先日zero氏から、創氏改名について半島での朝鮮名の使用例を聞かれました。
まぁ、殆どお役に立てませんでしたが。(笑)
それを調べる中で、結構面白い話を見つけたので、ちょっとやってみようかな、と。
それが今回のタイトルの高元勲について。

彼、日本風の創氏改名していない在朝鮮の有名人なわけですが、日本統治時代に道知事となったりで、勿論現代においては親日派認定されております。
ちょっと過去のニュースを見てみましょう。

教え子が師を告発する大学の親日清算

高麗(コリョ)大学総学生会が28日に行った内部調査の結果をもとに“親日教授”10人の名簿を発表した。

この名簿にはこの大学の設立者である金性洙(キム・ソンス)氏をはじめ、兪鎭午(ユ・ジノ)氏、申奭鎬(シン・ソクホ)氏、高元勲(コ・ウォンフン)氏、張徳秀(チャン・ドクス)氏、趙容萬(チョ・ヨンマン)氏、崔載瑞(チェ・ジェソ)氏など、同大学の総長や教授をしていた7人と、李丙燾(イ・ビョンド)氏、イ・カクジョン氏、ソン・ウスン氏など、同大学の卒業生3人が含まれていた。
総学生会は「(今後)生存している前・現職教授の名簿を追加で発表するかについては話し合ってみなければならない」とした。

高麗大学総学生会が“親日教授”と発表した人々の日本植民地時代の行跡と功過に対する評価は見方によって違う。
ひとつふたつの側面から判断し、このような人々が親日だ、そうではないという二分法で分けるのは難しい。

このため、“親日教授”らに対する評価は、今後、政権レベルで展開された親日行跡調査でも論争になる可能性が大きい。
このような中、高麗大学総学生会が先に率先し、自分たちの先輩であり師であった人々を“親日”と規定し、銅像撤去などの作業を繰り広げると誓うのは性急過ぎる。

高麗大学・総学生会は、韓昇助(ハン・スンジョ)氏の「日本の雑誌への寄稿事件」を機に、「日帝残滓清算委員会」を構成し、「高麗大学内の“親日人物”の告発受付」を開始してから半月目に最初の結果を発表した。

いくら反日と親日の清算が重要であっても、先輩であり師である人々の一生を評価する作業であれば、慎重に慎重を重ねてもまだ足りないと考えるのが道理だ。

父親、祖父の日本植民地時代の行跡を独立運動家に仕立て上げたり、自分を産んだ両親を自分の手で審判する政治家たちのあきれた形態が、今度は大学街で教え子が師を告発する姿につながったようで苦々しい。

高麗大学を皮切りに、各大学では「日帝残滓清算運動」に火が付いた状況だ。
大学間で連帯の動きも見えている。
大学が歴史と現実の問題に関心を持つのは当然のことだ。
しかしこの運動が学問的レベルではなく、もうひとつの社会変革運動のように繰り広げられるとすればそれは危険なことだ。

学生たちに“親日派教授”という烙印を押されれば、それを乗り越えることができる教授はいないだろう。
特に、日本植民地時代について研究する教授らは、研究と教育でも学生たちの監視の視線を意識せざるを得ないだろう。
そんな大学は結局、文化大革命時代の中国の大学に似ていくだろう。
まぁ、いつも通り馬鹿だなぁとしか感想も無い記事なわけですが、この中に今回取り上げる高元勲(コ・ウォンフン)氏が入ってますね。

で、アジア歴史資料センター『公文雑纂・昭和十八年・第十五巻・内閣十五・特殊会社役員任命協議/朝鮮証券取引所理事並監事任命ノ件(レファレンスコード:A04018705700)』に、彼の履歴書が残ってます。
3ページ目くらいまでテキスト起こし頑張ったんですが、経歴があまりに長くてそこで飽きてしまったので(笑)、職歴に絞ってさらに抜粋して書いてみますのでヨロシク。

履歴書

原籍地 慶尚北道聞慶郡山南面薪田里
現住所 京城府新橋町6番地

高元勳
明治14年 2月29日生

明治43年 7月13日明治大学法科卒業
明治44年 5月 5日私立普成専門学校講師
明治44年 8月12日朝鮮総督府警部(警務統監部庶務課勤務)
明治45年 1月10日私立養正義塾講師
明治45年 1月15日私立普成専門学校講師
大正 2年 4月 9日私立普成専門学校教授
大正 5年 9月 1日私立普成専門学校教監
大正 6年 1月 9日私立徽文高等普通学校講師
大正 9年 2月21日私立普成法律商業学校長
大正10年 7月23日朝鮮体育会理事長
大正11年 1月10日財団法人普成専門学校理事
大正11年 4月 1日普成専門学校長
大正12年 7月28日京畿道教育会評議員
大正12年 8月 4日朝鮮教育会評議員
大正13年 4月27日朝鮮総督府中枢院参議
大正13年12月 1日朝鮮総督府全羅南道参与官
大正13年12月 6日日本赤十字社朝鮮本部光州支部副長
大正15年 9月 6日朝鮮総督府慶尚北道参与官敍高等官4等
昭和 3年 4月 2日敍従五位
昭和 7年 5月25日全羅北道知事
かなり抜粋。(笑)
っていうか、多すぎだし。
まぁ、取りあえず警務統監部庶務課を出発点として、その後は主に教育畑を歩いて偉くなってった人ですね。

さて、この履歴書のどこが面白いか。

まずは、初っぱなの明治大学法科卒業にあります。
明治大学に居た慶尚北道聞慶郡山南面の高元勳。
実は、もうこのブログに登場したことがありまして。
そう、昨年の11月26日のエントリーを始めとして紹介した、在日韓国留学生を代表して一進会の合邦問題に反対の布告文と内閣に提出する建議書を持って、ソウル入りしたうちの一人です。
時局問題に関する集会、布告文の配布が禁じられている事を知って、(´・ω・`)となって帰ってった人ですね。(笑)

もう一つ面白い部分がありまして。
それが、大正5年9月1日に就任した私立普成専門学校教監。
このHPによれば、3・1独立運動に参加した学生に情状酌量を嘆願する内容の請願書が出されているわけですが、その請願者の署名の中に私立普成法律商業学校教監高元勲が居るわけで。
画像中にもしっかりと見る事が出来ますね。

その上で、今回紹介した史料。
昭和18年7月に朝鮮証券取引所の理事と監事を任命する話でして、ここではしっかり元の漢字のまま高元勳、と。
日本風の氏を創氏してないんですね。

一進会の日韓合邦に反対し、3.1運動の参加学生の情状酌量を嘆願し、創氏改名では日本風の氏に改めない。
それでも親日派として糺弾されるような状況なわけで。

まぁ、過去を全否定して生きていくのは半島の歴史の常態ですから、今更どうこう言う話ではないんですが、つくづく韓国人として生きて死ぬって、大変な事なんだなぁ、と。(笑)

っていうか、ほぼ無名の人物の履歴書一枚で、こんなエントリー書いて、私以外に誰か楽しいんだろうか?(笑)


ってことで、今日は与太話でした。



朝鮮民事令と第11条の第1回改正
朝鮮民事令第11条の第2回改正
朝鮮民事令第11条の第3回改正(一)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(二)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(三)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(四)
朝鮮民事令第11条の第3回改正(五)
朝鮮総督府編『朝鮮の姓』より
朝鮮人の氏名に関する件