60回っつうと、丸々2ヶ月ですか・・・。
350人前後の読者の皆さん、良くついてきて下さいました。
今日で、今回の合邦問題に関する連載は一旦終了です。
前回の最後に紹介した文書を以て終了宣言として取り扱っても良かったんですが、あと何個かの史料が残ってますので、ここ迄やったんだからそれを紹介してからでも遅くは無いっつうことで。(笑)

では早速、『統監府文書10』から、曾禰統監から桂首相への1910年(明治43年)2月21日付文書。

別紙寫の通、石塚総務長官事務取扱より来電有之候條、為御参考及御送付候也。

○ 別紙 来電第71号(暗号寫木)
明治43年2月20日
石塚
曾禰統監

李・宋会見の内容、亀山に取調べしめたるに、昨夜左の返電あり。

宋・李の会見は、十数日以前山縣侯から首相、寺内陸相との協議に依り、愈韓国合併のこと決せられ、一進会従来の行動を是認し、将来は帝国政府に於て引受け、之を遂行すべしとの覚書の交付を受け、且つ之れが実行は議会閉会後なるを以て、之れに関し互に研究し置くとの口達ありたるに就き親しく相談の必要起りたるが為めと、小官并に警察署長に対し明言せり。
以上の覚書等のことは、杉山茂丸馬関に於て宋に告知したるものの如く、宋は之を携へて来釜し、宋・李の両人は、数日に亘り協議せる事項は、凡そ(一)合併の形式、即ち王室の存続如何、之れに対しては、当分王室の存置を欲するものの如く、(二)合併決行の当局者は、李完用内閣に強ひて屈服するものなれば之をして続行せしむるも、否らざれば相当の内閣を組織せんとし、尚統監の身上に関しても云為する処あるものの如く、(三)合併後の統治機関は寧ろ統監府を廃し、従来の如く韓内閣のみとし、之れに日韓しなのを混用せんことを欲し、(四)大臣両班等の処分に関しては、大臣等は兎に角、両班に族禄を与ふるが如きは、絶対に反対すること、(五)一般人民の幸福を増進し、之をして悦服せしむる方法は、殖産工業に力を用いんとること、且つ之を以て合併に対する人心の鎮撫方法となすこと、(六)合併に対する人心の動揺を防ぐ方法は、一方地方有力者を丸めるのみならず、両班には何等救済を与へざるも、一般人民には大に殖産上の保護を与ふることを声言し、且つ之を実行すること、(七)外国宣教師の件其の他外務に関する事項にあるものの如し。

李は昨夜行にて京城に、宋は明日の連絡船にて馬関に帰ると云ひ居れり。
尚今夕両人と会合する筈に就き、聞き得たる点は更に報告すべし。
えーっと、この時点で既に李容九等一進会側と、内田を始めとする一進会の顧問的立場にある人間の、合邦或いは合併に関する内容の齟齬が生じてますね。
何やら、李容九は死ぬ前に武田範之に宛てて「杉山・内田・武田の皆さんが人に欺されたのであるか、宋・李の二人が人に欺されたのであるのか」と語ったそうですが、今まで見てきた限りでは「そうですね。杉山茂丸にまんまと騙されましたね。」だわな。

それ以前に、合併の形式について何故かこん時に協議してるじゃん、って突っ込んだ場合には、ホントに李容九そんな手紙出したのか、と。(笑)

続いても『統監府文書10』から、曾禰統監から桂首相へ。
1910年(明治43年)3月2日付『号外』より。

別紙寫の通、石塚総務長官事務取扱より来電之候條、為御参考供閲覧候也。

○ 別紙 来電第87号

本日、日韓通信社及電報通信社に達したる東京電報に依れば、日本の廟議は韓国合併に一決し、議会閉会を侍って発表せらるべく、其形式は、日韓政府之を宣言すると同時に列国に声明する所あるべしと云ふにあり。
右記事は人心動揺の虞あるにつき、之を取消すこと并に日韓新聞紙に掲載せざる様注意し置けり。
日本政府が韓国併合実行の閣議決定をしたのは、この後の1910年(明治43年)5月27日。
ってことで、これは菊池忠三郎や内田良平、杉山茂丸による飛ばし記事というか、工作の可能性が高い。
掲載を禁じられて当然ですね。

次が、今回の連載最後の史料となります。
『統監府文書10』から、曾禰統監から桂首相への1910年(明治43年)3月8日付『号外』より。

別紙若林警視総監報告、警秘第77号為御参考供御閲覧候也。

(2月21日警秘第65号)、参考として寫添付す。

○ 別紙 警秘第77号
一進会に関する件

既報、一進会は邇々政務研究会を開き、各支部長を召集し、夫の桂首相より杉山茂丸に内訓せられたりと称する3個條を示し今後の軽挙妄動を戒むとの議は、其後之を中止せりと云ふ。
其内容は、右3條件を支部長に示すときは殆んど之を公表すると同様の結果を来し、国民の動揺を醸すの恐れありとの議出たるに依るものなりと云ふ。
右及報告候也。
2月21日付『警秘第65号』については内容不明。
で、前回の「桂首相から杉山茂丸への内訓」と称するものを各支部長に示して今後の軽挙妄動を慎むというのは、公表するのと同じになってしまうので中止と。
一進会側は機密だと思ってるんでしょうなぁ。

この後合邦問題は、一進会側はどうせ自分等の意見が受け入れられて合邦されるからと反対派を相手にせず、反対派は合邦が成立するはずが無いと高をくくって一進会を相手にせず、急速に問題は沈静化するわけです。


ってことで、なんか尻切れトンボな終わり方ですが、合邦運動自体が尻切れトンボなんだからしょうがない。(笑)

それではここで、今回の連載、合邦問題に関する総括をしてみましょう。
まず、巷間言われているような日本政府の主導という話は、非常に眉唾ものであるという事。
日本政府の関与は、騒擾とならないような努力の範疇でしか行われていません。

そもそも日本政府が主導したのであれば、ドイツ連邦などが例として出されている上書にするはずが無いわけで。
また、桂は韓国皇帝に対する上書について、一旦は差し戻しする事を認めており、この点からも日本政府の関与は否定されるのではないかと。

次に、「合邦」と「合併」について。
良く言われる、一進会が目指していたのは合邦であって合併では無いとの事について、一進会の想定する合邦の形が史料に出たのは、今回の1910年(明治43年)2月20日『来電第71号』が最初。
ちなみに、先ほど言及したドイツ連邦の話にしても、曾禰統監への上書及び李完用総理への上書には見えますが、純宗皇帝への上書及び合邦声明書にはその記述は存在しません。
合邦反対派も、一進会の言う「合邦」を「合併」と捉えて批難しているのが殆ど。
要は、明確な定義づけがなされて問題提起された訳ではない話。

附言すれば、内田良平や杉山茂丸といった一進会の顧問連中も、述べている事は「合併」であって「合邦」ではないわけで。
結局この問題における「合邦」と「合併」というのは、11月6日のエントリーで曾禰統監の述べた見解、「合邦の意味は連邦なるが如く又合邦なるが如く見え、甚だ不明なり。」のまま推移しているんですね。

良く反論として出される、合邦声明翌日の国民大演説会については、それ以前から開催日は決まっていたのであり、合邦宣言が出されたから開かれたわけでは無い。
また、国民大演説会において「一進会の挙を排斥し、以て今日迄に温めたる日韓の親睦を、以て冷かならざらしめんことを切に望む」とされているように、国民大演説会や大韓協会を始めとする一進会の合邦論反対派の団体は、保護統治そのものは認めている場合が多く、併合に関して時期尚早派も多数見られるわけで。
勿論、個人としては一方的な排日論を述べている者も居る。
さらに言えば、一般民衆は何が起きているかすら分からない者が殆ど、というのが実情でしょう。

尚、李完用が買収等により反対運動に関与しているという噂があり、韓国政府内に於ける対応などをみても、彼が一進会の合邦論に反対だったことは明確なわけですが、その運動の最中に李在明により刺されたりもする。
併合時期尚早派の伊藤を暗殺した安重根といい、李在明といい、阿呆ばっかり。

日本側に於て積極的に世論を併合に煽っていたのは、自由民権運動→対露同志会の経緯を辿って結成された、朝鮮問題同志会(対韓同志会)。
おまけで、この対韓同志会は、内田良平らを情報源として統監政治つまり政府の対応を非難していたグループでもあります。
民衆を煽り、世論に乗って政府を攻撃するというのは、自由民権運動から続く、彼等の一定の手法ですね。

で、在京城日本人記者団は、内田良平の手柄一人占めが嫌で一進会の合邦論反対。
これが元で、後に対韓同志会においても内田良平の締め出しが決められる、と。

で、尻切れトンボで終了。

なんか、細かい部分で忘れてる事もあるかもしれないなぁ。
誰か、これもまとめに入れておいた方が良いよ、という追加項目があれば、コメント欄にて御指摘下さいませ。

では、長期に渡る連載にお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。
これにて。


合邦問題(了)



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