい、恐ろしい』と拒んだ」と伝えた。

また、朴泳孝は三浦に「閔妃は『韓国の大きなキツネ』で万事の障害になっている」と話したと書かれている。
柳永益(ユ・ヨンイク)延世大学碩座教授は「明成皇后を朝鮮改革の足かせだと考え、『キツネ』と呼んだ可能性がある」とした。

李泰鎭(イ・テジン)ソウル大学教授は「日本は日ロ戦争を起こし、日韓議定書を締結した時も朝鮮王室に金を提供しようとしたが、王室は受け取らなかった」とし、「明成皇后が資金を拒否したことは影響力を拡大しようとする日本の思惑を見抜いてのことだと思われる」と評価した。

明成皇后殺害事件への日本政府の介入が事件発生から110年後になっても明らかになっていないのはなぜだろうか。
韓国の学者らは「日本が資料を伏せていることなどもあり、学者による利用が難しいためだ」を口を揃える。

柳永益教授は「明成皇后の殺害は日本の天皇にも報告されたはずだから、最も重要な資料は宮内部にあるようだが、日本が資料を公開していない」と述べた。

今回公開された井上と陸奥の手紙も、漢字と日本語を崩して書いた筆写本なので、漢字に詳しい専門家でなければ読むことすら容易ではない。
学界では明成皇后殺害事件の真相を究明するには、日本国会図書館など主な文書所蔵所への長期的かつ徹底した調査が欠かせないとの立場だ。

鄭秀雄プロデューサーのドキュメンタリー「110年後の追跡・明成皇后殺害事件」は殺害110年を迎える8日と9日の夜11時にKBS第1テレビで放送される。

李泰鎮教授、お久しぶりです。(笑)
今回もまた陰に隠れていらっしゃるようで、非常に残念です。
「漢字と日本語を崩して書いた筆写本なので、漢字に詳しい専門家でなければ読むことすら容易ではない」手紙を、ドキュメンタリーのプロデューサーが発見したのは、きっと突っ込んではいけないんでしょうね。

鄭秀雄氏が新発見した、日本国会図書館など主な文書所蔵所への長期的かつ徹底した調査が欠かせなかったのは、

これ



これ

ですね。
発見するのに、さぞや苦労したんでしょうなぁ。

ご丁寧に小松裕熊本大学教授のコメントまで取られていらっしゃる朝鮮日報も、素晴らしい仕事をしてますね。

小松熊本大学教授が、熊本県の教師30人余を中心に作られた「明成皇后を考える会」と関係の無い事を祈っています。

さて、肝心の中身ですが、立証も出来てないのに反論する必要を認めません。
『決行の方針』について何を決行する方針なのか、「対象」を表す史料が全く無いようですが、また「余地がある」のでしょうか?

そして、300万の借款を5年で償還する筈だったのに、借りた翌月には10ヶ年延長して欲しいと申し出てるわけですが、その300万の中から賄賂ですか?
当時の概算予算に計上されてた「王室費」に関する話では無いですよね?
調べて見たら・・・にならない事を祈ってますよ。(゚∀゚)

李泰鎮自身の発表だったら調べるだろうけど、どうしようかなぁ・・・。
まぁ、李泰鎮教授にはメールの受信拒否もされてますしねぇ。(笑)
気が向いたら、調べてみますわ。
他の事で忙しいしね。

ってことで今日は手抜き。
コメンネ。