んー、アジ歴が再開するまで10日以上あるのに、終わっちゃうなぁ・・・。
まぁ、考えても仕方ないんで、『各国内政関係雑纂/韓国ノ部 第二巻/12 着任当時ノ状況(レファレンスコード:B03050003900)』、1899年(明治32年)5月17日付『機密第36号』を取りあえず終わらせちゃいたいと思います。

目下の政況

民会、已に聲を収めて以来、当国の政況は意外に平穏にして、皇帝は少権謀少術数に余念なく、在朝在野の政治家も徒に蝸牛角上の小党争を以て其日を過すの有様なり。
而して、現内閣は寧ろ比較的に鞏固にして、且つ皇帝の信任を有するものの如し。
但し、民会の一派は、皇帝政府が民会の解散に際し声明したる条項の、一も実施せられざるを見て、機会に乗じて再発せんと企つるものなきにあらずと雖、万民共同会の首なるものは已に多くは時の非なるを見て敢て起たず、末流に至りては多少運動に飽き奔走に疲れたるの観なきにあらざれば、更に一の好題目を捉へ来るに非ずんば、今更蜂起するの気勢を有せざるものの如し。
現在の状況は意外に平穏。
高宗は小さい権謀術策に余念無く、政治家もつまらない小競り合いで日々を過ごす。
駄目だ、こりゃ。(笑)

ただ、現内閣は比較的強固で高宗の信任もある。
万民共同会の一派は、高宗が解散の際に約束した事を一つも守らないので、機会があれば再起しようとする者が無いわけではないが、主な者は時機ではないとして敢えて起たず、末端の者に至っては運動に飽きて、奔走に疲れた観が無いわけではなく、何か起きなければ再び蜂起する気力も無いだろう、と。
んー、やっぱり駄目だ、こりゃ。(笑)

つうか、この頃李承晩が投獄されてる筈なんですが、話題にものぼらねぇ。(笑)

顧って各国使臣の態度を観察するに、米国公使アレン氏は在韓10余年。
能く当国事情に通じ、又如何にして韓国上下の感情を害せずして自国の利益を獲取すべきやの秘術を知れるの人也。
所謂米国派なる青年政治家は、多く氏に頼りて自家の勢を張らんとし、アレン氏亦た之れを利用して己れの手足をなし、両々相待って氏の勢力及び皇帝の信任等、実に大なるものあり。
而して、前任シル公使が常に露公使と結託して我政策を阻害したるに拘はらず、氏は就任以来勉めて本官と交誼を敦ふし、互に友助を与へ居れり。
目下帰朝中。

仏公使、英公使、独領事に至りては、利害の干係自ら異るものあるによりて、政治上に於ける勢力の範囲は、日米露3国使臣の如くにあらず。
従って、之れを韓京政界の一勢力として論述するを要せざるも、但だ露公使バウロフ氏は着任日浅きに拘はらず、北京以来の名声、自ら人をして其の何事か仕出来すならんとの感想を起さしむるを得て、氏の挙動に就ては内外人斉しく注目を怠らず、其一挙一動は多少の波動を政界に与ふるを見る。
過去3ヶ月内に於て民会の声を収めたるに乗じ、厳尚宮が皇后に冊立せられんとの希望と、趙秉式、閔種黙の野心とは、所謂露国派の躍起運動を来し、従って露公使は其黒幕、寧ろ傀儡師たるやの感ありしと雖、氏は趙、閔の徒の不人望は殆んど極点に達し居れば、彼等を助けて彼等が受くべき悪名を分担■するを不利なりとし、遂に充分の尻押はなさずして止みたるが如し。
但だ、氏は曰く「朝鮮には外交は不用なり」と。
乃ち、勉めて宮中府中の好感情を求むるに汲々とし、多年来の懸案たりし捕鯨用借地一件に就て稍々強硬の態度を示したる以外には、何等顕著なる行動に出ざりしものの如し。
氏、目下賜暇帰朝中、上海露国総領事ドミトレウスキー氏臨時代理公使たり。
此人は、東洋にあること20余年。
頗る事情に精通すと雖、寧ろ学者的の人物にして其他に著明なる特調を発見せず。
要之今漢城政界の有様は、当国にしては近年稀なる静謐と云ふべし。
是れ盖し日本に在る亡命者と連絡を有せる民会の一派、及安駉壽部下等の一団と、露国の勢力を後楯とせる趙秉式、閔種黙等の一団とは常に両極端にあり、利害相反するを以て自然に政界の中心点を保てるのみ。
一旦其の一方に高圧力の加はるあるに至らば、政界の紛擾又た昨年の如きものあるべし。
是れ駐韓日露公使が、慎重の態度を持続するか否にありて決定せらるべき問題なり。

日韓両国の干係、上下官民の区別なく其国家の接近せる如く、個人も日に益々近接し来り。
従って、貿易も漸次増進し、各港市に於ける本邦人の総数2万に達せるのみならず、各種の目的を有して内地にあるもの皆な平穏に其業務に従事することを得べし。
顧みて本官就任当時の状況を回想し之れを比較するときは、彼の我に対し我の彼に対する状態の差異、実に著しきものありと存ず。

以上は、本官が在任3ヶ年間に取扱ひたる著大なる事務の概要なり。
不敏不詳、固より赫々の功を奏する能はざりしと雖、排日本感情の最熾なるときに来り感情融和の目的を達し、日韓親和の今日に於て去る其間漸次我地歩を進むると同時に、我に背馳せる勢力と利益の拡張を多く阻害して、幸に大過なきを得たるは、素より我陛下の御稜威の然らしむる所なりと雖、又た歴任の本省大臣に於て能く本官の意見を容れ、時に応じ事に臨みて必要なる訓令指揮を与へられたるに由らずんばあらず。
而して、直接には我公使館員、間接には各港の領事館が克く本官の意を体し、職務に精励して本官を補佐したるの功績は、本官が之れを報告するに於て極めて満足する所なり。
右、及具申候也。
区切る程の内容でも無いので、一気に最後まで引用してみました。

アメリカ公使のアレンは、もう在韓10年余りだ、と。
『アレン小伝』によれば、韓国に来たのは1884年(明治17年)9月に京城米国公使館付医師になったのが最初のようである。
その後、甲申事変で閔泳翊等の治療に当たったり、春生門事件で1月15日のエントリーのように水兵を率いて王宮方面から帰ってくる所を見られたりというエピソードの持ち主。
当然韓国の事情にも精通し、またどうすれば韓国上下の感情を悪くせずに自国の利益を獲得するかという秘術を知っている人だ、と。
俗に言う米国派の青年政治家は、多くはアレンに頼って自分の勢力を広げようとし、一方でアレンはこれを利用して自分の手足として使い、双方相まってアレンの勢力と高宗の信任等は非常に大きい。
で、アレンの前のシルはウェベルと結託して日本の政策を邪魔してきたが、アレンは就任以来加藤と交誼を深め、お互いに助力しあっている、と。

フランス公使、イギリス公使、ドイツ領事については、利害関係が異なる事から政治上の勢力は日米露の3カ国使臣とは違い、これを韓国政界の勢力として論述する程ではない。
ただ、ロシア公使パブロフは着任して日が浅いのに、北京駐在の頃からの名声で人々に何かしでかすだろうという感想を与え、その挙動は内外人が皆注目し、多少の波動を韓国政界に与えているようだ、と。
過去3ヶ月以内に万民共同会が活動していない状況に乗じて、厳尚宮の皇后に冊立してもらおうという希望と、趙秉式や閔種黙の野心が相まってロシア派の必死な運動が起き、ロシア公使パブロフがその黒幕というより傀儡師のように感じると。
ただ、趙秉式や閔種黙なんかは、その人望の無さはほとんど頂点に達してるので、彼等をわざわざ助けて自分にまで悪評が及ぶのを恐れて、最終的に充分な後押しができずに「躍起運動」は終了したようである。
この辺、「帝国の迷走」では扱わなかった範囲なんだけど、確かに盛り上がりというか「フーン。で?( ´H`)y-~~」くらいで終わるような有様だったので、カットしたわけで。

で、パブロフ曰く「朝鮮には外交は不用なり」と。
んー、当時の朝鮮に関しては極めて正しい手法。(笑)
結局朝鮮に於いては、外交的に問題を解決しようとする日本より、高宗や閔妃、厳尚宮なんかの歓心を買うだけのロシアの方が、有利に話を進める事が多かったわけで。
まぁ、高宗自体が気分屋なので、情実だけで外交するのも限界があるわけですがね。
ということで、パブロフは宮中府中の好感情を求めるのに汲々として、長年懸案事項だった捕鯨用の借地の話でやや強硬姿勢を示した以外は、全く顕著な行動に出なかった、と。

要するに、現在の韓国政界は韓国としては近年まれに見る静かさだ、と。
高宗は小さい権謀術策に余念無く、政治家もつまらない小競り合いで日々を過ごしてても、韓国としては静謐なんです。(笑)
これば、日本に居る亡命者と紐帯のある万民共同会の一派や安駉壽の部下等の一団と、ロシアを後ろ盾にする趙秉式や閔種黙等の一派が、いつも両極端に居るため政界の微妙なバランスが取れているに過ぎず、一度その一方に高圧力が加われば、政界の紛擾はまた1898年のようになるだろう、と。
これは、日本公使、ロシア公使が慎重な態度を保持し続けるかどうかに賭かってる、と。
つうか、それぞれ両極端の勢力がバランス保ってたら、ほとんど前には進みませんわな。

いずれにしても、日韓関係は上下官民の区別なく、個人も日々接近してきた、と。
貿易も漸次増進して、各港市に在住する日本人の総数2万に達するだけでなく、各種の目的で内地に居る者も、皆平穏に従事している。
加藤が就任した当時の状況から較べれば、雲泥の差だ、と。
露館播遷中の就任ですから、当たり前と言えば当たり前なんですけどね。(笑)

で、最後に各方面の協力について記して、加藤増雄の在韓公使時代の話は終了となるわけです。
政治的にも大混乱な状況であり、ロシアとの関係においても非常に困難な時期にあって、これだけの事を行ってきた加藤増雄。
もうちょっと知られても良い人物ではないかな、と思ったりする今日この頃です。


おしまい。



加藤増雄の在韓時代(一)
加藤増雄の在韓時代(二)
加藤増雄の在韓時代(三)
加藤増雄の在韓時代(四)
加藤増雄の在韓時代(五)
加藤増雄の在韓時代(六)
加藤増雄の在韓時代(七)
加藤増雄の在韓時代(八)
加藤増雄の在韓時代(九)
加藤増雄の在韓時代(十)
加藤増雄の在韓時代(十一)
加藤増雄の在韓時代(十二)
加藤増雄の在韓時代(十三)
加藤増雄の在韓時代(十四)