スチーブンス。
昨年の6月30日のエントリー等でも触れ、第一次日韓協約によって大韓帝国の外交顧問となった「ダラム・ホワイト・スチーブンス(漢名:須集雲)」ですね。
今日からは、彼の暗殺事件について調べていきたいと思います。

実は、昨年の8月10日のエントリーにもあるとおり、随分前から手を付けようと思ってはいたのにアジ歴で史料が中々公開されないので保留してたんですが、リニューアル後も公開されてないようなんで、しびれを切らして書いちゃいます。

ってことで、まずは予習。 → ■獄長日記 【クソスレ】
大まかに言うとこういう話を、史料使ってネチネチやってみようかと。(笑)

さて、昨年の6月30日のエントリーでも書いたとおり、ハーグ密使事件によってアメリカ行きが延期されていたスチーブンス。
1907年(明治40年)12月にようやくアメリカに向かったようです。

そんな中。
事件当時、大森(現在の品川区南大井になるのかな?)に居た韓国統監伊藤博文から、副統監曾禰荒助への1908年(明治41年)3月24日付『来電』より。

只今在桑港総領事より外務大臣へ、左の通電報ありたり。
今朝「スチーブンス」華盛頓に向て出発の際、韓国人の為に射撃せられ重傷を負へり。
委細後報。
右韓国政府へ御通報を請ふ。
サンフランシスコ総領事から、当時の外務大臣林董へ電報が来るんですね。
時差等もあると思いますので、3月24日の朝かどうかはまだ分かりませんが、スチーブンスがワシントンに向かって出発する際に、韓国人のために射撃されて重傷を負った、と。
細かいところは後で報告するから、取りあえず韓国政府に通報してくれってことですな。

これに基づいて、曾禰から韓国政府に1908年(明治41年)3月24日付通牒がなされます。

当府嘱託「ダラム・ホワイト・スチーブンス」は、今朝米国桑港より華盛敦に向け発程の際、内地に於ける一貴国人の為に射撃せられ重傷を負ひたる旨、只今伊藤統監の電報に接し候。
本官は、此悲報を閣下に転致せざるべからざるは極めて遺憾とする所に有之候。
尚、委細は後報に俟たざるべからざるも、不取敢及通牒候也。
ま、内容的には伊藤の電文ままで、この悲報を李完用に転送しなければならないのは極めて遺憾だ、と。

この後、伊藤のものより詳細な電文が、今度は外務大臣の林から届きます。
1908年(明治41年)3月24日付『来電第22号』。

本日、在桑港小池総領事より左の通り電報ありたり。
日曜日夕刻、4、5名の韓人「フェアモンド・ホテル」にて「スチーヴンス」氏に会見し、日本の韓国に於ける施政に関する或る新聞記事を指摘し、右記事は同氏より出でたるものなるやを問へり。
同氏の然りと答ふるや、韓人等は同氏を殴打したるも、居合せたる人に取押へられ別に害を加へずして事止みたり。
同氏は深く之を意に介せず、暴行者の捕縛せられざることを希望せり。
今朝同氏は、旅館を出て華盛敦行客車に搭ぜんが為め(渡船)待合所に赴き、本官も同行したるが、氏の自動車より降るや、3、4名の韓人突然同氏を取囲み、其の1人先づ氏の面部を殴打し、嗣て彼等は拳銃を連発し、氏は遂に肺部に2丸を受けたり。
負傷は重き方なるも、医師は目下の所生命に危険あるを認めず、韓人1名は不図同類の発したる弾丸に中り、恐らく絶命すべし。
同氏に負傷せしめたる韓人は、捕縛せられたり。
曜日計算していくと、1908年(明治41年)3月22日の日曜日夕方。
フェアモンドホテルは、多分1907年(明治40年)開業のフェアモントホテルの事かな?

 (現在のフェアモントホテル

日曜夕方に4~5人の韓国人がフェアモントホテルでスチーブンスと会見し、日本が行っている韓国施政に関するある新聞記事について、「お前が言ったんか?」と。
これに対してスチーブンスが「うん。」と答えると、いきなり殴りかかる。(笑)
これは直ぐに居合わせた人に取り押さえられて、特に被害もなく終了。
スチーブンスは深く意に介さずに、暴行者を逮捕しない事を希望、と。
温情示しちゃ駄目だって。(笑)

で、今朝ワシントン行きのため待合室に向かい、スチーブンスが車から降りた途端、韓国人3~4人に取り囲まれる。
1人がまずスチーブンスの顔面を殴打。
次に拳銃連発。
そのためスチーブンスは胸部に2発の弾丸を受けたんですな。
スチーブンスは重傷だけど、医師は現在のところ命に別状は無いだろう、と。
また、韓国人1名が仲間の撃った弾に当たったって・・・。_| ̄|○

この『来電第22号』には、追加電があります。
1908年(明治41年)3月24日付『来電第23号』。

往電第22号に関し、「スチーヴンス」氏を狙撃したる韓人は、旅館にて暴行を加へたるものとは別人なり。
氏に負傷せしめたる韓人は、平壌人趙仁漢なるものにして、図らず銃丸に中りたるは田明雲と称す。
共にソウドウシヤなる旨、小池総領事より電報あり。
狙撃者は、フェアモントホテルで殴りかかった韓国人とは別人であり、スチーブンスを負傷させた韓国人は平壌の趙仁漢、仲間の弾に当たった韓国人は田明雲と名乗っている、と。
「ソウドウシヤ」が良く分かりませんが、この後明らかになると思うので、取りあえずスルー。

で、スチーブンスを負傷させたのが「趙仁漢」となっていますが、これは勿論張仁煥。
仲間の弾に当たったのが田明雲ということになります。
後日、田明雲本人はスチーブンスに撃たれたと言っておりますがね。


今日はこれまで。