50回かぁ。
50回ねぇ。
誰かググって辿り着いても、最初から読んでくれる人って居るのだろうか?(笑)

さて、24日付けの史料。
今日最初は、新聞記者団に関する史料。
1909(明治42年)12月24日付『憲機第2577号』から。


一.在京城日本人新聞記者及通信員等に於て組織せし、時局問題研究会は、其事務所を旭町不知火館に設けたり。
二.明夜旭町歌舞伎座に於て政談演説会を開催し、引続き統監府、軍司令部を始め、日韓各官憲を訪問し、宣言書の主旨に賛同を求むると云ふ。
三.一月早々居留民大会を京城に開催し、民論を奮起せしむる計画なりと。
四.之れに要する費用として、金1,000円不取敢或る銀行より連帯にて借入れたりと云ふも、一説には統監府より給せられたるものにはあらざるかと云ふものあり。

以上。



昨日の史料に詳細の出ていた件ですな。
金を借りたのは、きっと十八銀行に違いあるまい!(【参照】 でも、やたら憶測)
つうか、何でこいつ等に統監府から金が出てるとか噂が立つかなぁ。(笑)

続いて、24日の一進会の状況について。
1909(明治42年)12月24日付『憲機第2577号』から。


(12月19日附 公州分遣所長報)

忠清南道一進会支部に於ては、道一円の大会を催すべく、本月6日各郡委員に向ひ参集の通牒を発し、17日を以て公州府内支部会場に於て開会せり。
然るに各郡委員の参集する者、僅に20名内外に過ぎざるを以て、多数を会合せしむべく翌18日に繰下げたるも、依然24、5名に過ぎざるを以て、支部長梁柱益は、予定人員の半数をも会合し得ざる状態上頗る気分を失ひ躊躇せしも、遂に午後1時に至り開会を宣し劈頭合併趣意宣言書を朗読して会員に頒布し、訓令して曰く、本件に関しては他の抗議論駁非難攻撃を予期せざるべからず。
若し之等の場合に際しても、我会員は之に抗弁論議するなく、慎重の態度を以て本会の趣意を貫徹する事を力むべしと、頗る不振の状況を以て無事午後4時散会せり。
終りに臨み支部長は、全部会員の集合せざるは周知の方法遅緩せる為めならんも、斯くも不参者の多きは洵に遺憾なりと附加し、頗る鎖沈の態度なりしと。
因に、一進会の分派たる侍天教に係る開会は、来る22日開催の筈なり。

支部大会に関する当地人心の感想
這般の大会に就ては予め風評専なるを以て、多少人心を興起したる観ありしも、実施に際しては前陳の如く参集者僅少なると、党熱振はず、何等活動の企画施設をも之れなかりしを以て、一般に冷談視し、非合併派の非難攻撃を惹起する事なく、頗る不振の状況を以て散会するに至れり。
以て、当地方一般人志の意嚮、非合併にあるを察するに足る。

以上。



えー、要約すると、空気嫁ってことだな。(笑)
しかも反対派にも相手にされてねーし。
カワイソス (´・ω・`)

一方で、反対運動を諦めて、国民大演説会の会長を辞職した者も居るわけで。
ってことで、閔泳韶について1909(明治42年)12月24日付『憲機第2586号』より。


憲兵隊附騎兵参領朴栄喆をして国民大演説団会々長閔泳韶宅に遣はし、其意思を聞かしめたる処、閔の陳述左の如し。

一.余の今回一進会の合邦論に対し反対せる理由は、余が嘗て日本観光団に加はり渡日し日本の意嚮及状態を察するに、日本は韓国に対する野心なきことは確信する処なり。
然るに、今回一進会は無礼なる上奏文及無理なる上書文を以て、徒らに民心を動揺するは、両国の本意に反するに依り、其所謂合邦論の不成効に帰するは明瞭なるを以て敢て強ひて之に反対するの必要あらざるも、民心を安堵せしむる必要上手段として同志者と相議し、一日も早く斯の如き企図を消滅させんが為め此挙に出たるものなり。
二.余の同団会の会長となりしは、全く他の推薦に依る。
三.余の目的は統監及内閣に上書するに過ぎず、而して其目的は既に達せり。
而して其上書に対する処置は、当局者の意見に任ずるものなれば、余の責任は最早之れにて了れり。
四.今回の発起は全く余の意思にして、他人の使嗾にあらず。
五.余の韓国に於ける資格は祗候官たり。
祗候官は読んで字の如く、年に幾度びか陛下に祗候するのみにて別に任務なく、又俸給もなし。
故に宮内官とは認め居らずと。

以上。



確かに、観光団が日本に来たのはこの年の春であり、『韓国併合ニ関スル閣議決定』の前なんですが、まぁ彼の場合、観光団代表として答辞の任に当たっただけでホルホルしてるんで。(笑)
あんまし彼の「確信」とか、当てには出来ないわけですが。
で、その他色々と述べられている事は、主に李完用による買収の噂の否定の意味も含んでいるのだろう。
しかし、目的は統監及内閣に上書する事だけであって、その目的は既に達したって、言い訳にしてもあんまりな気がしますな。

さて、24日の地方の状況についての報告。
まずは水原方面の状況について、1909(明治42年)12月24日付『憲機第2579号』から。


(12月16日憲機第2474号参照)(12月20日 水原分遣所長報)

一.上京中なりし元老金宗漢は、15日帰水せり。
上京中は他の元老両班連と往来。
合邦問題の打破策を講ぜしものの如きも、水原に取りて後は時局に関し一切口を開かず。
二.元軍部大臣李根澤は、18日愛妾を伴ひ帰京せり。
同人は、水原にありては時局問題を口にせざるを以て其所見を知る能はざるも、其反対派たるべきは想像に難からず、京城に行きたるは勿論合邦問題は反対運動に関してならん。
三.水原及管内各郡とも其後表面は至て鎮静にて、多人数集会し、演説又は決議等をなし、反対運動を試むるものなし。
但し、裡面に於ては若干の反対運動は行はれ居る様子にて、広州郡落生面板橋里住元兵使権世煥は、本月15日に陽智郡朱徳面居住の元承旨睦相憲は自ら首唱となり、有志10余名を勧誘し、連名にて本月16日に何れも合邦問題攻撃の意味なる建白書を、李内閣総理大臣宛発送したりとの風評あり。
真相内偵中。
四.水原郷校(普通儒林と称し、名称は明倫学校)に、本月17日在東京の大韓興学会員より発せる天下に布告するの文及、国賊一進会を討すなる檄文到着せり。

以上。



『憲機第2474号』は見つけられていないのだが、12月1日のエントリーにおける『憲機第2470号』の事じゃないのかなぁ、と思ったり。

儒生、両班。
李朝、大韓帝国を腐らせた原因の一つなわけですが、流石に必死ですなぁ。
その中にあって、李根澤。
愛妾と一緒に京城入りですか。そうですか。
まぁ、クリスマス近いですしねぇ。(違)

大韓興学会というのは、勿論例の在東京韓国人留学生による組織である。
12月20日のエントリーで、自称中央大学の学生が捕まって落着したと思ったら、まだ何かやってるのねぇ。
全く迷惑な。

続いては黄海道方面の状況。
1909(明治42年)12月24日付『憲機第2583号』より。


(12月20日 黄海道鳳山分遣所長報)

一.日韓合邦問題に付ては、当管内至極平穏なるも、金貸を業とせるものは貸出を手控へ居れり。
二.本月11日、京城の者15名(通常韓裝にして、内一名婦人あり)、黄海道鳳山郡馬洞駅に下車し、同地に一泊の上翌12日急行北行列車に乗り通過せし者等、宿屋に於て左の問答をなせり。

(一) 同地商人(耶蘇教徒)は、一行に向ひ多勢にて何処に行かるるやと問ひしに、目下京城は日韓合邦問題にて非常に騷がしく、又合邦となりし暁は民籍調査も既に出来たる今日なれば、一里の道を旅行するにも夫れ々々届出たる上許可を受けざる可からず。
其他総て法律規則に束縛せられざる可からざるに依り、安堵して業を営むこと出来ず。
依て、安全なる清国又は間島に行くなりと。
(二) 商人曰く、仮令合邦になるにせよ、政府の命令あるときは国民として之に従はざる可らず。
然して、他国に行くとは国賊同様なりと語りしに、一行者は、然らば合邦を希み居るやと反問したるに、商人は、希望するにはあらざるも自然の勢ひなれば致方なし。
只我々は、如何なる事も政府の命に従ふのみなりと。
其他は、雑談なりしと。
右一行は、新義州迄の切符を所持し居りたりと。

以上。



相変わらず、何かとんでもない噂が流れてますな・・・。
ん?
もしかしてこれはあれか?
9月8日のエントリーで一進会の馬鹿な支部会長が出してた「旅行券」とか、そういうところから派生してんのか?
もしそうだとしたら、二重に迷惑ですな。

まぁその話は置いておいて、法律規則に従うのがそんなに嫌か、と。
日本が保護政治するまで、どんな状況だったか分かりますね。

で、商人って結構現実的というか、さばけてるわけで。
この辺はどこの国でも同じなのかな?


ってことで、今日はこれまで。


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