今日から早速平常営業ってことで。
今日は『3 隆煕4年〔明治43年〕1月7日から〔明治43年〕2月18日(伊藤公爵薨去後ニ於ケル韓国政局並ニ総理大臣李完用遭難一件)(レファレンスコード:B03050610500)』より。
42画像目の、菊池忠三郎の行動に関する1910年(明治43年)1月29日付『乙秘第250号』。

菊池忠三郎の行動

日韓電報通信社長菊池忠三郎は、内田良平が退韓後、同人に代り一進会操縦の任に当り居りたるが、今回李容九の内命を銜し、杉山茂丸、内田良平と会し善後策を講ぜんが為め帰朝せるものにして、着京後は日々杉山及内田と会し協議を重ねつつあり。
始め日韓合邦論の起るや、一時韓国の政界を賑はしたるも事予期と齟齬し、今や頗る窮状に陥り、殊に近く合邦の成功を期するの見込なく、今や一進会は土崩瓦解の悲境に瀕し、此侭推移せば一進会は遂に暴徒に変ずるの虞なきにあらず。
茲に於てか李容九は晏汝たる能はずして、菊池をして■意を齎らせるものなるが、内田は此際一と先づ一進会と絶縁する方得策ならんとの意見なりしに、杉山の抑止する処となり、一進会最後の手段として合邦論を唱導したる以来今日までの経過を叙したる意見書を起草し、朝野の縉紳に頒ち、以て頽勢を挽回せんとするに決し、目下菊池の手に於て起草中なり。

附記

菊池は28日訪客に対し、左の如く語れり。
一.自分は、客年9月渡韓の上、日韓電報通信社を引受けたるものなり。
一.今回帰朝せしは、国家の為め対韓政策を確定し、且つ其進捗を計らんが為めなり。
一.自分等は、韓国民の希望せるを好機をし、合邦の■を容れんことを望む。
現に満州鉄道中立提議の如きあり、将来に於て韓国に関する提議なきを保せず。
一.是れ今日に於て速に合邦の議を容し、列国をして■■■■議■為す能はざらしむるの要を見る。
一.韓国が愈我が版図に帰する以上、韓皇は帝国皇族の如き格と為し、日本全国3分の1ある土地人民を差出す代りに、4、50万円の世襲財産を与ふる位のこととせば、韓国民は決して服せざることなきを信ず。
現に一進会は勿論、負褓商、耶蘇教徒を始め多数の国民は、挙て合邦を希望しつつあり。
一.自分は大学を出でし後京浜間に在り、一度洋行し、帰朝後後藤逓信相の書生となり、満韓露国等を■■し、遂に渡韓することとなれり。
一.自分は用済み次第、明日にも帰韓する筈なるが、此処一週間位は滞在の要あらんか。

以上。

菊池が今日迄交通せる重なる者は、

杉山茂丸 内田良平 江藤恒策(熊本県人鉱山業) 倉辻明義(やまと新聞記者)

菊池は、27日在京武田範之(104字)、馬関大吉楼宋秉畯(98字)の両名に、暗号電報を発信せり。
菊池忠三郎、杉山茂丸、内田良平は、一進会の合邦声明後予想に反して窮状に陥り、合邦成功の見込みも無く、このままいけば一進会は瓦解し暴徒に変ずるかもしれないということで善後策協議、と。

また、内田はひとまず一進会と縁を断った方が得策だろうとの意見だったけど、杉山茂丸に抑止され、菊池が起死回生の意見書を起草中。
つうか、12月3日のエントリーなどで「合邦提議の真相」なんて出しちゃってるわけで、意味あんのか、と。

そして、内田が述べた縁を切るってのは、内田だけなのか、杉山や菊池も含めてなのか。
いずれにしても、かなり自信を失ってるようで。

でも、菊池忠三郎は訪問客に対しては、一進会は勿論、負褓商、耶蘇教徒を始め多数の国民は、挙て合邦を希望している何て、未だに言っちゃうわけで。(笑)
で、まぁ彼の言う合邦っつうのは、見て貰えば分かるとおり合併なんですね。

続いて、51画像目の1910年(明治43年)2月3日付『乙秘第386号』。

菊池忠三郎帰韓の件

合邦問題に関し、杉山茂丸、内田良平に会見の為め帰朝中なりし日韓通信社長菊池忠三郎は、昨4日午后3時40分新橋発、帰韓の途に就けり。

以上。
こうして、杉山及び内田と会談を為した菊池は、再び渡韓する、と。
で、この後、一部で有名な「桂首相から杉山茂丸への内訓」と称する文書の話が、頒布されるわけです。

『統監府文書10』から、曾禰統監から桂首相への1910年(明治43年)2月16日付文書より。

別紙憲機第471号菊池忠三郎に関する件、本官に於ては素より信用致さず候へ共、兎に角右様の報告有之候條、御参考の為め及御送附候也。

○ 別紙
菊池忠三郎に関する件
憲機第471号 寫本

一.一昨8日帰韓せし菊池忠三郎は、訪問者に対し大要左の如く語れり。
 (イ) 韓国問題も議会開会中は其儘にて置かるるが、議会閉会後は必ず何等かの解決を見る事あるべし。
 (ロ) 一進会の行動は、其筋に於て既に是認せられ居れり。
 (ハ) 年末に合邦論の梗概と題する印刷物を東京に於て配付せしが、漸次新聞雜誌にも記載せしむる計画を為し、帰りたり。
 (ニ) 今回桂総理より、別紙の通り内訓ありしに付、自分は昨夜帰韓すると直に会長に此旨を告げ、会長は今日(9日)総務員会を開き、会員一同に別紙内訓の主旨を貫徹せしめ、一層此際慎重の態度を取り、時機来るを待つ事に決したり。
 (ホ) 別紙内訓は総理が杉山に口頭にて達せられたるも、口頭にては証明困難なるを以て、桂侯の面前に於て筆記し、総理の証認を受けたるものなり。
而し之れは秘密にしてあるから、其積りで含み置かれたし。
 (ヘ) 尤も、日韓関係の重なる官憲には、桂侯より夫々内訓になりて居るが、一進会の機関新聞にも之れ丈けは掲載せぬ事に致し置けり。
為念申添ふ。
 (ト) 自分(菊池)は平和的の事を為し、決して粗暴の事も致さず、又国家の害になることは為し居らざる筈であるが、何故か探偵に始終尾行せられた。
是れには試に困つた。
宿屋料理屋にては面目を失ふたことも屡々あり、其筋より其宿料理屋に就き自分の出入及訪問先等を尋ねらるるから、自分は何か犯人の如く思はれ、殆んど閉口したり云々。
以上。

明治43年2月10日

○ [附属書]
本日、桂侯爵より拙者へ左の内訓ありたり。

一.一進会及其他の合邦意見書は其節に受理せしめ、合邦反対意見書は悉く却下し居ることを了解すべし。
二.合邦論に耳を傾くると然らざるとは、日本政府の方針活動の如何にある事故、寸毫も韓国民の容喙を許さず。
三.一進会が、多年親日的操志に苦節を守り、穏健統一ある行動を取り、両国の為め盡碎し来りたるの誠意は、能く了得し居れり。

右3條は、尚ほ当局の誤解なき様、其筋に内訓を発し置くべし。

右の内訓を聞くと同時に、拙者は一進会に左の事を開陳すべし。

一.一進会の誠意は、已に十分日本政府に貫徹し居れるを証すると同に、頗る同慶の意を表すべし。
二.一進会が政治を批議するの状態は過慢放恣にして毫も保護国民の姿なく、其不謹慎の言動は、頗る宗主国民の同情を破壊するの傾あり。
三.常に党与の間に動揺の状態を以て、間断なく空論に属する政治意見を提げ、総て不遜の言動を以て、政府の政治方針を己れの意見通りに左右せんとするの観を示すは、頗る戒飭を要すべし。
四.政治を論議する志士にして、官吏に対する感情より常に慷慨を懐くは、耳を傾くるの価値なきを自覚せらるべし。

一進会にして、右等の事を知了せずして尚ほ言論運動を擅にせんと欲せば、拙者と関係を断ち、自由の行動を執らるるは隨意たるべし。

明治43年2月2日
杉山 茂丸
一般に出回ってるのは、出典が海野福寿編『外交史料 韓国併合 下』らしいですが、この史料における杉山茂丸への内訓とされる附属書だけですね。
海野福寿自体が、どのような引用の仕方をしているかまでは調べてませんが、ネット上でこの部分だけ引っ張ってくる人は、かなり杜撰。
海野福寿がこの部分だけを引用しているとしたら、海野が杜撰。
曾禰は「素より信用致さず」として、桂に取りあえず報告しているわけです。

で、菊池の言っている事はどうかと言うと、「別紙内訓は総理が杉山に口頭にて達せられたるも、口頭にては証明困難なるを以て、桂侯の面前に於て筆記し、総理の証認を受けたるものなり。」って・・・。
凄い強引だと思うのは私だけでしょうか?(笑)
秘密にしなければならないものを、口頭では証明できないからと言って面前で筆記し、桂から証認を受けたってのは無理ありすぎ。

まして、冒頭の『乙秘第250号』で合邦成功の見込みも無く、このままいけば一進会は瓦解し暴徒に変ずるかもしれないということで善後策を協議しているわけで。
杉山の話の中身も、見てのとおり一進会が暴走しないように戒める方向で話されている感が強い。
で、日韓関係の主な官憲には、桂首相からそれぞれ内訓されているが、一進会の機関新聞にもこれだけは掲載しない事にしたって・・・。(笑)
曾禰は「素より信用致さず」と述べてますが?
どう見ても、嘘というかでまかせの確率の方が高いでしょうね。

肝心の内訓の中身についても、一進会の合邦意見書を受理させたのは事実ながら、合邦反対意見書も受理はしているわけで。
おまけに「寸毫も韓国民の容喙を許さず」なら、一進会も同様じゃん、と。(笑)
で、これ以上言論運動すれば一進会から手を引く、と。

ええ。
ある意味「終了宣言」です。(笑)
要するに、先ほどの内田の一旦一進会と絶縁するべ、という話と、言論運動止めるのと、両天秤にしてるわけですね。
合邦論を唱導したる以来今日までの経過を叙したる意見書」って、これじゃないよね?(笑)


さて、これだけ信憑性に欠ける史料を、巷間どのように補強し或いは信じて使っているのか、全く疑問。
恥ずかしく無いんだろうか?
無いんだろうなぁ。(笑)


ってことで、次回連載60回にしてようやく終了、っていうか不明な処も残ってるので「一区切り」かな?
今日はこれまで。


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合邦問題(二)     合邦問題(十七)     合邦問題(三十二)   合邦問題(四十七)
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