ここ最近訪問者数が激減し、激しく落ち込んでいたんですが、どうやら不具合だったようで。(笑)
ま、少ないのは変わらないんですが。

さて、前回は、露韓密約の存在とその条文までばれたというか、ばらした話まででした。
今日はその続きから。
『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/12 着任当時ノ状況(レファレンスコード:B03050003900)』、1899年(明治32年)5月17日付『機密第36号』の続き。

露国士官及び下士官160人聘用に関する件

此の内密なる計画の世間に暴露せしは、4月21日の夜、軍部大臣沈相薫が同協辨閔泳綺、同官房長外主事3人を其官房に会し、其他の出入を禁じ、秘密に右聘用に関する條約書3通を作り、翌22日外部大臣李完用の会印を求めたるに、李外部は是れ国家重大の問題なれば、閣議を経るにあらざれば会印に応じ難しとて之を拒絶したるに由るものにして、一度此の風説の伝播するや議論紛々。
或は露韓密約の結果なりと云ひ、或は国王露公使ウヘバー氏との間に新に協議成りと云ひ、一に衝止めたる説にあらざるも、要するに当国政府と露公使との間に、即今新に起りたる問題たるは疑ふべくも非らず。
本官は此報道に接し、若し本件にして遂行せらるるときは、日露韓3国間に於ける現在及将来問題に関し、非常なる事態を惹き起すべしと思料したるを以て、如何にもして之を防止せざるべからずと為し、直に必要なる手段を施し、猶ほ其実際の形況を李外部大臣に就き確め、又た韓政府は如何に本件を処置するかに付質問する所ありしに、李外部は未だ條約交換の運に至らざるも形勢は頗る困難なる旨を叙べ、并に同官は何処迄も会印を拒絶する覚悟なれば、本官に於て外面より暗に助■を与へ呉る様申出で、此に内外相応じて本案を防止すべしとの約諾を為すに至れり。
露韓密約については、このブログではまだ殆ど扱っていない。
まぁ、アジ歴で史料がまだ公開されてないっぽいからなんだけど。
そのうちの、ロシア士官等の聘用に関する計画が表沙汰になったのは、時期的には1897年の4月。
6月23日のエントリーでの金炳始辞職頃に発覚したんですね。
この発覚は、軍部大臣沈相薫がロシア士官等160名の聘用に関する条約書を作り、外部大臣李完用にハンコ押せと要求した事に対して、李完用はいやこれ重要な話だから、閣議経ないと押せないよと拒絶した為。
しかもこの時の沈相薫って、この時軍部大臣じゃなく大臣署理なんですよねぇ・・・。

で、この風説が伝わると、露韓密約の結果だとか、ウェベルとの間での新協議だとか、色々話が出る。
加藤はこの報道に接して、防止しなければと考えるわけですね。
つうか、山縣=ロバノフ協定の第2条「日露両国政府は、朝鮮国財政上及経済上の状況の許す限りは、外援に藉らずして内国の秩序を保つに至るべき、内国人を以て組織せる軍隊及警察を創設し、且つ之を維持することを朝鮮国に一任することとすべし。」に引っかかりそうですしね。

で、李完用に状況と処置法を確認。
李完用は、まだ条約交換はしていないが情勢は頗る悪いとし、自分はハンコ押すのは断固拒絶する覚悟なので、加藤にも外側からの援助を頼む、と。
で、内外応じて聘用条約の締結を阻止する約束が出来たんですね。

而して本官は、第一先づ其根本を動かすこと得策なりと信じ、即ち内謁見を申込たるに、同26日参内謁見すべき旨回答に接したるを以て同日参内。
一室に於て陛下の左右を斥け、多数士官を聘用する事の不可なる所以を懇に奏上せしに、陛下は右士官聘用の件は、已に昨年4月閔泳煥露国滞留中、密約を締結したる結果、今日之を実行せざるを得ざる場合と成りたるものにして、其当時は朕も政府も同意なりしが、今日は甚だ後悔するも今更致方なきを以て、其員数の半を減じ閣議を調和せしめんかとも思考し居れりとのことに付、本官は斯かる條約の極めて韓国将来に危険なる旨を陳弁し約案撤廃を勧めたるに、陛下は本官の言を容れ、然らば本件は一切内閣に一任し更に之を再議せしめ、其結果に由り何れとも処置することとなすべしと断言せらる。
依て本官は、陛下の言質を執り内閣大臣に向っては、飽迄本案を峻拒すべき旨を勧告せり。
当然、根本を動かす=高宗の腹づもり次第なわけで、内謁見する。
で、加藤が多数士官の聘用の不可を奏上した所、高宗は「聘用の件は、1896年4月に閔泳煥がロシアで密約を締結しちゃったからさぁ。今日実行せざるを得なくなっちゃったんだよね。当時は僕も政府も同意してたんだけど、今は後悔してる。でも今更しょうがないから、聘用人数を半分にして閣議を調和させようかなぁって思ってるんだよね。」と。
例えその場しのぎの言い訳にしても、笑えますな。
特に、聘用人数を半分にして閣議が調和すると思っている辺り。
つうか、日韓協約も今更しょうがないと思っておいて、ハーグに密使送ったりしなきゃ良かったのにね。(笑)

加藤は、「いやこういう条約、韓国にとって危険だって。」と述べて約案の撤廃を勧めると、「じゃあ内閣に一任して、その結果通りに処置するよ。」と断言。
相変わらず、口先だけ大王ですなぁ。(笑)
兎も角言質はとれたので、加藤は内閣大臣にこの条約案を飽くまで拒むように勧告、と。

恰も良し同27日、我大隈大臣の訓電に接したるに、帝国政府は「モスコー」議定書の結果本件の如きは予め日露両国間に協商すべきものと認むるにつき、其趣を露政府に申入れ、追って新露国公使着任の上、韓兵組織問題の大体に付き本大臣と協商を了はる迄本件を停止せしむるやう、在韓露公使に電訓ありたき旨同政府へ請求すべしと、本野在露公使へ訓電せり云々。
依之本官以為らく、日ならず露政府はウヘバー氏に訓電を発し、我要求の通り本件停止するに至るべしと。
然るに、翌5月初旬に及ぶも露国政府は何等露公使に訓令を与へたる様子なきのみならず、露公使及露国派の運動は頗る激甚にして、5月3日に及んでは、陛下始め内閣大臣も終に其要求を拒む能はずして、士官下官合せて十数名を聘用することに一決せりと。
而して其條約書の調製に着手し、其翌日露公使と之を交換せんとするものの如しとの報告に接したるを以て、本官は一面に反対大臣連を刺戟し、又一面には外部大臣に忠告し会印を拒ましむる手段を施せり。
此際李外部大臣は、克く本官の忠告を容れ、殊勝にも断乎として会印を峻拒せり。
丁度4月27日付の外部大臣大隈重信の訓電が来て、日本政府は山縣=ロバノフ協定の結果、今回の件の如きは日露両国間で協商すべきものだとロシア政府に申し入れ、新任のロシア公使着任まで聘用の件を停止させるようウェベルに電訓する事を要請。
加藤は、これで間もなくロシア政府からウェベルの所に本件の交渉中止の訓電が届き、停止するだろうと思ったわけです。
山縣=ロバノフ協定の条文を考えると当然の予測。

しかし、5月に入ってもロシア政府からウェベルに訓令を与えた様子も無いどころか、ウェベル及び親露派の運動は益々激しくなり、5月3日には高宗や内閣大臣も要求を拒むことが出来ずに、士官下士官10数名を雇う事に決まっちゃった、と。
で、その条約書の調製を着手して、翌日ウェベルと条約書を交換するらしいと聞いた加藤は、条約締結に反対している大臣を刺激し、一方で李完用に会印拒否を忠告。
その結果、李完用は加藤の忠告を容れて、会印を断固拒否した、と。

巷間、露館播遷期の李完用を親露派とし、またウェベルとの対立によって追放される話になっております。
前者は、私の目にはどう見ても親米派としか見えませんし、後者に関しては対立自体は上記のとおり正解ながら、国内の親露勢力や高宗自身の考え、或いは山縣=ロバノフ協定に基づく日露の駆け引きという視点から語られる事は、めったにありません。
まぁ、「ロシアの影響力排除」のために大韓帝国になったそうですので、ロシアの影響力は全く変わらない事と、単に「皇帝」になりたかっただけという理由で大韓帝国が成立したっていうのがバレると、マズイのでしょう。
( ´H`)y-~~


途中ですが、今日はこれまで。



加藤増雄の在韓時代(一)
加藤増雄の在韓時代(二)
加藤増雄の在韓時代(三)