さて、改正理由については前回までで終了したわけですが、朝鮮の姓や本貫について、面白い史料が添付されてますので、今日はそちらを見ていきたいと思います。
ま、直接創氏改名に関係ある話では無いんですが、残しておくと気になっちゃうので。(笑)
大した事が書かれてるわけでもないので、コーヒーブレイク気分で見ていただければ、と。

ってことで、史料は相変わらずの『公文類聚・第六十三編・昭和十四年・第百巻・司法一・裁判所・公証人・民事(民法・商法)/朝鮮民事令中ヲ改正ス・(壻養子制度創設及之ト関係スル氏ニ関スル規定)(レファレンスコード:A02030160700)』から。
当該部分は、朝鮮総督府編の『朝鮮の姓』という本からの引用になっています。
これは恐らく、朝鮮総督府臨時国勢調査課の出した、朝鮮総督府国勢調査報告の内の一冊では無いかと思われます。
これも結構長いので、多分ちゃちゃ入れながら進めていく形になると思いますのでヨロシク。

姓と本 (朝鮮総督府編 「朝鮮の姓」 5頁乃至11頁)

朝鮮の人には内地の人に氏と名とがある如く、何人にも必ず姓があり、姓と名に依りてその人が表示されて居る。
ただ従前は奴婢は姓を用ふることが許されず、僧侶も出家と同時に全く俗縁を離れるので、姓を用ふることはなかったのであるが、今日に於ては奴婢の如き階級は撤廃され、僧侶も亦その職業を認めることになって、これ等の人達も一般の人と同様に姓を用いて居る。
朝鮮に於ては姓と氏との区別が厳格にされて居らぬ為めに、姓は往々氏と混同され、例えば金姓・李姓・朴姓・鄭姓・尹姓のことを金氏・李氏・朴氏・鄭氏・尹氏と称され、普通に姓のことを姓氏と書き、「大東韻玉」といふ字典を見ても、姓の字の註として、氏人所生也と■し、「刑法大全」にも姓と貫との同じ人のことを、氏貫■倶同■人と記して居る。
へぇ。
奴婢が姓を名乗る事を許可されてなかったのは知ってたけど、僧侶も姓は使わなかったんだ。
通称とか号とかだったのかな?
で、奴婢のような階級は撤廃されて、僧侶も職業として認められるようになって、一般人と同様に姓を使っている、と。

そして、朝鮮では姓と氏が厳格に区別されてないので、姓が良く氏と混同される、と。
これは当時の朝鮮人に限らず、創氏改名の論争なんかを見ても、現代日本でもこの区別がかなり曖昧になってるわけですがね。
氏と姓の違いから説明しなきゃ駄目なんてのは、結構良くある話です。

朝鮮の人の姓は、人の名を構成する点に於ては内地の人の氏と全く同じであるが、姓は内地の氏の如く家の名でなくして全く人の名である。
換言すれば、姓は家に附いたものではなく人に附いたものであるから、仮令その人の家は変わってもその姓は変はることはないのである。
これ即ち朝鮮に於て戸主と家族との姓が異なり、また夫と妻との姓が違って居るのに徴しても、氏と姓とは全然別個のものである。
古代の母系時代は別として、父系時代になってからは、元来姓は父から子へ伝はるもので、人の姓は父の姓に因って定まることになって居り、例えば、父が金姓であれば子は必ず金姓であり、子が李姓であれば父も亦必ず李姓であるべき筈であり、如何なる場合にも母の姓は子の姓となることはない。
姓が父の姓に因って定まり、家の変更によりて変らない結果、姓は明らかに男系の血統を表章することになる。
「姓は内地の氏の如く家の名でなくして全く人の名である。」。
この辺の考え方って、最近の夫婦別姓の話に通じるものがあって、ちょいと面白い。
勿論、朝鮮における姓が変わらないってのは、男尊女卑というか男子の血統しか意味を持たないという考えに基づくものであるのに対して、現代のそれは男女平等の観点に基づいて語られるわけですが。

で、姓は父の姓によって定まり、どんな場合であっても母の姓は子の姓になることは無い、と。
2月6日のエントリーで一名両班について触れたわけですが、これも庶子ですからねぇ。
ちなみに朝鮮の場合、嫡子が無い場合の庶子であっても、養子にしなければ家督相続権が無かったそうで。
色んな事情で生まれてくる非嫡出子なんかはどうだったんだろうと、色々考えてしまうわけですが。

男系の続いて居る間は子孫は同じ姓を承けるので、男系の血族は皆同姓であるが、姓の起源が前述の如き事情に在る以上、同姓必ずしも男系血族とは称し難く、実際に於ては男系の血統を同じくしない同姓のものが数多く存在して居る。
そこで別に本といふものを定め、本と姓を同じものを以て男系血族の表章として居る。
本は本貫または郷貫といひ、或は貫とも称し一つの男系血族の始祖の発祥地を指し、例えば、全州李氏・慶州金氏・密陽朴氏とある場合には全州・慶州・密陽は即ち本である。
この姓と本との同じものは同じ男系の血族であり、これを同本同姓と称し、同一族譜に登載されて居る。
朝鮮に於ては同本同姓の間に於ては絶対に婚姻をせず、また同本同姓の間にあらざれば養子縁組をせぬことになって居る。
ということで、男系の血族は皆同姓、と。
で、ここで突然「姓の起源が前述の如き事情に在る以上」と出てくるわけですが、前述の事情がどこを指してるのか分かりません。(笑)
この段を読めば、同じ金さんだからといって、血族だとは限らないという話だと分かるんですがね。

別な血統なのに同姓なものが数多くあるので、本(本貫・郷貫)を定めて男系の血統を区分してる、と。
この場合、始祖の発祥地が当てられるんですね。
で、姓と本が同じものは同じ男系の血族であり、同本同姓として同じ族譜に纏められてるわけです。
最後の同姓不婚と異姓不養は、これまでも何度も述べてきた話ですね。

以上は同本同姓のことを述べたのであるが男系血族中の異本同姓としては、江陵の金姓と光州の金姓とは本も始祖も違ふのであるが、共に新羅の金■智から出たとなって居り斯かる例は外にも多くあり、これを同本同姓と視て婚姻を避けることもある。
また男系血族中の異姓にありても、安東の権姓は元は慶州の金姓であったものが、高麗太祖の時に特に権姓を賜ふて安東を本と定めたので、同本でも同姓でもないけれども慣習上これを同本同姓と同じに視て居る。
男系血族でない同本同姓としては、金海の金姓は駕洛の首露王から出たのであるけれども、その分派の中には新羅の敬順王から出たものがあり、勿論男系血族ではないが、慣習では男系血族の同本同姓と同じに視て居る。
収養子は収養者の姓に従はしめる結果、同本同姓となっても、これを男系血族とは視ない慣習がある。
この辺から話がややこしくなってきます。(笑)
本貫が違い、始祖が違う同姓であっても、そのまた遡った出が同じ場合に同本同姓とみなして結婚しない場合がある、と。
んー、ノーザンダンサー系とミスタープロスペクター系は違うけど、さらに遡るとファラリス系だから結婚しない場合があるってことか。(笑)

で、男系血族中でも異姓があって、安東権氏は元慶州金氏であり、高麗太祖の時に権という姓を下賜されて安東を本としたので、同本でも同姓でもないけど慣習上は同本同姓。
なんで別姓を貰って、貰った人、つまりその姓の始祖の出身地が安東だったという事なんでしょうが、面倒くせぇことすんなよ。(笑)

で、さらに面倒くさいのが、同本同姓でも同一血族では無い場合があり、血族的つながりは無くても慣習では同本同姓として扱う場合。
駕洛国の始祖首露王から出た金海金氏と、新羅の敬順王から出た金海金氏が居る、と。
で、この場合も何故か慣習では同本同姓と同じ扱い。
ちなみに、敬順王から出た金海金氏は、その後金寧金氏に変わっているようです。

さて、ここで新しい言葉が出てきました。
「収養子」って何?(笑)
ググってみた所、上手いこと韓国駐箚憲兵隊司令部の作った『韓国社会略説』というのが引っかかりましたので、ちょいと引用してみます。

収養子
収養子は、同姓異姓に拘わらず棄子其の他特別関係あるものの子を収養せるものにして、財産を分与し、又は分与せざることあり。
今、長男の子なくして次男に子ある場合、之を長男に捧げ次男は他より養子すれども、若し次男亦養子すること能はざる場合は、長男の養子たるもの1人にして養家・実家両方の家督相続を兼ぬるものとす。
之を生養家奉祀孫と称す。
長男にして死亡せるとき次男其の家督を相続することなく、長男の子之に代り、祭典にも上位に列す。
財産も相続人として分配せらる。
一旦養子を迎へし後、男子出生するか或は養子にして性不良相続人たるの価値なきを認むれば、協議の上罷養することあり。
今、左に一般の親戚を表示すべし。
正しいかどうかは、他に頼る史料が無いので不明。
つらい。(笑)

『朝鮮の姓』に書かれている収養子は、冒頭の「棄子」をメインとした養子の事でしょうね。
そうでなければ、異姓不養の原則が全く意味ないですし。
つうか、若干ではあっても異姓養子を受け入れる事の出来る要素ってのがあったんですねぇ・・・。
まぁ、そうでなければ両親等を亡くした子供とか、現実問題として困るんでしょうけど。

ということで、恐らくは「棄子」を始めとした養子の姓を養家の姓にした結果として同本同姓となっても、これを男系血族とは視ない慣習がある、と。
ちなみに、ここで紹介した『韓国社会略説』、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで見ることが出来ます。
その他の項目も、中々興味深いというか面白いので、是非ご一読を。

「増補文献備考」所載の姓氏は496種に上り、各姓の本貫を調べて見ると、その本貫数の多いものとしては、金氏の500、李氏の470、崔氏の326、朴氏の314、張氏の246、林氏の216、趙氏の210、鄭氏の210等を挙げ得るが、大体に於て本貫数の10以下のものが大部分を占め、また本貫不明のものも140姓の多きに達して居る。

(中略)

更に同一の祖先より出でたる同姓同本の中にも、その子孫が分れて幾つもの派を為して居り、例へば、全州李氏の如きは歴代王の別子その他によりて100余派に分れ金海金氏及び密陽朴氏は13派、慶州金氏は9派となって居る。
これ等の同族は、同族乃至各派に於て族譜を編纂し、各その姓氏の出所を示し、本貫を詳からなしめ、一族の親疎、謫庶の関係を明かにして居るが、現在に於ても族譜の刊行件数は各種出版物中の首位を占め、また筆寫に依るものも多く行はれて居る。
古来門閥を重じたる結果、本貫を偽り、各族を潜称したる例は枚挙に遑なく、族譜の信憑すべからざることは、既に丁若鏞の「牧民心書」中にも痛論されて居る。
流石に朝鮮姓と本貫数を列挙しても無意味なので省略させてもらいました。

良く言われるように、昔から門閥を重視した結果、本貫を偽って各族を僭称する例は枚挙にいとまが無い、と。
で、族譜なんて信用できっか!と、1800年前後に活躍した実学者丁若鏞も、その著書「牧民心書」の中で痛論しているってことで。
まぁ、現代ですら門閥を誇る者も居るそうですし、当然と言えば当然なんですがね。


ってことで、今日はこれまで。



朝鮮民事令と第11条の第1回改正
朝鮮民事令第11条の第2回改正
朝鮮民事令第11条の第3回改正(一)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(二)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(三)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(四)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(五)