香港の人感動させた韓国農民「三歩一拝」



香港でやってるのがミソ。
伝統への回帰まで、もう一歩ですな。


さて、本題に入る前に、前回「財政上の問題という最も重要な問題について、韓国側が述べてるの、皆無だったしなぁ・・・。」と最後に述べたわけですが、良く考えたら11月9日のエントリーで尹孝定一派が既に財政に言及してましたね・・・。
スマン。

ってことで、ビックリする程の事も無かった前回の、大垣丈夫の言動に関する1909(明治42年)12月20日付『警秘第4417号の1』の続きから。


六.対韓同志会員高橋秀臣(余は対露同志会員時代より懇意にせり)に対し内々同会の意向を聞き合せたるに、合邦問題は同会の方針に乖戻せざるものたることを回答し来れり。


高橋秀臣は、12月8日のエントリーの朝鮮問題同志会(対韓同志会)大会において宣言書等の各文章を読み上げていた者であり、主要メンバーの一人である。
で、当然一進会の合邦声明に係る問題については、対韓同志会の方針に背くものではないという回答を寄こしてきた、と。
というか、どういう繋がりなんだろう?
大垣丈夫って何者?


七.客月中花月楼に於て熊谷民長が新聞記者を招待したる際に於て、余は記者連中に1,000円束を示したりとて、内閣より買収せられたり抔との風評を耳にせしが、該金は決して左様なるものにあらずして、実は余の懇意なる山中正雄(米国農科大学卒業生にして英語に巧みなるもの)なるものが、西塚豊三郎の為めに馬山にて数万坪の土地買入運動を為したる謝礼として、金1,000円を西塚より受取るべき約束なりしも、頃日山中が帰国当時調金出来ず、余が山中の委任を受けて之を受取ることとなり居りたるより、偶々該金の懐に入りたる際、前記招待会に招集せられたる記者連に会合したるを以て、平素記者は一杯驕れ驕れと要求しつつあるを五月蠅と感じ居りたるより幸ひ大金を所持せることを誇り置かば、或は記者等は余に買収されたり等と風評せらるるを厭ひ、将来却て余に接近せざるに至らんかと考慮の結果、記者等に1,000円束を示し、今夜は驕るべしとて5、60円を投げ出したるものにして実は一場の狂言に過ぎざりしなり。
而して右1,000円の内2、300円は報酬として受取り、200余円は旭町一丁目浅野質屋に対し山中の入質物を受け出し、500円は十八銀行の為替にて山中に送金したる次第なり。
(浅野質店を取調べたるに、山中正雄が入質したる約200円の質物を11月18日、大垣丈夫より受出したる事実あり)



大垣が李完用に買収された話は、11月10日のエントリーで報告があった。
それに関しての言い訳という事になるのだろうが、山中正雄云々の話については疑問が多い。
山中正雄は広島高等女学校の校主として有名らしい。
彼がこの時期に朝鮮半島へ事業の手を伸ばしていた事、及びその事業に西塚豊三郎が参加していた事は事実である。
しかし、結局は事業に失敗し、1908年5月頃には帰国を余儀なくされている。
馬山で数万坪の土地買入運動を行えたとすれば、少なくとも帰国する程、或いは身の回り品を質屋に入れる程困窮するには至らないのではないだろうか?
ただ、実際に200円もの質物を受出してるわけだしなぁ。
ま、どちらにしろ証明する術は今の所無い。


八.内田良平は運動費に窮し、李容九目下其金策中なるが如し。
頃日も日韓電通井上藤三郎に対する50円の約束金さへ支出せず、又中外通信社倉永怒が出発に際し150円の無心を言ひしも、僅か50しか与へざりしと云ふ。



10月13日のエントリーで抜粋して紹介した部分である。
井上藤三郎への支払いは新聞紙法に関する保証金関係なのか何なのかは不明なのだが、中外通信社の倉永怒が金の無心をしている事を考えると、内田からマスコミに金が流れるのが常態だったようにも感じられる。
まぁ、大垣丈夫が言っているという部分において、差し引いて考える必要はあるのか・・・。


九.鄭雲復は、本会の趣旨に悖りたる行動を為したるに依り、除名すべしとの問題起り、法律部長李宇榮・評議員沈宜性の両人にて審査中なるが、多分本人より退会届を提出せしむるに至るならんと察せらる。


鄭雲復の大韓協会脱会については、11月8日のエントリー11月25日のエントリーを始めとして何度か紹介してきたわけだが、鄭雲復が自ら脱会届出したんじゃないのか・・・?
うーん、謎。


十.戸叶大韓日報社長が内田に反対せるは、合邦問題に対し、内田一人の功名を為さんとして出し抜け的行動に出でたりとの反感に外ならざるが如し。

右及報告候也。



戸叶に対しては、内田良平も同様の事を言っていたわけですが、大垣丈夫もそう感じていると。
さて、どうしようもないのは誰なんでしょうねぇ。(笑)

続いての20日付けの史料は、1909(明治42年)12月20日付『高秘収第8510号の1』。


近江谷栄次対韓行動に関し、東京警視総監より別紙の如く通報あり。
右及報告候也



で、これに付いている別紙が、12月5日のエントリーで取り上げたアジ歴の史料、1909年(明治42年)12月16日『乙秘第2768号』となるので省略。【画像】

次は、12月14日のエントリーで一騒ぎになっていた、宋秉畯の行方について、釜山の亀山理事官から石塚長官への報告。
1909(明治42年)12月20日付『来電』より。


宋秉畯の居所を取調べたるに、下の関に滞在せり。
但し、秘密に付し滞在せざることに取扱居る旨、同地警察署より電報ありたり。


ええ。下関に居るんですよね。(笑)
12月13日のエントリーにおいて、世間の注意を避けるために帰韓したように見せかけ、下関に留まっているとしていたわけだが、下関警察署(?)は之を秘密として、滞在していないかの如く取り扱っている、と。
うーん。
匿ってるようにも見えますなぁ・・・。

続いて、韓国政府の対応に関して。
1909(明治42年)12月20日付『憲機第2517号』より。


去18日正午12時頃より各部大臣内閣に集合し臨時閣議を開き、過般一進会が日韓合邦声明書発表せしは、之れ所謂狂人の所為なれば、此際各地人民等該声明書に眩惑し民心動搖するの弊なき様各観察使に訓令せんことを議し、一両日中に内部大臣より該意味の訓令を発する筈。
以上。



狂人の所為。(笑)
だから気にすんな、と民心が動揺しないように各観察使に訓令を出す筈である、と。
この訓令が実際出されたかどうかは、確認が取れていない。

で、今度は高宗に関する噂の報告。
1909(明治42年)12月20日付『憲機第2511号』。


太皇帝に関し、近来左の風説あり。

合邦問題発生以来、寝食を廃し心配し居らるる事を侍従等は承知し居るを以て、一両日前某侍従が、一進会は四面楚歌の裡に在りしが、彌々全滅したりとの情報に接せし旨言上したる処、太皇帝は大韓国万歳を叫ばれたりと。

以上。



んー、四面楚歌は事実だが、いつ全滅したんだろう?
だから、そういうウリナラ解釈なり、希望的観測なりで喜ぶなっつうの。
ウリナラチラシやNAVER韓国人と変わらんな。(笑)

今日は細かい史料が多いね。
次は12月11日のエントリー等で、会長閔泳韶が辞めたいと言い出した、国民大演説会に関する報告を二つ続けて。
まずは、1909(明治42年)12月20日付『憲機第2515号』より。


(12月18日憲機第2499号参照)

国民大演説団会長閔泳韶は17日午後、同会事務所に於て会長を辞任す可き旨申遺し帰家せしが、同会文書課長正三品李舜夏・幹事李海朝・李膺鐘・洪淳九外2、3名、同日午後8時頃会長閔泳韶を慰め、辞任せざる様勧告する処ありし由なるが、其際閔は同人等に対し、日本政府に於て一進会の合邦声明書を聴許し其実行あるに於ては、一般国民を鐘路の大道に集め、予の抱負の存する処忌憚なく説明し其場に自殺せん云々と大に悲憤の談を為したりと。
以上。



『憲機第2499号』については、12月11日のエントリーを参照の事。

やっぱ辞めるんだ。(笑)
で、日本が一進会の声明を聞き入れ実行したときには、一般国民を街角に集めて自分の意見を説明し、その場で自害するニダ!と。
併合された時、彼、自害なんてしないわけですが、一進会の声明を聞き入れたわけじゃないから?
それとも口だけ野郎?(笑)

で、もう一つが1909(明治42年)12月20日付『憲機第2516号』。


(12月18日憲機第2499号参照)

国民大演説団会にては、一昨日午1時頃鄭應卨(咼の上にト)・高羲駿・文鐸等重なる役員10数名其事務所に集合し、文鐸を更に質問総代に選定し、同2時頃李首相の私邸に派したりしに、首相は病気の故を以て面会を拒絶せりと云ふ。

以上。



11月27日のエントリーの高羲駿が国民大演説会から脱会するという話は、やっぱりデマだったのかな?

で、未練がましく今度は李完用の私邸にまで押しかけて、やっぱり門前払いされる、と。(笑)


今日はここまで。


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