今日もさっさと28日付けの史料を見ていきましょう。
まずは、曾禰統監から桂首相への1909(明治42年)12月28日付『往電第46号』より。


昨日迄の各地方の状況を綜合するに、合邦論に就ては之を馬耳東風に委するものと、憂國の衷心よりするものと、忠臣義士を衒ふ旁予て一進会を嫌忌するものとの3者あり。
賛成者は一進会に近きものと、時勢の趨勢上已むを得ずと為すものとの2者あり。
然れども、多くは到底成立せざるものと予断し居るものの如し。
委細郵便。



統監府に於ける現況報告である。
なんつーか、「荒らしはスルー汁!」的な雰囲気を感じるのは私だけでしょうか?(笑)

で、もう一丁曾禰統監から桂首相への1909(明治42年)12月28日付『往電第47号』。


各地方も平穏なるの見込立ち、李完用も医師に確かむれば回復の見込あり。
就ては本官帰朝するも、差当り不都合無しかと考ふ。
種々将来のことに付御相談の必要もあり、且つ韓国の現況具申仕り度く、来る3日頃出発上京仕りたし。
御聴済ある様御配慮を請ふ。



三が日も終わらない内に東京へかぁ・・・。
病気もあるようだし、大変よねぇ。

続いては、一端行方不明状態となり統監府を慌てさせた宋秉畯等に関する報告。
1909(明治42年)12月28日付『憲機第2619号』から。


(12月24日憲機第2589号参照)(12月25日小倉憲兵隊長報)

一.事実
1.12月23日宋秉畯の行動に就ては異状なし。
其韓国方面との間発着の信書等、左の如し。
(一) 京城金時鉉より宋宛書面着
(二) 京城李範益なる者より宋宛書面着
(三) 京城金時鉉宛宋より電報を発す
2.福岡に向ひたる内田忠光(良平の兄)は、23日夜下関に来り濱吉旅館に宿泊し居れり。
又内田良平は24日朝鮮国より着。
川柳旅館に宿泊し居り。
新聞記者等は、良平を旅館に訪問せり。
右兄弟は互に文通し居れり。
3.宋は24日午後、春帆楼に於て内田良平と会見。
食事を共にし、約3時間の後各旅館に立帰りたり。

以上。



んー。
12月24日憲機第2589号も見つからないし、この時期の宋秉畯が何考えて行動してるか分かんないからなぁ。
ま、とりあえずそういう事がありました、としか言いようが無いな。(笑)

続いては、大韓毎日申報の記事に関する件。
1909(明治42年)12月28日付『憲機第2615号』から。


去る25日発行の大韓毎日申報論説に、京城日本人新聞記者団と題し、頗る皮肉の記事を掲載するに至れる。
内容に就き内査し得たる処に依れば、24日午後2時頃同社長英人萬咸、総務梁起鐸以下の社員等其社内に於て、邦人新聞記者団の日韓合邦論に対する之れが反対策に就て約1時間に亘る密議を凝らせし由にて、其発議者は梁起鐸なりと。
而して其要とする点は、過般来一進会が日韓合邦論を唱へしに対し、1、2の反対団起りし為め、大に其進行を阻害せしを以て深く憂慮するに及ばざりしも、今回日本新聞記者団なるものを組織し、日韓合併を唱導し、日本の輿論の喚起に力むるに於ては、1、2反対団の能く之れを防圧するを得ざる可し。
故に此際我社は普く二千万同胞に日韓の関係を説き、愛国忠憤之念を起さしめ、以て我三千里疆土及び二千万生霊の安全を期せざる可からず云々と云ふにありて、之れが為め、該記事を掲載するに至れるものなりと。

以上。



「萬咸」ってのは、マーハムの当て字かな?
当然というか何というか、プロパガンダの撃ち合い状態ですな。

で、次で28日付けの史料は最後。
龍山地方の状況について、1909(明治42年)12月28日付『憲機第2623号』から。


(12月25日憲機第2595号参照)(12月26日龍山分遣所長内報)

韓国耶蘇教徒40万を代表せる日韓合邦問題の宣言書の草稿を立案せる、龍山時報社長大澤龍次郎及美輪作次郎の所在不明なりしが、聞く処に依れば宣言書を脱稿せし後、鍾路青年会館に到り、翌24日夕刻各帰宅せり。
而して当分の間、該宣言書の発表を見合すことに決せりと云ふ。
其の内容は、或筋よりの警告に由るものなるが如し。

以上。



12月25日憲機第2595号も見つかんねーよ・・・。
これだけじゃあ、賛成の宣言書なのか反対の宣言書なのか分かんねーじゃねーか。
まぁ、どっちにしろ発表しないようだけど。
或筋って誰だろうなぁ?

さて、次は29日付けの史料になるのだが、一件しかない。
おまけに、この後の史料は1910年に入ってからになるので、合邦問題に関する1909年最後の史料という事になる。
それほど対した史料じゃないんだけどね。(笑)
安州地方の状況に関する、1909(明治42年)12月29日付『憲機第2630号』。


(12月24日安州管区長報告)

一.孟山郡守の千象河は、従来排日者にして此度の合邦問題を憤慨し、我憲兵及巡査に向て一進会員を誹謗し、且つ韓国に愛国心あるもの数百人ありなば、我は共に祖国をして今日の悲境に陥らしむることなし等を語れりと。
尚、同人の言語挙動に就ては注意内偵中。

二.郡守にして斯る状態なる地方韓民に於ては、尚深く事実を知らざるもの多く、従て何等著しき動静感情なし。
尚内偵中。



私の勘が、こいつは典型的な口だけ野郎だと言っています。(笑)
つうか、何でお前等同胞がした事で、日本の憲兵や巡査に不満をぶつけるのかと、小一時間説教してやりたくなりますな。(笑)

で、史料の中では一足先に無事に年越しを済ませまして、1910年の史料に入っていきます。
まずは、アジア歴史資料センターの史料から。
毎日のように行動報告がされる為、敢えてスルーしていた李人稙について、ちょっと興味深い記述があるのでメモ代わりに。
1910(明治43年)1月3日付『乙秘第5号』。 【画像(左側)


李人稙の行動

1日午前9時、大垣丈夫より端書到来。
11時30分、返書を発すると同時に、統監府書記官小松緑、国分象次郎に端書を発送す。

(中略)

以上。



大垣丈夫及び小松緑、国分は次郎じゃなく太郎で国分象太郎との文書のやりとり。
と思ったけど、単なる年賀状の可能性もあるな・・・。(笑)
まぁ、例え年賀状だとしても、それをやり取りする間柄だというのは面白いわけで。

続いても同じくアジ歴から、1910(明治43年)1月6日付『乙秘第14号』。 【画像1】 【画像2】


韓国合併問題に関する件

憲政本党某代議士は、韓国問題に関し左の如く語れり。

日韓合邦問題に関しては未だ党として協議には登らざるも、大石、犬養其他2、3党員間には、此際韓国を我国に合併し、同国の皇族を我国の貴族に列して之を内地に羅致し、茲暫く軍政的機関を敷き、以て政友会に交渉し、其同意を得て秘密会議を開き院議を以て政府に之が断行を忠告し、又場合に依り政府が強ひて反対せざれば、秘密上奏を為すも可ならんと内々話し合ひ居れり。
我党に於ては、一人として此説に反対する者なかるべしと信ずるが故に、自然事実となりて現はるるに至るならん。
而して、昨今新聞紙上に、我党は韓国問題調査の為、大内暢三を渡韓せしめたるやに記載しあるも、右は事実にあらず。
大内は、同地に事業を経営し居り、屡々同地に往来し居るもの■。
今回も、其用件にて渡韓するに付、同人の望みに依り派遣の名義を付し遣りたるに過ぎず、決して同人の調査の結果を待て之を云為せんとするものにあらず。
又、政府の内情に通ずる者の語る所に依れば、桂首相、寺内陸相、曽根統監の間には、来る3月を期し、合邦を断行せんとの意思既に定り居りて、之が為、来る2月に於ける同地駐屯兵交代の際には、一旅団位の軍隊を増遣する計画なりとのことなれば、右の言議は、蓋し政府に於ても喜ぶ所ならんと思はる云々。



いや、確かに増派は行われるんですが、6月に入ってから憲兵の増派が寺内から要請されるわけですしねぇ。
しかもこれとて「韓国警察事務委託ニ関スル覚書」と全く無関係ってことは無いでしょうし。
「政府の内情に通ずる者」って誰よ?と。
ああ、その前に、「憲政本党某代議士」って誰よ?(笑)

で、大内暢三。
10月28日のエントリー10月31日のエントリーでは統監府攻撃の目的で渡韓していたわけですが、まぁこの時も調査目的だと考えるのが妥当でしょうなぁ。

憲政本党(特に)って反政友会だと思ってたんですが、取りあえずこの問題に関しては、政友会と交渉し同意の上で院議で政府に合併の断行を忠告、と。

さて、本当に山県有朋や桂太郎や寺内正毅って、合併の積極推進派だったんですかねぇ・・・。


今日はこれまで。


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