さて。
前回サンフランシスコで狙撃されたスチーブンス。
狙撃した張仁煥。
流れ弾に当たった田明雲。
初回で役者が揃いましたな。
ってな事で続き。

今日は、曾禰から韓国政府への通牒から。
1908年(明治41年)3月25日付『統発第1736号』。

当府嘱託「ダラム・ホワイト・スチーブンス」が、桑港に於て貴国人の為に狙撃せられ重傷を負ひたる件に関しては、昨日不取敢及御通牒置候次第有之候処、昨夜我外務大臣より更に別紙の通り詳報に接し候に付、茲に及御転知候。
本官は、此次斯かる椿事が貴国人に依て演ぜられたるを返々も遺憾と為すと同時に、本件の報導にして伝播せば、愚氓無識の徒或は之に眩惑して附和雷同不穏の状態を惹起するが如きもの之あらざるか、掛念無き能はず候。
就ては此際、貴大臣閣下に於ても充分政府当局者の注意を促がし、這種不測の災禍を未然に防遏せんことに御留意相成候様致度。
為念申進候也。
別紙については『来電第22号』とほぼ同じであるため省略。

で、今回のような事件が韓国人によって引き起こされたのは、返す返すも遺憾だ。
この事件が伝われば、愚かで知識も無い者や惑わされて付和雷同し、不穏な状態にならないか懸念されるので、政府当局者にも注意を促してこういう不測の事態を生じないように留意してね、と。
ま、実際に昨年8月10日のエントリーで、安重根が「「スチーブン」暗殺の報至るや膝を打ち大声歓乎し、当時の加害者張仁煥・田明雲等の挙を敬慕し」ちゃうわけですしね。

続いて、スチーブンスの容体について。
林外務大臣から曾禰副統監への、1908年(明治41年)3月25日付『来電第100号』より。

第25号
本日、小池総領事より左の通り電報あり。

「スチーブンス」は目下「セント・フランシス」病院に在り。
氏の為本官は、「テリー」及「ツームワルト」の両医を聘したり。
従来の経過は頗る佳好なり。
3月23日午後9時
この時点で、スチーブンスの経過は頗る良好だ、と。

続いては、ちょっとずつ怪しくなっていくスチーブンスの経過と、張仁煥等の供述について。
1908年(明治41年)3月25日付『来電第101号』より。

第26号
小池総領事より左の通り電報あり。

診断の結果に拠れば、「スチーブンス」氏は右肺に傷部あり。
24日午前9時の容体にては、医師は未だ全く危険を脱せりとは断定せざるも、回癒の見込ありと云へり。
本官は、既報の医師外更に「ハンチングトン」博士を増聘したり。

凶漢等は、凶行の理由として、氏は売国奴なり。
即ち、彼は韓国の禄を食み乍ら日本の利益を図り、韓国の事情に関して隨時虚報を伝へたりと陳述し、尚暴行は、何等陰謀に基けるものに非ず。
単に自己の意思に出でたりと主張せり。
診断結果によれば、スチーブンスは右肺に傷を受けているが、24日午前9時現在の容体は、医師はまだ全く危機を脱したとは断定しないものの、回復の見込み有りといえる、と。
「経過は頗る佳好なり」はどこ行ったんですかねぇ・・・。

で、張仁煥等は犯行の理由として、スチーブンスを売国奴扱いと。
彼は元々韓国の外交顧問だったわけで、韓国から給料貰っていたのに日本の利益を図り、韓国の事情について随時嘘報を伝えた、と。
っていうか、2人とも1905年にはハワイに渡ってるわけで、その後の韓国の状況について何が虚報で何がそうでないとか分かるんでしょうなぁ。(笑)
ちなみに犯行に背後関係は無く、自分の意志でやったと主張している、と。

さて。
ここでスチーブンスの容体が急変します。
1908年(明治41年)3月26日付『来電第102号』。

第27号
「スチーブンス」の容態は、本日午後不良に陥ひれり。
医師は唯々即時手術を行ふの外手段なしとし、万一の僥倖を希望して之を決行したり。
然るに其の結果、腸の下部6個所に貫通創あることを発見され、終に快愈の望無きものと診断せられたり。
右、小池総領事より電報あり。
25日午後、スチーブンスの容体急変。
医師は手術しかないとして、その望みに賭けて手術決行。
しかしその結果、腸の下部6ヶ所に貫通創が発見され、遂に治癒の望みは無いと診断された、と。
つうか、腸の貫通創って・・・。
見逃してたんかい!

ってことで、1908年(明治41年)3月26日付『来電第104号』。

第28号
「スチーブンス」は、昨25日午後11時10分、終に死去したる旨、小池総領事より電報あり。
こうして、1908年(明治41年)3月25日午後11時10分、ダラム・ホワイト・スチーブンスは息をひきとったのである。


今日はこれまで。



スチーブンス暗殺事件(一)