目標を年内終了に切り替えたdreamtaleです。
ども。(笑)

今日最初は、久しぶりに登場の安達謙蔵に関する史料。
1909(明治42年)12月23日付『憲機第2566号』から。


大同倶楽部代議士安達謙蔵より在京城の友人に寄せし書信に、左の一節ありと。

合邦問題は、我政府当局者に於て底意のありし事なりしが、提出及之に関する行動其宜敷を得ざる為め失敗せしは、返す々々も残念至極に思ふ云々。



10月31日のエントリー以来の登場ですな。
まぁ、「政府の底意」っつうのが何か分からないので、反応の仕様も無いわけですが、彼も一進会寄りの心情であるのは間違いないだろうと。

で、次は何考えてるのかさっぱり分からない、新聞記者団について。
1909(明治42年)12月23日付『警秘第4515号の1』より。


在京新聞記者団は、昨22日午後6時より京城ホテルに於て開催し時局研究会なるものを組織。
其会則を議決し、常議員・記録係・庶務係・会計係等の選挙を了へ、事務所を旭町二丁目不知火旅館に設け、来る25日午後5時より歌舞伎座に於て時局問題に関する政談大演説会を開催し、輿論を喚起すべき計画なりと云ふ。

集会者
楢崎観一、峯岸繁太郎、山本光三
戸叶薫雄、熊谷直亮、今井唯雄
牧山耕蔵、武田卓爾、橫尾真一郎
小幡虎太郎

以上10名にして、役員選挙の結果は左の通り。

常議員
戸叶薫雄、峯岸繁太郎、今井唯雄、橫尾真一郎、楢崎観一、山本光三、武田卓爾、熊谷直亮、牧山耕蔵
記録係 楢崎観一
庶務係 牧山耕蔵
会計係 武田卓爾

議決したる時局研究会々則は左の如し。

時局研究会々則
第一條 本会を時局問題研究会と称す
第二條 本会は、時局問題を研究して健全なる輿論を喚起するを目的とす
第三條 本会は、在韓日本人同志を以て組織し、会員を分って正会員、賛助会員に分つ
 正会員入会は、常議員2名以上の紹介を要す
第四條 本会に常議員若干名を置き、諸般の会務を処理せしむること
第五條 本会の経費は、会員の拠出を以て支弁す

附則
前項規定外の必要事項は、常議員会に於て之を定め、常議員会は過半数の出席者を以て成立す。

右及報告候也。



戸叶薫雄、峯岸繁太郎、今井唯雄と並んでるだけで偏見を持ってしまうのは、私だけでしょうか?(笑)

まぁ、久しぶりなの各所属の新聞社をもう一度記載しておこう。
大阪毎日新聞の楢崎観一、京城新報峯岸繁太郎、大阪朝日新聞山本光三、大韓日報戸叶薫雄、国民新聞熊谷直亮、朝鮮日日新聞今井唯雄、日本電報通信牧山耕蔵、報知新聞武田卓爾、時事新報橫尾真一郎、朝鮮新報小幡虎太郎の10名である。

ほとんどが京城日本新聞記者団の連載の中で統監政治に批判的だった者の集まりであると同時に、7人までが伊藤博文暗殺に関連して、日本の対韓政策の「最後の解決」への期待及び韓国皇帝の日本渡航謝罪希望を決議した者の集まりでもある。
この中で、内田から買収された噂が立ってるのが、今井唯雄、小幡虎太郎、楢崎観一、峯岸繁太郎。
戸叶は勿論、内田が手柄一人占めになりそうなのが気に入らないとされている人物である。
で、彼等が時局研究会というものを作った、と。

続いては、珍しく新聞記事に関する話。
1909(明治42年)12月23日付『憲機第2565号』。


(12月18日発行「ジヤパンクロニクル」所載)

日韓合邦問題に関し、左の如き反対意見を発表せり。

同問題に関する重要の点は、合同に依りて日本の得る利益の有無如何にあり。
吾人の見る所に依れば、此合同に依りて日本は将来種々の危険を有する大陸関係の政治を以て悩まざるべし。
換言すれば、日本は天然の境界線たる海洋(之あるが為め、従来幾多の困難を免がれたるを知らず)を棄てて、大陸上に於て他国と境界を交へ、其防禦の為め巨額の兵力金員を要するや明かなり。
果して、斯くして何を利するや。
思ふに僅かに軍事上の名誉は大に増加すべし。
日本は既に過去の戦争に於て、多大の名誉を博せり。
而も其影響として貿易の不振を来し、財政の困難を嘗め、人民は諸税の負担加はりたるにあらずや。
英国が、大陸上の領地を失ふたる以来英国の国力を大に発展せし事は、日本の大に注意を払ふべき点なり。
是れ此の如くにして、大に内地国富の発展増殖に努力したる結果に外ならず、されば日本が韓国に保護政治を行ふ間は、何時にても韓国が自立の力足る暁に至りて之を廃止し得るの自由を有す。
然るに一且合邦したる以上は、韓国は滅亡し、日本は全部の責任を負ひ、大陸諸国との関係種々の困難に遭遇するに至るや明なり。

以上。



ジャパン・クロニクルは、神戸の外国人居留区において発行されていたイギリス系の新聞である。
どちらかと言うとリベラルな論調で知られているわけだが、この意見にはかなりな部分同意する。
但し、「何時にても韓国が自立の力足る暁」が来るのは、韓国時間の10年後であることを分かっていない。(笑)
あのままいけば砂漠に水を撒くようなものであり、どこかでドラスティックな改革が必要だったのは確かであろう。
最も、「火中の栗」を拾うのが日本であるべきだったと思えないのであるが。
今後は、幾ら半島が困難な局面に至っても、二度と係わらないで欲しいものである。
それが、双方にとって幸せであろう。

続いては、地方の状況について。
まずは、江原道地方のキリスト教に関する報告。
1909(明治42年)12月23日付『憲機第2560号』から。


12月16日付高秘発第443号、警務局長内報中江原道鐵原の耶蘇教徒215名、京城にて反対演説を為すべく運動中なりとの件に付、鐵原分遣所長の内査したる状況左の如し。

一進会の合邦声明書発表に対し、在鐵原大韓毎日申報支社長張昌大は公立普通学校教員金明済外5、6名の輩と協議の上反対決議書を作り、各民に対し合邦反対を説き廻り、約200名に調印せしめ、之を京城南大門外耶蘇教会牧師全徳基(韓人)に宛て、2、3日前発送したることありと。
然れども、耶蘇教徒等京城にて反対演説を為さんと運動し居るが如き形跡、なきが如し。

以上。



『高秘発第443号』は、11月30日のエントリーで提示した。
しかしながら、キリスト教徒云々は誤報であり、大韓毎日申報の支社長&学校の教員が反対決議書を作って、京城の牧師全徳基に発送しただけだった、と。

この全徳基、無名の牧師かと思ったらそうでもないようで。
詳細はお笑い劇場、独立記念館の全徳基の項目からどうぞ。(笑)
勿論、内容の正確性は保証しませんが。

さて、次で23日付けの史料は最後。
平安北道の民心について、1909(明治42年)12月23日付『憲機第2564号』より。


(12月17日平安北道寧辺分遣所長報告)

日韓合邦問題に関する寧辺管内の民心状況、左の如し。

12月16日寧辺邑内維新学校に於て、校長韓東卨(咼の上にト)、西北学会員明以恒等同校生徒に対し、一進会員が売国奴なりとの説明の下に同校日語教員たりし一進会側崔利渉を放逐し、且つ之等に関係ある生徒の登校を禁じ、又公立普通学校校長李基鉉も、生徒に対し一進会員なるものは此際脱会すべしと云ひ、情況稍々穏ならざるも、当地一進会長郭秉璞は大韓商務組合支部長なる関係より、一進会及商務組合共冷静の状態にあり。

以上。


一進会員である教師を放逐し、生徒まで関係あれば登校禁止、と。
ま、このパターンも飽きてきたので、あまり深くつっこまないようにしようっと。(笑)

次からは24日付けの史料となる。
1909(明治42年)12月24日付『憲機第2571号』より。


総理大臣 李完用

右は曩日、一進会の日韓合併声明書に対し飽迄も反対の態度に出んとし、之に対しては彼の素志より出でたるにあらず。
必ず或る外国の後援より出でたるものならんとの風説あるに依り、内偵したる処、左の如し。

一.彼が這回の件に対しては素より自己の意志なるも、後援には米国領事及露国領事ありて、之等の意図を受けつつありて、若し今日の反対効を奏せず失敗に期したるときは、両国何れかに身を避けなば、保護を引受ることになり居れりと云ふ。

以上。



刺されて入院中の李完用に関する噂。
もしこれが本当だとしたら、米国領事や露国領事も、苦虫をかみつぶしたような顔してるんでしょうなぁ。(笑)


今日はこれまで。


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