うひゃひゃひゃ。
大晦日なのに間に合わねーの確定。(笑)
ま、いいや。
いつも通り先にいこ。

今日も、『2 〔明治42年〕12月29日から〔明治43年〕1月22日(伊藤公爵薨去後ニ於ケル韓国政局並ニ総理大臣李完用遭難一件)(レファレンスコード:B03050610400)』より。
1910年(明治43年)1月20日付『乙秘第139号』。 【画像】


韓人渡来の件

既報(客年12月18日乙秘第2784号)帰韓中の韓国留学生、合邦問題に関する注意人物、金益三及び金尚沃の両名は、本日午后2時10分新橋着汽車にて再入京。
神奈川県より尾行引継ぎを受く。
両名は、直に神田区小川町34番地旅人宿、矢澤直吉方に至り投宿せり。
目下、厳密行動視察中なり。
以上。



12月14日のエントリーで韓国に向かい、12月20日のエントリーで捕まった自称中央大学生の金益三他1名。
1ヶ月ぶりに帰ってきました。
マークされっぱなしです。(笑)

続いて、統監府からの報告。
1910年(明治43年)1月20日付『機密統発第110号』。 【画像】


合邦問題に関する情報、別冊4件為御参考及御送付候也。


さて、ここで別紙として『高秘発第7号』、『高秘発第16号』、『高秘収第6号の1』がまず付いているわけですが、それぞれ12月28日のエントリー及び12月29日のエントリーで紹介してきたため、今回は省略。
【画像1】 【画像2】 【画像3】 【画像4】 【画像5】 【画像6】 【画像7】 【画像8】 【画像9】 【画像10】 【画像11】 【画像12】 【画像13】 【画像14】 【画像15】

ってことで、次の1910年(明治43年)1月15日付『高秘発第49号』を見よう。
【画像1】 【画像2】 【画像3】 【画像4】 【画像5】 【画像6】


合邦問題に関する其後の状況

京畿道
水原郡居金宗漢は、日韓合邦も大勢既に定まり、今如何とも為し能はざるも韓国民として空しく黙過するに忍びず。
然れども、意見を発表せんが、言辞激越に亘り、日本官憲の怒に触れ、縲紲の辱を受くるなしとせず。
故に、時局に対しては緘黙を守り居るのみ。
合邦問題は一進会の提唱の如しと雖も、裏面には日本政府なる傀儡師アありて、李容九、宋秉畯を操縦するものたり。
傀儡師たる日本政府は、貪・(林の下に心)強慾飽くを知らず。
曾て清の属邦当時は、政府人民平穏にして暴徒は起らず、物価は安値、所謂国家泰平の兆ありき。
今にして思ふに、日本が独立せしむと称し清国との関係を絶たしめるは、却て韓国を亡す手段なりしなり。
日本、果して韓国を独立せしむるの意あらば、我国母を殺害するの理なし。
後日本は愈仮面を脱し、韓国を保護国とし、多額の金員を貸付したりと唱ひては彼れ自ら之れを費消し、同胞の得る所僅に3分の1にだも過ぎず。
合邦問題を彼の一進会なる木偶に提唱せしむるは、列国干渉の万一に備ふるものなり。
即ち傀儡師は、一度干渉に遭遇せば、韓民挙て合邦を絶叫せるものなりとし、巧に韓国を併呑せんとするものなり。
要するに日本は、韓民を樹梢に登らしめ、動搖して地上に墮落死に至らしめんとするものにして、如斯日本に師事するは堪ゆる処にあらず。
二千万同胞は、排日行動を為すは当然なり。
真に同胞が苦悶の窮境にあるを悲まざるを得ず云々と語り、悵然久ふしたりと。
又富平郡要視察人任章惇は、一進会の合邦提唱後既に2ヶ月を経るも毫も変化なし。
有識者の多数は、内心孰れも合邦せらるべしとの感想を抱けり。
思ふに韓国の現状は、名あるも実なく、皇帝上にあるも皇威下に行はれず、亡国と毫も撰ぶ所なし。
日本は、委任名義の下に既に法権を奪ひたり。
是恰も人体より手足を奪ひたると同じく、万事日本の意思如何に決し、陸上一兵なく海上一艦なく、何を以てか之を拒むべけんや。
徒らに口舌を労するも、何等の実なし。
合邦は、遂に止むべからざるに至るべしと語り、又同郡上吾丁面長金璡鉉は、合邦問題も大韓協会及国民の反対に依り消滅の姿となりたるは、実に韓国民の幸福なり。
合邦なるものは韓国の滅亡なれば、韓国民全部の死亡せると同一なり云々と。
又同郡守鄭雲衢は、曾禰統監の帰朝は、長谷川大将と交代せんが為なり。
若し大将統監とならむが、合邦を断行するや必せり。
実に曾禰統監の帰朝は、合邦問題の解決にありと認むべしと。
又仁川府内に於ける重なる者の説に依れば、韓国現下の状態よりせば、合邦も亦止むを得ざるべし。
然れども、彼の一進会の唱導するが如く寸時を争ふ要ある問題なりや否は、須く講究を要す。
今日の場合は、宜しく現状を維持し、統監政治の普及を図るにあり。
而も、尚其実を挙ぐる能はざるの障害に遭遇して、初めて合邦を遂行するは可なり。
苟も急遽事を為さんが、徒らに不測の禍乱を醸成するに過ぎざるべし云々と云ふにありと。
而して、近時合邦に対する韓人間の感想、巷説は逐日其声を潜め、今は殆んど之に言及する者なく、頗る平静の状ありと云ふ。

慶尚南道
河東郡大韓協会支会長は、郡内会員に別紙(第一号)訳文の如き檄文を配布したるを以て、之を禁止せり。

江原道 鐵原邑居趙鍾大は(耶蘇教徒にして、目下認可申請中に係る培英学校長なり)、大韓毎日申報支社長と称し、同地普通学校副訓導金明済、同朴榮喜及学務委員にして富豪なる姜大汝・李鳳正、雑貨商にして金昌胤等と団結し、合邦反対演説会を京城に開催し、一進会一派を攻撃せんと議せしも、更に合邦反対決議書を発表することに決し、金明済起草し、学校教員、面長、里長等約200名に調印せしめ、客月20日頃、在京城耶蘇伝導師全徳基に発送したりと云ふ。
本件は、警視庁へ取調方移牒せり。

黄海道
海州地方韓人(大韓協会員、弁護士学校教職員其他一般のもの)は、合邦問題に反対し、国民大会219名の調印ある別紙(第二号)の書面を発送せり。
而して一般民も、一進会の合邦宣言に関しては激昻し居る状況なるが、客月27日、安岳郡細洞面の路傍に別紙(第三号)の書面を貼付したるものあり。
又本月6日、忠清南道藍浦郡郷校直員より海州郡郷校校直員呉憲洙へ対し、別紙(第四号)の書面を送付し来れり。
依て所轄警察署にては、目下の形勢上他人に見聞せしむべからざることを説諭せりと。

平安北道
義州郡楊西面掲示台へ、別紙(第五号)の檄文を貼付したるものあり。
其何人たるや判明せず、現に調査中なり。

咸鏡北道
各地の政党支部又は之れが関係者は、互に自党の勢力扶殖に努めつつあり。
観察使尹甲炳の如きは、全力を挙げて一進会の勢力拡張に努め、会と共に一身を浮沈するの覚悟を以て活動しつつあり。
客月27日の如き、午後6時より夜半迄、自己の官舍に侍天教鏡城支会長韓景昊及一進会有力者金溶郁、并に地方両班儒生にして名望ある者15名を集め、一進会の執るべき方針を声明し、合邦問題に盡力すべきことを勧誘したるに、集会せる両班儒生等は其勧誘に従ひ、各自郷党を提げて一進会に入会の約成りたりと。
又、大韓協会も一進会に譲らざる運動を講ぜんとするものの如し。
要するに全く衰微振はざりし一進会も、合邦問題以来観察使尹甲炳の運動により、勢力を恢復しつつありと云ふ。

右及通報候也



まぁ、そんなに目新しい話があるわけでは無いんですが、取りあえず気になる処だけ。

まずは京畿道。
水原の金宗漢は、12月1日のエントリーで奥さんの病気のために国民大演説会の開催予定日に、上京が間に合わなかった人物である。
しかし、論理が今の韓国人や良心的日本人と変わりませんな。(笑)
今も昔も現実の見えてない人ってのは居るわけで。
まぁ、一番の笑い所は実はこの史料ではなく、親日派名簿に彼、金宗漢の名が載っているって事なんですがね。(笑)

江原道の趙鍾大については、12月26日のエントリーで取り扱った史料の方が若干詳しい。
でも、大韓毎日申報支社長と称しって事は、身分詐称・・・?(笑)

咸鏡北道では、観察使の尹甲炳の運動により、合邦問題で勢力が衰え振るわなかった一進会も、徐々に勢力を回復している、と。
これはちょっと面白い傾向ですな。

文中の各別紙については、それほど面白い事が書かれているわけではないので、省略。
確認したい方は、こちらから→ 【別紙(第一号)1】 【別紙(第一号)2】 【別紙(第一号)3】 【別紙(第二号)】 【別紙(第三号)】 【別紙(第四号)1】 【別紙(第四号)2】 【別紙(第四号)3】 【別紙(第五号)1】 【別紙(第五号)2】


ってことで、次が今年最後の史料となります。
1910年(明治43年)1月28日付『乙秘第110号』。 【画像1】 【画像2】


朝鮮問題同志会員の会合

本日午后5時より、桜田倶楽部に朝鮮問題同志会員

服部綾雄 大竹貫一 加瀬禧逸 金尾稜巌
小川平吉 三浦逸平 福田和五郎 繁野珠城
権藤震二 横矢重道 相島勘次郎 五百木良三
大谷誠夫

外三名会合。
大谷誠夫は、韓国の状況に付左の如く報告せり。

自分は五百木と共に同志会を代表し韓国に到り、一進会、大韓協会、統監府、韓国大臣、在韓本邦新聞記者団を訪問して、合邦問題に関し意見を闘わしたり。(梗概を叙述す)
記者団が内田良平に対し悪感を懐くは、内田が合邦問題を好餌に私利を計るに基づくものにして、其結果は延て一進会に反響せるを看取し、記者団と一進会の間を融和し、且つ同志会とも歩調を同ふすべく調停することを得たれば、爾後は相互気脈を通じ、合邦の遂行に努むるを得べく、尚統監府及韓国当路の合邦反対者も、記者団と一進会が邁進するに於ては、必ずや目的を達するべしと信ず云々と述べ、終りに、内田良平は合邦問題には熱心なるも、記者団との感情もあり且つ甚だ不評判なれば、我が同志会も彼を排斥せざるべからずと附言せり。

次に五百木も大谷と大同小異の報告を為し、終て3、4の質問に応答し、6時30分散会せり。

以上。



昨日の史料で韓国へ向かった大谷と五百木の報告会ですな。
つうか、お前等自体マスコミ人だったろ。
この報告も、思いっきり記者団に肩入れしてねーか?
で、統監府や韓国当局の合邦反対者も、一進会と記者団が団結して邁進すれば、合邦の目的を達する事ができるだろう、と。
民間とマスコミの圧力ですな。
で、おまけとして、内田良平は嫌われてるから、同志会も彼を排斥しないわけにはいかないだろう、と。
まぁ、主導権争いの延長にしか見えません罠。


ってことで、今年はここまで。
皆さん、良いお年を。


合邦問題(一)     合邦問題(十六)     合邦問題(三十一)   合邦問題(四十六)
合邦問題(二)     合邦問題(十七)     合邦問題(三十二)   合邦問題(四十七)
合邦問題(三)     合邦問題(十八)     合邦問題(三十三)   合邦問題(四十八)
合邦問題(四)     合邦問題(十九)     合邦問題(三十四)   合邦問題(四十九)
合邦問題(五)     合邦問題(二十)     合邦問題(三十五)   合邦問題(五十)  
合邦問題(六)     合邦問題(二十一)   合邦問題(三十六)   合邦問題(五十一)
合邦問題(七)     合邦問題(二十二)   合邦問題(三十七)   合邦問題(五十二)
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