巷間の独立協会に関する言説って、誰が作って誰が広めたんだろう?
疑問。

ってことで、今日も『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/12 着任当時ノ状況(レファレンスコード:B03050003900)』、1899年(明治32年)5月17日付『機密第36号』から。

負褓商との衝突

独立協会の勢力日を追って熾なるや、皇帝及び政府は如何に之れを制御すべきやに極めて苦心したるものの如し。
之れに言論の自由を与へんが、非常の勢を以て菲政の攻撃を試み、民心自ら皇室政府に離背せんとす。
之れが運動を箝制し有力なる会員を鋤去せんが、一層反抗の気炎を高め、市民は一斉閉戸休業以て皇帝の反省を促すに至る。
政府大臣は、協会の鋭鋒に犠牲たらざらんことを勉むるの外に、何等の経論あらざるのみならず、皇帝亦た之れを如何ともする能はざるに至れり。
然れども、若しも皇帝にして誠意誠心能く民意の在る所を察し、奮然として国政刷新の実を挙ぐるの決心と勇気とをおこさば、是実に韓国の大慶事なりしなり。
不幸にもて極めて憶病にして、極めて猜疑深く、嫉妬、自負、軽薄、残虐、凡そ君主としては甚だ不合格なる韓帝は、在廷臣僚以外に趙秉式・閔種黙等の奸細の進言を納れ、協会の存在を以て君威に続すものとなし、如何にもして之れを押潰さんと決心して、遂に内命を伝へて無頼漢の集合たる全国の負褓商を招集するに至りたり。
是より先き、独立協会は已に解散し、更に膨張して万民公同会と化せしを以て、人民の同情を有する民会と、皇帝が内々使嗾せる負褓商との衝突は、民心をして一層皇帝に背かしむると同時、端なく民会を挑発して遂に暴力に対するに暴力を以するものとなられたり。
此際に於て露公使は、先天的非民主主義の見頭より寧ろ皇帝に同情を有し、日英米3国の公使は、各其立脚点より多少民会に同情を有したりしが如し。
独立協会の勢力拡大に連れて、高宗や政府はどう制御するか非常に苦心した、と。
言論の自由を与えれば、凄い勢いで秕政を攻撃して民心は皇室や政府から離れていく。
運動を押さえつけて有力会員を取り除けば、さらに反抗の気運が高まり、市民も扉を閉じて休業して高宗に反省を促す。
政府の大臣は攻撃されないように汲々としているだけで、高宗もまたどうすることも出来ない、と。

つうか、素直に秕政を改めろ。( ´H`)y-~~

当然加藤も、もし高宗が民意を察して誠心誠意国政を刷新しようという決心と勇気が起きれば、これは韓国にとって大慶事だと。
しかし。

「極めて憶病にして、極めて猜疑深く、嫉妬、自負、軽薄、残虐、凡そ君主としては甚だ不合格なる韓帝」・・・。
加藤語録最高。(笑)


ってことで、独立協会の存在に怯えて押しつぶそうと決意し、遂に褓負商の無頼漢を集める事になるんですね。
独立協会は已に解散命令を受けて解散しており、更に膨張して万民共同会に名前を変えており、人民の同情をバックにする万民共同会と高宗の使嗾による褓負商の衝突は、民意は更に高宗から離れていく。
その衝突は、遂に暴力に暴力で対抗するような有様になっていった、と。
この際、ロシア公使は皇帝側、日本・アメリカ・イギリスの3公使は民会側に多少の同情を有していたんですね。
つうか、加藤はこの場には居ないんで、恐らく日置の事なんでしょうけどね。

皇帝の内肯と賃銭との干係より、無意味に雲集せし無頼の負褓商と、其挑発によりて自ら「暴民」と化了せる所謂民会との間に、紛争又紛争を重ねたる結果、遂に収拾す可らざる状態となりたるに至り、皇帝は余儀なくせられて

敦礼門に親臨

し、各国使臣及政府大臣列席の上にて親しく両派の首領を諭し、以て一時の平和と秩序とを回復するを得たり。
然るに、越て2旬、万民公同会は皇帝の誓約一も実行せざれざるを見て、再び奮起して運動を開始し、褓負商亦た其筋の内訓に依りて潜かに屯集し始め、形勢再び切迫せり。
是れ実に

本官帰任

当時の状況なり。
高宗の内命と金銭の関係から、無意味に集まった無頼の褓負商。
その挑発によって、自然と「暴民」になった万民共同会。
已にどっちもどっちになってしまった両者の間で紛争に紛争を重ねた結果、収拾不可能な状態に。
まぁ、はっきり言って単にグダグダなだけなんですが。
ここで、日置曰く「大英断」の敦礼門親臨となるわけですね。
で、高宗主導の褓負商派と万民共同会の双方を諭すという、極めてマッチポンプ的な雰囲気の中、一時平和と秩序の回復を見た、と。

ところが、高宗は約束したことを一つも守らない。
で、再び万民共同会は運動を開始し、褓負商も秘かに集まり始めて、形勢は再び切迫していた、と。
これが、加藤が帰任した時の状況。
やはり、前回の独立協会が道を誤らなければ、腐敗しきった韓国政界の清涼剤として内外の人望を得るだろうという希望は、粉々に砕かれたのでありました。(笑)

実際を云へば、当時皇帝は最早策の出づる所を知らず、政府大臣等は民会の鋭鋒に怯ぢて政務を見ず、凡て無政府の有様なるのみならず、民会と雖、従来の行掛上の不得止騎乕の勢を示すものの、実は寒気の襲来と財政の困難の為めに、稍々持あぐ■の気味ありたる折柄なれば、皇帝・政府・民会挙げて本官帰朝を鶴首、以て問題の解決を見んとせしなり。
本官は極めて自重の態度を示し、仁川着の当時、密勅を奉じて本官へ面談の為め下仁し来れる兪箕煥にも面会せず、只だ時事に関する正確なる状態を研究せんと力めたり。
当時本官の見る所を持ってすれば、民会なるものは既に極端に走り暴民の列に投じたるものにして、其の中に頭角を顕はせる輩は已に雌伏し了りたれば、自余末流軽■の徒は因より取って代りて政府を組織すべき能力と抱負もなく、只だ漫りに民情を擾乱するに過ざれば、断然之れを抑制し、政府をして秩序を回復するの余地を得せしめざる可らず。
又た、負褓商が密旨を楯として跳梁を極め、一般人心に疑愼の念を与ふる如きは、勿論之れを制止せざる可らずと思考せしを以て、帰任の翌々日を以て皇帝に進謁し具さに政見を陳奏したる上、御諮問に応じ、(1)負褓商解散の事、(2)信任ある鞏固なる政府を組織すべき事、(3)弊政改革の事、(4)宮廷の刷新、(5)文明の政綱に則るべき事等を目下の急務として縷述数時間に渉りたる結果、皇帝は大に悟る所あり、一に本官の言に従ふべき決心を示されたり。
又た、此機会に於て皇帝が兼て本邦にある亡命韓人が隠然民会と気脉を通じ、之れを煽動せる由を気遣ひ居られたるに対し、帝国政府は断然右亡命者連を関東に退去せしめ、其行動を充分抑制し置きたることを言上し、帝国政府が民会に■■せるやの疑念を除くを得たり。
実際には、高宗はもう打つ手が無いし、政府大臣は万民共同会にビビッて政務を執らず、無政府状態。
一方で万民共同会もこれまでの行き掛かり上で、騎虎の勢いを示すものの、実は寒気の到来と財政困難のため、これまた打開策が無い状態。
ということで、皇帝も政府も万民共同会も、加藤に問題を解決してもらおうと首を長くして待つような状態に。
この辺、9月1日のエントリーで紹介済みなわけですが、改めて見ても、やっぱりどんな状況やねん、と。(笑)

ここで、加藤は慎重な態度を示し、密勅を持って待っていた兪箕煥にも面会せず、冷静に状況の把握と分析に努める。
結論として、現状の万民共同会は極端に走って暴徒化しており、見込みのある者は已に雌伏しているので、残余の者には取って代わって政府を組織する能力も抱負も無いと判断し、政府側に秩序を回復させる手段をとらせる方が良いだろうと考えるわけですな。
で、高宗に謁見して9月2日のエントリーのように5つ程を目下の急務として奏じるんですね。
で、高宗は大いに悟って、加藤の言に従うべき決心をする、と。
まぁ、いつも通り口だけ大将なんですが。(笑)

一方で、日本に亡命している韓国人が万民共同会と隠然気脈を通じ、煽動しているのではないかという高宗の心配に対し、日本は亡命者を関東に退去させ、その行動を抑止しているので安心してね、と。


今日はこれまで。



加藤増雄の在韓時代(一)
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