今日も合邦問題に関する20日付けの史料より。
最初の史料は、12月12日のエントリーで、李學宰と兪吉濬の間で一悶着あった、大韓商務組合に関する史料から。
1909(明治42年)12月20日付『憲機第2509号』。


京城内五部の、大韓商務組合支部の頭領以下の役員及負褓商民等合せて約50余名、18日正午12時頃中部漢陽洞同組合本部に来り、部長李學宰が一己の私見を以て十三道負褓商民代表の名を冒し、同組合の名に於て一進会の日韓合邦声明書に賛成の公函を同会に寄せたるが為め、一般国民より一進会と同様に国賊視せられ商民等の信用に多大の影響を及ぼすの故を以て、同組合部に解散せられたしとの請願書を同部に提出せし由にて、当時部長李學宰は他出不在なるを奇貨とし、同人等と恰も申合せたる如く、同組合顧問たる漢城府民会長兪吉濬も同伴し来り、自ら部長代理の名を以て該請願書を受理し、其後間もなく同組合の顧問たる永宣君李埈鎔の来所を促がし同人と議する処ありしが、各頭領及商民等に対し、各自の願ふ如く本組合を解散し、且つ国民等より無意味に一進会に阿附せしとて、国賊呼はりをせられたる汚名を洗がしむ可きに依り毫も憂慮する勿かれと、彼是れ不平を唱へ喧噪を極むるを制止し、同所に於て、大韓商務組合部は商務の発展而已を目的とする営利的の団体なるに、一進会に阿附し、政治運動に力を致す如きは其本旨に背くものなるを以て、速かに解散を命ぜられたしと其筋に提出す可く、顧問兪吉濬の名義を以て請願書を認め、明日提出すとて携帯。
午後2時30分頃、兪は李埈鎔と相前後して退去せし由なるが、前記50余名の輩等は兪吉濬の説諭にて一先同所を退き、其附近なる李某の宅に集合し、李學宰の帰所を俟ちて何事か為す処あらんとの気勢を現はし、不穏の態度あるにより、中部警察署より巡査等出張其解散を命じたりと。
前記50余名の中には、兪吉濬の暗嗾に依りて商務部なるものを組織せんとて前夜来内議中なる同組合副事務朴喜英、公事員羅奎栄、金昌源、朴昌洙、崔昌煥、李瑗夏、金學顔、徐丙炎等も加入し居れりと。
以上。



 (注:本文と画像とは何の関係もありません)


つい思いだしちゃったわけですが(笑)、これ、ある意味クーデターですな。
しかも李學宰が不在の時を狙って。
で、解散の請願を提出する予定。
さらに50余名が李學宰の帰宅を待って何かしようとしており、不穏だったので解散させられた、と。

続いては、東京の韓国留学生に関してさらっと。
1909(明治42年)12月20日付『高秘収第8509号の1』より。


東京韓国留学生行動に関し、警視総監より別紙の通り通報有之候間、此段及報告候也。

○ 別紙乙秘第277号

(『乙秘第277号』は12月8日のエントリーで紹介済みの為、省略)



別紙は、対韓同志会の演説会を見た東京韓国留学生が激怒した史料である。

さて、次からは20日付けの各地方の状態について。
まずは、仁川方面の報告について、1909(明治42年)12月20日付『憲機第2513号』より。


一.12月11日江華公立普通学校(在江華邑郡衙内)補修科生徒(四学年)南宮煉(21年)は、12月5日発行の新聞紙上に於て、一進会の日韓合邦問題に関する記事を見て、日韓合邦となるに就ては仮令生徒と雖も韓国の一臣民なり。
安んじて就学する能はず。
依て退学せんと決心し、他の生徒等に内々協議し居れるを、同校校長韓永福及同校教監大竹闔造の知る処となり、補修科生徒一同を集め、苟モも生徒として政治を憂ふる等の如きは不心得の最も甚敷ものなり。
加之当校の此上なき不名誉とする処なり。
尚又、日韓合邦問題は唯だ一部のものの意見に過ぎざる旨を、懇々説諭を加へたるを以て充分了解し、其後生徒間に於ても何等風評だになきに至れり。

二.南宮煉の退学を思ひ立てたる原因に付内査したるに、同人は江華郡仙源面仙源面仙杏洞農南文伯の二男にして、本年4月頃より江華公立普通学校補修科寄宿舍に起居せるものにして、本月に至り未だ一回だに帰郷したることなく、又同人の父兄及親属其他の者等に面会したる等のことなく、全く新聞の記事に依り突然独考退学を思ひ出でたるものにあり。

三.同科受持教員金訓導は、5日発行の新聞紙に日韓合邦問題の掲載あるを読み落涙しつつありしが、偶々南宮煉は金訓導の読める新聞紙に合邦問題の掲載しありしを見しより、遽かに感じて前後の思慮もなく退学を思ひ出したるものならんと云ふ。

以上。



むー。
この時期の公立学校の日本人校長と韓国人校長の割合って、どんくらいだったんだろう?

つうか、仁川方面の報告じゃなくて南宮煉くんの報告だな。(笑)
で、何某かのバックボーンがあるわけではなく、単純に義憤に駆られて、「こんな時に勉強なんてしてられっけ~!」と退学を決心したわけですな。
で、説得されて了解した、と。

続いては、慶尚北道の安東に関する報告。
1909(明治42年)12月20日付『憲機第2521号』から。


安東普通学校長(両班) 権有夏
同校漢文教師(大韓協会員にして両班) 李悳求
同校書記(右同) 権炳斗
同校副訓導(学部差遣) 姜凞元

右安東普通学校職員一同は、12月13日安東在住一進会安東支会長にして安東普通学校創立委員たる宋秉銓を同学校に招致し、左の意味を以て同人に示威的厳談を試みて、一進会を退会せしむべきことを迫りたりし。

汝は、曩に京城に至りて一進会の集会に参与し、日韓合邦を決議して声明書を公表したる一員にして我々の同志にあらず。
故に、国民教育の学校員たらしむるが危懼なるに付、此際除名するの止むを得ざるに至りたり。
依て一進会を退会するか、若くは退会せざるに於ては今後学校には絶縁する旨を以て別紙寫の如き告知書を渡し、尚ほ語て曰く、当安東には不遠国民の会なるものの組織ある筈なるに付、若しも汝が一進会を脱会せざれば、汝の生命は覚束なし。
能く熟考して、一進会を脱会するの精神あれば、脱会の旨を安東市場に於て公衆に向て演説すべしと。

以上。

○ 別紙

[訳文]
敬啓 本郡は教育を熱心首唱し、学校設立に効力に多大なるは公評の自ら在る所なり。
貴下を欽仰せざるに非らざれども、今般一進会の政合邦声明書に対し国民一般の声討大発するは彛衷の激する処にして、中外豈に異ならんや。
貴下は該会員なれば見諒する処無きに非らざれども、鄙等は国民の一分子なれば、貴下と共に一校中に恬然併列するは名義上不可なるを以て茲に告知する故、御照亮後進退を裁量し回答を賜はらんことを敬要す。

隆熙3年12月13日
私立安東普通学校 校長 権有夏
宋秉銓 坐下



学校の創立委員の一人が一進会の支会長のため、わざわざ学校に呼び出して脱会するかしないか尋ね、脱会しない場合には学校員から除名する、と。
で、安東ではそのうち国民の会が組織される筈であり、もし脱会しない場合にはお前の命は覚束ないだろう、って・・・。
脅迫じゃね?(笑)

さて、次の平安北道に関する報告で20日付けの史料は終了。
1909(明治42年)12月20日付『高秘収第8511号の1』より。


平安北道定州警察署長の報告に依れば、当地普通学校及私立維新学校校長等は合邦説に反対し、一進会を排斥すべしと生徒に対し演説し、政治上に干与する行動ありと認むべき状況ありとのことなり。
右及報告候也。



校長自ら「一進会を排斥せよ!」と。
んー、立派な教育者ですこと。(笑)

さぁ、次からは21日付けの史料。
段々、私個人の考えによる「合邦問題最大の山場」が近づいてますな。 ( ̄ー ̄)ニヤリ
21日付け最初の史料は、12月3日のエントリーから数日に渡ってお送りした、内田良平の「合邦提議の真相」に関して。
吉田陸軍大臣秘書官から佐竹統監秘書官への書簡より。


拝啓
本月16日附機密統発第2080号を以て、統監閣下より当省大臣宛御郵送の、内田良平之起案に係る合邦提議の真相、正に落掌仕候。
当大臣は、未だ内田良平より右書面受領致し居らず候。
就ては、此回御送付被下候の該書参考に供ずべき旨、統監閣下ヘ御回答可致様被命候に付、貴官より可然御伝被下度御依頼申上候。
先は右要用迄。
敬具。



『機密統発第2080号』は、それこそ12月3日のエントリーで紹介しているものである。
で、寺内正毅陸軍大臣は内田良平から「合邦提議の真相」は受け取っていない、と。
仮にこれが嘘だとすれば何の目的だろう?
本当だとすれば、内田は何故寺内に送らなかったのだろう?
何で電文ではなく秘書官間の書簡なんだろう?
色々と疑問のわく文書である。

続いて、大垣丈夫に関する報告を1909(明治42年)12月21日付『憲機第2535号』から。


(12月21日憲機第2513号参照)

大垣丈夫に対し、退韓せしめる事に統監府に於て決せしことは既報の如くなりしが、本日午前大垣は、石塚総務長官より出頭を促され、今明日中に帰国を命ぜられたりと。
若し今明日中に出発せざるときは、公然退韓処分を為すと附言せられたりと。

以上。

追て、内田良平も大垣より稍々遅れ、出頭を命ぜられたりと。
尚、其結果は内偵中。



この文書、8月25日のエントリーで既に紹介しているんですが、半年も経ってるし、再掲。
『憲機第2513号』って、上にある南宮煉くんの報告なんだが。
しかも、統監府が大垣を退韓させることにしたのは既報の如くって、何時の間に・・・。
ということで、どういう経路で退韓処分を決定したのかは不明である。
正確に言うと、自主退韓しなければ公式に退韓処分にする、か。
で、内田良平も出頭させられており、その結果は内偵中、と。

結局、両人とも退韓させられるんですけどね。


今日はこれまで。


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