雪、降りすぎだよ、オイ・・・。_| ̄|○
まぁ、気にしてても降り止むわけじゃあるまいし、とっとと先に進みましょうか。

前回に引き続き、アジア歴史資料センターの『1 〔明治42年〕12月7日から〔明治42年〕12月28日(伊藤公爵薨去後ニ於ケル韓国政局並ニ総理大臣李完用遭難一件)(レファレンスコード:B03050610300)』の史料をば。
まずは、山口県知事からの1909(明治42年)12月19日付『暗号電報』。 【画像】


明治大学生韓国人李豊載、高元勲の2名は、本月9日在日本留学生を代表し帰韓し、日韓非合邦論の鼓吹に努めたる趣なるが、両人は本日関釜連絡にて来関。
午前9時半下ノ関発汽車にて新橋に向く。
別紙御参照を請ふ。


大韓新聞社長李仁植は昨朝馬関に着し、直ちに今19日入京せり。
山口県知事の判断に依れば、李仁植は李完用の使命を帯ぶるものの如し。



李豊載、高元勲が為す術もなく (´・ω・`) と帰ってくる事となったのは、11月26日のエントリーで紹介済み。
で、京城を17日発予定だったわけですが、下関に到着したのが19日と。

李人稙は前回も出てきたため省略して、文中にもある別紙の方を見ていくこととしましょう。 【画像】


在本邦韓国留学生は、一進会の合邦提議を以て、祖国数百年の歴史を顧みず国民の本義を忘却し国内に騒擾を起こさんとするものとし、過日来各所に集合して協議する所あり。
其の結果、独立権回復は現時の状態としては到底為し得る所にあらざるも、之が念慮は一日も忘る可からず。
然れども、今日統監政治に支配せらるるは巳むを得ざるものとして、一部国民を除く外は之に服従し日本の啓発誘導を受けつつあり。
一進会は今日迄、故伊藤公の指導を受けて各方面に活動し、国民の開化するを努めありたるを以て、同会の行動には窃かに賛同しつつありしも、今回突然合邦問題を唱導させるは祖国を売らんとするものなれば、国民の義務として当然看過す可きにあらずとて、去る6日、麹町区富士見町大韓興文舎に留学生評議会を開き、更に去る8日を以て学生全体の会議を開き、留学生中より委員を帰国せしめ、全国の同志者に対し一進会は勿論、其の他の合邦問題を賛同する団体に反対すべき檄文を配布し、且つ京城其の他に於て発刊する新聞雑誌に、合邦反対を唱導せしむる事を満場一致にて決議し、尚今後日本政府も合邦意見に傾き居るかを視察したる上、其傾向あるに於ては韓国民は之を列国に訴へ、飽迄反対の態度を取らざる可からずとて、取敢ず学生中の先輩者李豊載、高元勲の両名を撰定し、9日午後9時を以て先発帰国せしめたり。
而して右両名は、一進会を解散せしむるか、或は一進会の後援者として本問題を惹起したる内田良平其の他数名を退韓せしめざれば、再び渡来せずせずと誓ひたる由。
尚、統監府が興文舎代表者の運動を抑制するの手段を取ることあらば、一電の下に数名の学生は帰国し之が声援を■へ、益々合邦反対の国論を喚起し、場合に依りては在京学生は挙って帰国すべしと提言し居れり。
彼等学生団は、去る13日錦輝館に開きたる対韓同志会演説会の弁士が合邦論を唱へたるに対して、臨監警官が之を制止せざりしは祖国を侮辱したるものとし、之が状況を逐一筆記し、故国の先輩元老に宛て郵送したりと。
又、学生中には、当日一進会長李容九より河野廣中に宛て、言訳的の電報を送りたることに付深く憤激し、今日の如き問題を惹起したるは李容九、宋秉畯両名なるを以て、此の両人に天誅を加ふるの外なしと決心せる者数名あり。
一両日前深夜、興文舎に宛てて李豊載、高元勲両名より、統監府が代表者の運動に圧迫を加へ居りと通知し来りたるより、此の上は再び会合し、非常手段を講ずるの外なしと何れも決心し居り、諸学校も年末の休暇となるを以て此の際を利用し、何れも帰国して演説其の他の方法を以て、飽迄一進会の解散を迫ることに衆議一決し居りと云ふ。



11月25日11月26日12月8日前回と伝えて来た留学生等の動向の纏め+αという感じですな。

で、相変わらず「代表者の運動に圧迫を加へ居り」と自分の事しか報告しない。
これだと恰も李豊載と高元勲の運動だけが圧迫されてるかの如き印象を与えるわけで。
一進会も含めて、「騒擾になりそうな事は全部」だっつうの。

さて、アジ歴の史料はこの辺にしておいて、統監府の史料に戻りましょう。
やっと20日付けの史料に入っていけます。(笑)
まずは、大垣丈夫の言動に関して、1909(明治42年)12月20日付『警秘第4417号の1』より。


大垣丈夫は頃日、訪客に対し左の如く語れりと云ふ。

一.12月8日菊池謙譲方に於て、自分を始め内田良平、国民通信員熊谷直亮、報知通信員武田章爾、京城通信宇都宮高三郎、日韓電通井上藤三郎、朝鮮日々今井唯雄、大阪毎日通信員楢崎観一、帝国新聞鄭雲復、朝鮮新聞小幡虎太郎等会合し、時局問題に関し互に意志の疏通を計らんことを協議したり。



菊池謙譲宅に集合したのは11月14日のエントリー『憲機第2380号』のとおり12月7日なのだが、まぁ10日以上経っており、多少間違うのも仕方あるまい。
で、報知通信員武田章爾・大阪毎日通信員楢崎観一・帝国新聞鄭雲復が増え、時事新聞の橫尾新一郎・時事新報の久田日宇が減っている訳だが、どちらが正しいかは不明。
まさか、7日も8日も菊池謙譲宅で会合した、って事は無いよなぁ。
もしかして、12月2日のエントリーでの10日の会合なんかも混同してる?


二.余は内田良平に対し、左の2條件を承諾せしめたる後、大韓協会をして合邦問題に対し尚早論を提唱せしめ、絶対的反対意志を声明せしめざりしものなり。
(一) 一進会の中心を京城に置くこと。(目下の如く中心を東京に置き之を操縦するは韓国の事情を審にせざる為め、往々不適当の行動を為し、事を謀るの虞あるが故なり)
(二) 国論を喚起するに付ては、大韓協会をして其の衝に当らしむるの方針を採ること。(一進会は全国民に嫌忌せられ輿望を失したるを以て、表面に立って行動せんとすれば反対者多きが為めなり)



この2条件、11月14日のエントリー『憲機第2365号』で菊池謙譲が内田良平に言った事とされている内容と同一だなぁ。
菊池謙譲が仲介するに当たって、大垣丈夫の条件を承諾させて正式会談って流れなのかな?


三.現内閣が、大韓協会に向って公然援助を求め来る時は、左の2條件を要求すべき計画なり。
(一) 各道に有給参事会を設くること。
(二) 中枢院官制を改革し、重要事件を諮問せしむること、及民間有力者3名以上を入院せしむること。



大韓協会のこれまでの運動を見るに、基本的に猟官運動が多く、之もその一環と考えられる。
ただ、これまでは入閣を目指す等、政治的に影響力を及ぼせる地位への猟官運動、つまりは政治改革を行うと見なせるものだったわけですが、有給参事会と中枢院じゃあねぇ・・・。
そんな金、大韓帝国に無ぇっつの。


四.大韓協会の現況、左の如し。(去る11月末日調査)

会員49,028人。
内、5分耶蘇青年会派にして、金麟・呂炳鉉之が首領たり。
内、1部天道教派に属し、呉世昌・権東鎮之れが首領たり。
内、4部両班派にして、金重煥・李鳳来・金嘉鎮・洪弼周等が首領なり。
会費は1人1ケ月10銭なるを以て、毎月4,902円80銭を収入すべき筈なれども、現今1ケ月平均収入250円内外にして、実支出額300円を超過し、月々不足を告ぐ。
機関新聞(国民)は、毎日発行高6,200枚なるが、同新聞も代金徴収不成績の為め収支償はず。
耶蘇教派に属するものは、何れも同教より多少の手当を受け居れるが、其重なるものは尹致昊1ケ月300円、李源龍同100円、呂炳鉉同100円づつとす。



ほい。
大韓協会員、この時点で大垣丈夫曰く49,028人。
会費払ってる会員は2,500人くらい、と。(笑)
半数がキリスト教青年会に所属し、1割が天道教徒、4割が両班と。
ああ、10月14日のエントリーの時点では、関連性が不明だったので「彼等は安昌浩と一緒に史料に登場する場合が多く、基督青年会に関係を有するというのは、その辺りから来ているのだろう。」と書いたわけだが、現実に掛け持ちというか、両方に所属してたのね。

機関紙が(国民)とされているが、恐らくは「大韓民報」の誤りであると思われる。
で、6,200枚を発行しているが、代金徴収不成績により苦戦中。(笑)
ちなみに、反日新聞として知られる「大韓毎日申報」で、1909年(明治42年)6月の段階で5,000枚弱という報告があり、部数としてはかなり良い線いってるのではあるが、代金未納じゃねぇ・・・。


五.合邦問題に対し大韓協会員の意見を大別すれば、
(一) 耶蘇教青年会派に属するものは絶対に独立論を主張し、若し能はざるときは米・露の共同援助を得んことを信じ居れるが如し。
(二) 天道教派及両班派に属するものは、韓国財政上到底独立の不可能なるべきを諦め居れるものの如きも、副総務洪弼周(儒者)は頗る頑迷不霊の為め、副会長呉世昌は一進会に反対の為め、何れも前者に属するが如し。



で、上記10月14日のエントリーの三派合同にすら反対だった基督青年会は独立論を主張し、できない時には米・露に共同援助を得られると信じているようだ、と。
・・・。

NAVER韓国人レベルかよ!(笑)

で、天道教派及両班派は、「韓国財政上到底独立の不可能」と諦めている、と。

Σ (゚Д゚;)
こっちはこっちで、現代韓国人よりまともな認識をしてるじゃないか・・・。


今まで、財政上の問題という最も重要な問題について、韓国側が述べてるの、皆無だったしなぁ・・・。
驚きもひとしお。


ってことで、ビックリしたまま途中ながらも今日はこれまで。


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