さて、前回は『駐韓日本公使館記録9』によって言及したわけですが、小村から李完用ってことで、対外的な嘘ではないかと思う方も居るかもしれません。

しかし、勿論アジ歴にも記録は存在します。
まぁ、他にも『駐韓日本公使館記録』などで、史料有るのが分かってるのに出揃って無い処が、「相変わらず仕事おせ~なぁ~」と愚痴をこぼしたくなる所以なわけですが。(笑)
まぁ、アジ歴のせいじゃなくて、外交史料館の文書管理がなっちゃいないという噂もあるんですがね。

とりあえずそのアジ歴の史料を見てみましょう。
史料は、『公文雑纂・明治二十九年・第十一巻・外務省三・外務省三/在仁川領事館事務代理萩原守一ヨリ仁川港ノ情況ニ付続報ノ件(レファレンスコード:A04010024500)』。
1896年(明治29年)4月6日付『公第68号』から、該当部分を抜粋。

二.平壌附近に於て日本人の被害

3月9日、黄州治下浦に於て長崎縣平民土田譲亮が韓人の為めに殺害せられたる顛末は、当時平壌出張中の京城領事館警部平原篤武に於て詳細調査の上、当館附警部新納英彦に該件を引渡せり。
今其顛末を、現場より逃れ来りたる同人雇韓人より、口頭を以て在平壌平原警部に届出でたるを以て、事実取調の為め、同警部は巡査田中仲之助、税所珪介及朝鮮巡検5名を引率し、翌13日和船に乗じて平壌を発し、15日治下浦着。
同村民及土田が宿泊せし旅店主に就て尋問するに、土田は同月8日、黄州十二峯より韓人1名と共に韓銭6俵其他の貨物を小舟に搭載し鎮南浦へ赴く途次、同夜治下浦に着し、翌9日午前3時上陸して、同所旅人宿李化甫の家に到り、朝飯を喫し、将に乗船せんとして前庭に出しに、同宿の韓人4、5名、突然鉄棍を以て其背部を打ち、終に之れを撲殺して死骸を江中に投じ、直ちに船に至りて其所持せる韓銭其他を奪ひ、韓銭は之を宿主に預け、其の携帯品を奪て海州方向に遁走したりとの事にて、当時血痕尚ほ土に印せりと。
依て嫌疑者宿主の妻(当時宿主は遁走して家に在らず)、村民其他を引致し、発見したる韓銭其他を携へて、16日平壌に帰り種々詰問したる末、右は全く同宿旅人の所為なること判然として、各地方官に加害者の逮捕方を依頼し置たりとの事なり。
右土田譲亮は、長崎縣対馬国下郡厳原のものにして当港貿易商大久保機一の雇人なるが、商用の為め客年10月より鎮南浦に至り、後11月4日更に転じて黄州に在りしも、3月7日同地を発して帰仁の途次、終に此厄に罹りしものなりと云ふ。
依りて、遺留財産は右雇主に引渡し、其他同人死亡に関はり親族への通牒方等は、右雇主に命じ置けり。
ええ。
彼、今で言う長崎県対馬市厳原町出身の商人とされてるわけです。
仁川の貿易商、大久保機一に雇われて、商用で鎮南浦から黄州を回って仁川へ帰る途中に殺されたんですね。
しかも、韓国人4、5人に鉄棍で撲殺。
で、金は宿主に預け、所持品を奪って逃亡、と。
義挙?

単なる複数犯による強盗殺人じゃね?

続いて、再び『駐韓日本公使館記録9』の史料を見てみましょう。
本文はあまり重要ではない(笑)、1896年(明治29年)5月30日付『機密第41号』。

去2月11日の事変の前後に当り、当国各地に於て我人民に危害を加へたる朝鮮人の処分に関し、朝鮮政府と談判の模様并に右に関する卑見、去4月6日付機密第23号信を以て委■具報及置候処、其後引続き各領事の報告に依り本官より朝鮮政府に処分を要求致居候。
今日に至り、右被殺害者数43名、負傷被虐待者数19名相達候。
而して朝鮮政府に於ては、我要求に対し速に処断すべき旨、毎次回答し来り候。
我第1回の要求を提示して以来2ケ月余を経過し、数回厳重なる督責を受たる今日に於て、尚ほ未だ井出常太郎に関する1件を除く外、未だ何等の結局を見ざるは誠に不都合の至に存候(井出常太郎処分1件は京城領事より報告済に付略す)。
■又我被害者に関し朝鮮政府へ要求すべき件に付ては、去3月11日電報並に前号機密第23号信を以て具申致置候次第有之候処、4月10日附を以て「本邦人被害事件に関しては、3月16日付電信を以て御訓示の次第も有之候得共、3月11日附を以て本官より申出候通り、此際更に朝鮮政府に向て要求すべし」と御電訓相成候。
依て、時機を見計らひ早速右の要求方提出致す積りの処、当時は露公使との協議1件未だ結着不致、王妃殺害事件審問、政府部内の動搖等内外人民の注意を惹く事件迭出して、今日に至る迄適当の時期を認めず候処、這回本官帰朝を命ぜられ候に付ては、出発前に当り之を提出し置くこと必要と存候に付、本日を以て別紙乙号の通り照会致置候。
今日新に提出したる要求の中、生命及身体上の損害を償金額14万6,000円と算出致候は、被殺害者に関しては兼て電稟致候通り1名に付5,000円、負傷者及被虐待者に関しては各自申出の金額、若くは本官の評定したる額(別紙丙号)を以定めたる総計にて、更に之を類別すれば、被殺害者20名に対する金額14万円、負傷者及被虐待者14名に対する分6,000円に有之候。
将又被殺害者43名の中、29名を限り損害を要償致候義は、右29名は純然たる行商者若くは旅行者にして、其被れる損害に付朝鮮政府に要償するの理由充分ありと認むる者なれども、其他は電信工夫、軍夫、若くは測量班員等にして、即ち朝鮮政府にのみ責を帰すること能はざる者に有之候。
即ち、電信工夫の如きは元より電線守備隊に於て之を保護すべき者なるのみならず、其筋の命に依り危険を犯して行動する者なれば、万一の場合之を救済するの責を其筋に存すと云はざる可らざる義有之候。
測量班員に至ては、表面旅行者として内地に立入し者に候はば、朝鮮政府に其責を負はしむること能はずと云ふにあらざれども、是等の人達も亦た其筋の命に依り進退致候者に候はば、万一の場合に於て之を救済するの責罰、命令の出処の其所にありと云はざる可らずと相考候に付、是等の人員の被害に対して、朝鮮政府に要償致す事穏かならずと認め候に付、前條通り取計たる義に有之候。
負傷者、被虐待者に関しても、右同様の理由に依り19名の中5名を省き候。
尤も、右は本官限りの内定にして、朝鮮政府に対しては無論被害者総数に対する賠償として前記の金額要求したる義は御承知相成度候。
尚又、財産上の損害に付いては、調査上困難の次第有之。
別信を以て請訓致置候に付、追て御指揮を得て相当の手続を盡したる上、要求可致と存候。
右、本件今日迄の成行別紙相添及具報候也。
ざっくばらんに言えば、損害賠償請求ですね。
日本人の被害者数、この時点で62名。
そのうち、殺害された者43名、負傷及び虐待を受けた者14名。
死者43名のうち、29名は純然たる行商者或いは旅行者で、残りの14名は電信工夫、軍夫、若くは測量班員。
負傷者も、計19人のうち5名は電信工夫、軍夫、若くは測量班員である、と。

ただ、被害額の算定の被殺者1名に付き5,000円で20名で14万円というのが、全く意味不明。(笑)
つうか、1人5,000円で14万円なら28名だなぁ・・・。
まぁ、取りあえず置いておいて、これに附属する被害者リストを見てみましょう。

帝国民庶遭害に関し朝鮮政府と交渉月日表

遭害区別 照会月日 回答月日 身分 姓名
殺害 三月十八日 三月二十六日 売薬行商 井上誠之助
電信工夫 池畑兼太郎
電信工夫 三橋藤次郎
陸軍雇△旅行 米田豊吉
  〃 △ 〃 近藤卓爾
電信工夫 新井林吉
役夫 船越福松
電信工夫 立石参次郎
囑託 中田保吉
雑貨行商 吉岡藤十
陸軍雇△旅行 橋本留三
電信工夫 辻繁吉
  〃 田中彌市
  〃 井出常太郎
売薬及雑貨行商 遠藤松五郎
  〃 同人妻リヨ
行商 近藤栄藏
売薬商 吉崎祐太郎
三月三十一日 四月四日 売薬商 土田讓亮
四月四日 四月七日 漁業者 土橋佐久馬
  〃 村上多市
  〃 村上多作
  〃 田中貞吉
  〃 山崎金次郎
  〃 田中伊三郎
  〃 田川仁右衛門
  〃 大藏
  〃 平仁右衛門
  〃 小川平吉
  〃 尾崎徳二郎
  〃 尾崎庄太郎
  〃 角岡米市
  〃 山池甚太郎
  〃 宮田初太郎
四月九日 四月十日   〃 今弘重吉
  〃 川添秀明
  〃 中村熊市
  〃 木曾與右衛門
医師 山野好敏
四月二十八日 四月二十九日 電信工夫 山田友吉
  〃 下村藤吉
陸軍測量手 植田鹿太郎
  〃 小川茂幾
負傷 電信工夫△軍役夫 新井房吉
△陸軍雇旅行 東儀文美
△陸軍雇旅行 泥堂谷之助
△  〃 美田萬壽之助
△車夫 瀧野與三郎
売薬 吉富幸三郎
大工職 岡田直吉
林田貞十
  〃 酒見敬吉
漁業 桑岡竹次
  〃 山村善太郎
  〃 橋浦寅太郎
  〃 鷹野一次郎
雑貨及売薬行商 太田良三郎
  〃 白石亀三郎
受害者 五月二十八日 五月三十日 雑貨行商 山口久治郎
  〃 大国保国太郎
  〃 平田兼作
  〃 坂口己一郎

注意:身分上に△印を附したるは、朝鮮政府に対する照会に用いたる名称なり。


被殺害者43名、負傷者等19名。
被殺害者のうち、電信工夫、軍夫、若くは測量班員は、上から順に池畑兼太郎、三橋藤次郎、米田豊吉、近藤卓爾、新井林吉、船越福松、立石参次郎、中田保吉、橋本留三、辻繁吉、田中彌市、井出常太郎、山田友吉、下村藤吉の14名ということになります。

というわけで、土田譲亮は薬売りでした。

続いて、文中の『別紙乙号』は飛ばして、『別紙丙号』を見てみましょう。

職業 姓名 就業 1日間 就業費全額 休業日數 一日間休業損害 休業損害総額 合計
売業行商 吉富幸三郎 14日 2円 28円 31日 3円 93円 121円
大工職 岡山直吉 20日 1円75銭 34円94銭 34日 1円20銭 40円80銭 75円74銭
林田貞十 27日 2円9銭 56円48銭 27日 2円 54円 110円48銭
酒見敬吉 56円48銭 27日 2円 54円 110円48銭
漁業 桑岡竹次     10銭 3日 2円 6円 6円10銭
山村善太郎     10銭 3日 2円 6円 6円10銭
橋浦寅太郎     10銭 3日 2円 6円 6円10銭
鷹野一次郎     3円 7日 2円 14円 17円
行商 太田良三郎 7日 2円 14円 33日 3円 99円 113円
白石亀三郎 7日 2円 14円 33日 3円 99円 113円
山口久次郎       27日 3円 81円 81円
大久保国太郎       27日 3円 81円 81円
平田兼作       27日 3円 81円 81円
坂口已一郎       26日 3円 78円 78円
合計 1,000 円



ということで、負傷者及被虐待者14名に対する分6,000円ではなく、負傷者及被虐待者14名に対する分が1,000円、被殺者1名に付き5,000円で29名分で14万5,000円。
合計額は変わらず、14万6,000円というのが正解。

ちなみにこの損害賠償、約9年後の1905年(明治37年)になって、4分の3に減額されてようやく支払いが行われます。
理由。
日本側が大韓帝国の財政難を理解していたから。
昔から変わらず、半島には大甘ですな。

ということで、土田譲亮は、仁川の貿易商大久保機一に雇われた、長崎県対馬市厳原町出身の薬売りであり、韓国人4、5名によって鉄棍で撲殺され、電信工夫、軍夫、測量班員等が算定基礎から除外された損害賠償についても、彼は算定基礎の対象とされました。

で、金九が殺した土田譲亮って、誰?


(了)



金九は誰を殺したか(一)