【社説】暴力でごっちゃになった香港遠征デモ

暴力でごっちゃになった3.1運動。


ハイ。
今日も21日付けの史料の続きを見ていきましょう。

今日最初の史料は、1909(明治42年)12月21日付『高秘発第452号』から。


一.京畿江華郡公立普通学校第三第四学年生徒及同校補修科生徒60名(年令15、6歳より30歳迄のもの)は合邦問題に奮激し、日人教師より教授を受くるを厭ひ、同盟退学を郡守に申出たる処、郡守及同校教師大竹洞造の説諭により、同盟退学を思止り登校するに至れりと。

一.江原道鐵原学校教師金明才(?)外2名、17日より合邦反対決議書に調印を求めつつありし旨、鐵原警察署長の報告により之れが取締方訓示し置きたり。

右及報告候也。



んー。
何故一進会が合邦問題提起したのに、日本人教師を厭うのか、さっぱり分かりません。(笑)
とばっちりも良いとこですな。
で、例の如く説諭されて、退学を思いとどまる、と。

そして江原道では教師が合邦反対決議書に調印を求めて廻ってる、と。
教師の政治的活動、マジで堪忍して欲しいんですが。
勿論、現代日本でも同じ。
ウチの子供に変なこと教えた日にゃあ、ありとあらゆる手段使って潰しにかかりますので、特に歴史を教える先生方、せめて教科書を逸脱する事の無いよう宜しく。(笑)

21日付け史料の最後は、日露戦争の発端となる要素の一つ龍岩浦における状況について。
今日最初の史料は、1909(明治42年)12月21日付『憲機第2534号』より。


日韓合邦問題に関し、当管内一進会員及大韓協会員并に地方人の風説を内査すること、左の如し。

一.一進会員龍川府北上面梅長洞 李錫泳
右は、龍川府内の一進会長として12月11日、府内場西面新城洞に居(龍川府内一進会監督)劉義澤方に至り、場西面龍淵洞白處玉、同洞朴有祿、同面新城洞李泰賢等を召致し、左の如く談話をなし、同夕各自解散す。

李錫泳
我韓国民の福利を増進し、最劣等国は諸列国と歩調を共にするは至難の業に在て、此場合、日韓合同するの一手段あるのみ。
諸氏も既に知らるる通り、我一進会の前身は東学党なり。
多年政府の暴政に依り、1,500万の民は窮境に陥りたるを慨嘆し、刀を執り鎗を振りて政府に対抗せしことあり。
此時に於て政府は支那に援助を求めたり。
日清戦争の初期、我党は日軍と戦ひて利あらず。
各所に散離し、山間に世を忍び、時の到るを俟つこと久し。
此間同志を集めて今日あるに至れり。
日露戦争起り、韓政府は向背を決せざるに、我会員は茲に日軍に従ひ盡す処ありたり。
皇室の尊厳、国民の権利、福祉を増進する日韓合邦は、全く其当を得たるものにして、我首府の会員一度宣明したる事は中途にて断念せざる意向なれば、当龍川府にても多少の反対者ありとも決して粗暴の行為に出でず、時の熟するを俟ち慎重せざるべからず。
尚、場西面の会員にも宜しく伝言せられよ。



一進会の前身は勿論東学党なわけですが、日清戦争から日露戦争の間にどのようにして心変わりしたのかは、少々興味のあるところですな。


二.大韓協会龍川府々内面雲興洞 金利煥
右は大韓協会龍川府支部長にて、12月12日夕、支部事務室に書記高老泰・幹事李允河と談話したるを聞くに、

金利煥
我大韓協会は、這回図らず一進会と分離したるに就ては、世間兎角悪評する者あるも、決して我会員は反対者にあらず。
韓国として、現下に日韓合邦問題は早計ならずやと思ふ。
初めて創立当時は、一進会より非常なる斡旋を受けたる恩儀ありて、何等同会に対し悪感情なし。
而して、一時は行掛上或は反対せしならんも、今やさる事なく、早晩将又一進会を相携絡する事もあらんと思料すれば、此際に於て何事も世間に発表せざる様にするは肝要なりと。(本件に付ては、警戒内査中)



龍岩浦の大韓協会は、他の大韓協会支部と違って本部で決まった事項にかなり近い。
というより、本部以上に一進会に好意的ですな・・・。
それぞれの地方で何等かの事情があるのだろう。


三.管内民心の意向
甲は合邦を賛し日本に帰化したき者あり、乙は合邦後前途は如何に成行くやと憂ふる者もありて、千差万別には何れも相当理解力を有するものにて、一般人民に於ては至て静粛なり。
場市を中心として盛んなる耶蘇教信者の意向、内偵せんと、昨日曜日には礼拝堂にて祈祷説教日なるを以て、亀甲軍曹は補助員1名を率ひ、変裝。
同地に出張したるも、寒気の為めに集会者少なく、流会となれり。



あう・・・。
すぐ近くの新義州の民情はこれまで何度か報告されてきたが、何か、龍岩浦って違う・・・。
んー。


・・・さて、気を取り直して、22日付けの史料に入っていきましょう。(笑)
1909(明治42年)12月22日つうのは、非常に重要な事件が起きるわけです。
曾禰統監から桂首相への1909(明治42年)12月22日発『往電第44号』。 【画像】


本日午前11時半頃、仏国教会堂に於ける白耳義皇帝追悼会を了り、帰途同会堂正門外に於て李首相が人力車に乗りたる際、平壌城内耶蘇教派李在明なるものの為に出刃鉋丁様のものを以て3ヶ所を刺され、生命危篤なり。
委細取調の上詳報す。



李完用暗殺未遂事件である。

白耳義皇帝は、ベルギーのレオポルド2世の事である。
仏国教会堂での追悼会が終わり、人力車に乗ろうとした際に李在明に刺されるのである。
ちなみに、李在明は三個所を刺した後、阻止しようとした人力車の車夫、朴元大を刺し殺している。
そこでようやく護衛の巡査に取り押さえられるのである。

まぁ、この時の李完用が合併或いは合邦に賛成していたか反対だったのかは不明ながら、一進会の合邦声明に対しては明らかに反対してたわけで。
しかも李在明の暗殺理由が、「総理大臣李完用は、政治の枢機を握り、既に5條約、7條約を締結したるのみならず、今亦一進会が声明する日韓合邦問題も、遂に彼の手に依りて実行せらるるに至らん」であり、完全に勘違い男ですからねぇ・・・。
ま、他に犯行グループ内では李容九の暗殺も計画はされていたわけですが、実行出来てねーし。(笑)
結局、合併時期尚早論の伊藤博文を安重根が暗殺し、一進会の合邦声明に反対していた李完用を李在明が刺殺未遂。

お前等、馬鹿だろ?(笑)

さて、この事件が今後の合邦問題に関係するかどうかは追々見ていくことにして、史料紹介を続けましょう。
続いては、12月17日のエントリーの最後で取り上げた、大垣と内田の退韓の話。
1909年(明治42年・隆熙3年)12月22日付『警秘第4513号の1』より。


内田良平は、今23日午前9時、南大門発列車にて帰国の途に就けり。
大垣丈夫も同時に出発すべき筈なりしも、本人は経済上頗る窮し居れるより、三等に乗車せんとしたるに、鄭雲復は内田が一等に乗車するに三等に乗車すと、甚だ不権式なりと忠告し、漸く二等に乗車することになりたるも、内田と同時に出発するは途中不経済なりとの理由にて、俄かに今夜行列車にて出発することとし、停車場より引返したりと。
又大垣の帰国期限は、約2ヶ月間なりと云ふ。
右及報告候也。



これまた8月25日のエントリーで既に紹介済み。
鄭雲復は、やはり大韓協会の絡みで大垣丈夫の方と面識が深かったのだろう。
で、二人とも一旦退韓、と。

続いては、22日付けの大韓協会に関する報告。
1909年(明治42年)12月22日付『憲機第2555号』より。


大韓協会にては、一両日前十三道支会に対し、一進会の発表せし日韓合邦声明書に会員は勿論其他一般人民等眩惑せざる様、充分慎重の態度を持せしむる様せられたしとの意味なる訓示文を、秘密に発送せりと云ふ。


前回の一進会の声明書反対決議の否決を受けてのものなのかな?
煽動的な態度をとらず、慎重に行動しろ、と。

今日最後は、会長の閔泳韶が辞めちゃった国民大演説会について、1909年(明治42年)12月22日付『憲機第2552号』から。


国民大演説団会にては、昨日午後2時頃鄭應卨(咼の上にト)・文鐸・芮宗錫・尹喬栄・李重夏等約30名其事務所に集合し幹事会を開催し、過日来鄭萬朝等の手に於て起草中なりし、対内閣第2回の上書文の可否、討議可決し、会長閔泳韶は辞任するとて出務せざるを以て、副会長李載克の名に於て上書を提出せんとの議起り、李載克に総代を派し其意見を求めたるに同人は之れに応ぜざるより、止むなく幹事李重夏は一般代表となりて署名捺印し、同3時30分頃、郵便にて内閣に提出せり。
其全文は別紙の如し。

○ 別紙
[上書文] (漢文のため省略・笑)



会長閔泳韶は辞任。
11月17日のエントリーで副会長に就任した李載克も総代を拒否。
んー、なんか国民大演説会もグダグダになってきたな。
で、三回目の上書を内閣に郵送した、と。
残念ながら、李完用が刺された後なんですけどね。(笑)


ってことで、今日はこれまで。


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