さて、今日も連載終了に向けて、前回ほぼ出だしだけで終わった、『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/10 明治32年2月20日から明治32年4月15日(レファレンスコード:B03050003700)』の、1899年(明治32年)2月27日付『機密第5号』の続きを見ていきたいと思います。
今日は、時局解決のための具体的方策の話からになります。

一.褓負商をして悉く城外に退去解散せしむる事

夫れ民会の激昂は、褓負商の挑発的襲撃に原因するを以て、民会の解散に先ち褓負商を城外に退去且つ解散せしめざるべからず。
現に聞く所に由れば、褓負商の城内に屯聚するものありて、為之人心危惧其堵に安んぜざるものありと。
惟ふに、是れ亦民会の再発を促したる一原因なるべし。

一.陛下の信用最も厚く、且つ輿望を負ふ所の人材を登用し、政府を組織する事

民会中、陛下の信用厚く、一般人民も亦帰服する所の材能ある人物を採用して、政府を組織せしめ、之に政務を一任し、天下の大勢を察し、公議輿論に鋻み内政を改良せざるべからず。

一.陛下敦礼門に臨御し、民会に向って誓約せられたる事項は、均しく之を実行せざるべからざる事

民会の再発は、専ら陛下の誓言実行せられざるに在りと聲言するを以て、其実效を奏すると否とは姑く措き、兎も角も現に御約束の事項は着々之が着手実行を見るにあらざれば、陛下の威信地に墜ち、民心離散の虞なきに非ず。

一.宮中は厳粛清浄ならざるべからざる事

宮中に種々雑多なる(所謂別入侍と称するが如き)輩出入し、国務大臣を差措き国政を私議するが如きは、内政紊乱の原因にして、終に陛下の威厳を損じ、民怨の叢淵となる恐あり。
故に、自今宮中は堅く厳粛を守り、官紀を作■し、力めて民の怨府たらざるを要す。

一.陛下は常に民論に率先して、開明の治・富強の策を講ぜざるべからざる事

陛下は、常に民論の左右する所となり、勢已むを得ず其議論を容れ之れを行はせらるるは、外見上如何にも不体裁なれば、外国の事情に通じ博識有為の人物を政府に網羅し、一般人智より一歩優りたる政府を組織し、常に民論に率先して凡百の改良を施行せしめられたし。
加藤の挙げた、時局解決のための具体的方策は以上の5つ。
まず、褓負商の退去と解散は、勿論8月28日のエントリーでも見られたとおり、臨御の際に万民共同会に約束した事でもあるわけで。
私自身は、前回も書いたとおりどっちもどっちだと思うんですが、まぁ約束したことは守らないとね。

次に、日置も勧告していた政府の組織について。
「民会中」という条件付きで、信用が厚く一般人民も納得する才能ある人物を登用して、「之に政務を一任」しろと。
まぁ、結局高宗は、譲位するまで部下に政務を一任できない皇帝で終わるわけですが。

次が、万民共同会に約束した事守れ、と。
約束を守らない皇帝の言う事なんて、誰も信用しなくなるのは当然なわけで。
というか、最早高宗の威信なんて、地に墜ちている気がしないでもない。(笑)

4つ目が、宮中が厳粛清浄でなければならない。
宮中雑輩出入りの事は、後に伊藤博文も問題視するわけで。
内閣等を飛び越して高宗に何かを吹き込み、それを真に受けてコロコロ政策変えられたら、やってられないのは当然ですな。

最後が、高宗は民論に率先して開明の政治や富強の策を講じなければならない、と。
これはちょっと高望みしすぎじゃないかと思うんですが・・・。(笑)
民論に左右され、やむを得ずその言うとおりに行うようでは、外見上いかにも不体裁だ、と。
議会つくっても言うこと聞きそうにない高宗に、何を望んでいるのやら。(笑)

茲に特に注意すべきは、韓帝に於ては民会を煽動するは日本の意思にして、之を圧抑するは露西亜の意思と認められ居るが如きこと之れなり。
依て本官は、此誤解を釈かん為め話■を求むる内、陛下は朴泳孝帰国云々の風説有之を以て、大に憂惧せらるる旨の語気を漏されたるに付、本官は帝国政府は右朴泳孝、安駉壽等の福岡地方にあって陰然民会と気脈を通ずるが如く看做さるるを甚だ快しとせず、故に悉く之を東京以北に退去せしめたる旨を奏聞したるに、陛下の疑団氷解して、深く帝国政府の措置を徳とし、大に満足せられたるものの如し。
高宗は、民会を煽動しているのは日本の意思で、抑圧しようとしているのはロシアの意思だと思っているようだ、と。
8月26日のエントリーの通り、日本人居留地に万民共同会の主要人物が逃げて来て活動するようじゃ、疑われても仕方ないんでしょうがね。
というか、だからどうしたって気もしないでも無いですが。(笑)

で、特に朴泳孝の帰国の噂が気になって仕方ないようだったので、日本は朴泳孝、安駉壽等が福岡地方に居て、影で万民共同会と気脈を通じていると見なされる事を快しとせず、東京以北に退去させたよと伝えると、高宗はそりゃ良かったと満足。
金玉均以来、亡命者の動向はずっと高宗の憂慮するところですからねぇ・・・。
また、この朴泳孝の帰国の話については、万民会が朴泳孝の召還を上疏したという事で、上疏者も捕縛せよとの詔勅も出たらしい。(未確認の為、単なるウリの覚書)

此謁見は殆んど3時間に亘り、陛下との交渉は又た余蘊なきに至れり。
退て其後李載純、閔泳綺等とも屡々会見を為し、又た民会の云ふ所を参酌し、稍々事態の真相を究むることを得たり。
今溯りて之を畧陳すれば、凡そ左の通りなり。

先是民会の跳梁するに当り、政府は之を鎮圧するの能力なく、威信地に墜ち、君権日に窘蹙するに当り、陛下は趙秉式、閔種黙、洪鐘宇、李基東、朴有鎮、吉永洙の輩に内旨を下し、褓負商を使嗾して民会を蹂躙し、由て以て之を全滅せしめんと企てられたるも、褓負商の暴挙は却て内外一般の非難する所となり、益々民論を激昂せしめたり。
於是、陛下は其措置に苦しみ、親ら褓負商を煽動したる痕跡を掩はん為め、故らに趙秉式外4名を流刑に処する旨の詔勅を発し、褓負商の解散を命ずる等、陽に力めて民心の反激を慰撫するの態度を示されたるも、其実褓負商は、陛下の密旨を質とし、其跋扈は依然として止まず、一般人心に大なる危惧を抱かしむるに至れり。

飜って民会の状態を察するに、其運動開始以来殆んど2ヶ月の久しきに亘り、其起るや忠君愛国を主とし、名実共に美なりしと雖も、今日に於ては、其行動頗る極端に■り、動もすれば乱民の部類に陥らんとするものの如く、首領株に於ては多少反省する所あるも、末派の若輩は一に騎虎の勢に制せられ、理非善悪を問はず兎に角猛進せんとするの有様に有之候。
高宗との謁見後、李載純、閔泳綺等とも謁見し、民会の言うところも取り入れて、ややその真相を掴む事が出来た、と。

まず万民共同会が跳梁しても、政府はそれを鎮圧する能力が無く、高宗の威信は地に墜ち権力は日増しに縮んでいく。
そのため高宗は、趙秉式、閔種黙、洪鐘宇、李基東、朴有鎮、吉永洙等に命じ、褓負商をそそのかして万民共同会を襲わせ全滅させようと企てたものの、褓負商の行動は却って非難され、民論を激昂させる。
このため高宗はその措置に苦しみ、自分で褓負商を煽動した痕跡を隠すため、趙秉式外4名を流刑にする旨の詔勅を出し、褓負商の解散を命じるなど民心慰撫の態度を見せたが、結局褓負商は高宗の密旨を口実に跋扈を止めず、人心に大きな危惧を抱かせた、と。

んー、「趙秉式外4名を流刑にする旨の詔勅」って、何時出されたんだ?
と思っていたら、高宗実録の高宗35年(光武2年・1898年)12月18日にそれっぽい記事はある。
ただ、趙秉式と閔種黙しか記載がないので、ちょっと保留。

一方万民共同会の状況は、運動開始から2ヶ月が経ち、最初は「忠君愛国」を主として名実共に美しい在り方だったのに、現在はその行動が非常に極端なものとなり、下手をすれば乱民の部類になってしまっているようで、主導者達は多少反省する所があるが、末端の若輩は勢いに任せて理非や善悪を問わずに、兎に角猛進しようとする有様、と。
なんでこう、グダグダになっちゃったんでしょうねぇ・・・。
多分、逮捕事件で火病になっちゃったんでしょうけど。(笑)


今日はこれまで。



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