前回、「経過は頗る佳好なり」→「未だ全く危険を脱せりとは断定せざるも、回癒の見込あり」→「唯々即時手術を行ふの外手段なしとし、万一の僥倖を希望して之を決行」→「結果、腸の下部6個所に貫通創あることを発見」という経緯を辿って、遂に死去したスチーブンス。

今日はまず、その死去に当たっての処理から。
曾禰から李完用への、1908年(明治41年)3月27日付『統発第798号』より。

過日、米国桑港に於て貴国凶漢の為め奇禍を被りたる当府嘱託、「ダラム・ホワイト・スチーブンス」に対しては、其後該地帝国官憲に於て諸名医を聘し、治療上熱誠に注意を払ひ、経過佳良なりとの報道に接し、本官は只管其の快癒が一日も速ならんことを祈居候処、昨報別紙の通終に同嘱託逝去の報に接し、寔に哀悼の至に堪へず。
而して、此訃音を貴政府に転致せらるべからざるを、亦極めて遺憾とする所に有之候。
委細は、別紙に而御詳悉相成度此段通報申進候也。
スチーブンス死去を韓国政府に伝えるものですね。
別紙は添付されていないのですが、恐らくは前回の逝去の報の通りでしょう。

で、これには別紙として前回冒頭の『統発第1736号』等に対する李完用からの返事が添付されていますので、日本語訳文の方のみ記しておきます。

照復第130号

当内閣顧問「スチーブンス」氏、今24日朝米国桑港より華盛頓へ向け出発の際、同地に在る本国人の為めに狙撃され重傷を負へる旨昨日貴書に接し、嗣て再び第1737号の貴書及び別紙詳報に接し閲悉仕候処、同氏が意外の禍変に遇ひ重傷を負ひたるは驚駭に堪へず、而も此種の変事が本国人に由りて発生したるは、尤も遺憾とする所に有之候。
尚又、本件の伝播に因りて不穏の状態を惹起する如き虞は可無之と存候へ共、預め注意を払ひ、疎虞に亘らざる様可致候條、右御了承相成度此段及御回答候也。
スチーブンスが韓国人により狙撃され重傷を負ったのは驚きにたえず、韓国人によってこのような事件が引き起こされたのは尤も遺憾とする処だ、と。
で、『統発第1736号』で注意が促されているとおり、今回の事件が伝わることによって不穏の状態を惹起することの無いように注意したい、と。

続いて、恐らくは先ほどの死亡の通牒を受け取った、韓国政府の対応について。
曾禰から伊藤への、1908年(明治41年)3月27日付『往電第161号』より。

「スチーブンス」死亡に就き本日李総理大臣本官を訪問し、同氏が不慮の災禍に罹りたるを痛悼したる上、韓国政府は同氏の功労に酬ぜんがため、其の遺族の扶助に関し応分の力を致さんとのことを申出たり。
遺族扶助に就ては、自然御考案も之れあるべしと信ずれども、本官の所見にては同氏が凶手に仆れたるは個人関係に非ずして、其の誠実なる職務の執行より招きたる奇禍なるが故に、遺族の扶助に充つべき年金は其の受け居りたる俸給の約半額を以て標準とし、遺族終身の生計に供じたし。
外務省とも御協議の上、韓国政府の支出額等に就き御意見御回示ありたし。
先ほどの『照復第130号』では重傷を負った話しか出ていなかったわけですが、その後冒頭の『統発第798号』が届いたんでしょうね。
李完用が曾禰を訪問。
スチーブンスの功労に報いるために、遺族扶助で応分の助力をしたい、と。
勿論遺族扶助に関しては考えもあるだろうけれど、曾禰はスチーブンスが今回の事件で被害にあったのは個人的関係によるものではなく、誠実な職務執行から招いた災禍であるから、遺族扶助年金は給料の半額を基準にして算出したいってことですな。
で、韓国政府の支出額について意見を貰いたい、と。

これに対する伊藤から曾禰への返電。
1908年(明治41年)3月28日付『来電第108号』より。

貴電第59号「スチーブンス」遺族扶助の件に関しては、既に昨日外務大臣と協議の結果、日本政府より金15万円、韓国政府より金5万円を遺族に贈与することに決定せり。
而して韓国政府の支出に関しては、荒井次官より度支部に其旨を申送りたる筈に付、閣下に於ても可然御盡力相成りたし。
遺族扶助は、日本政府が15万円、韓国政府が5万円を遺族に贈与することになった、と。
んー、額的に見ると、年金等のように毎月渡すとかの話ではなく、一括で渡す形なのかな?

続いては、小松外務部長代理から古谷秘書官への1908年(明治41年)3月29日付『往電第165号』。

第62号
死亡の際は伝達し呉れよと、「スチーブンス」が米国総領事に出立前寄托したる統監宛書状一通、昨夜同総領事より送り来れり。
統監出発前御覧に入れ置く方便宜と信じ、別紙欧文暗号を以て電報す。
小松外務部長代理というのは、恐らく統監府にいた小松緑。
で、スチーブンスが、自分が死んだ時には伝達してくれとアメリカ総領事に預けた統監宛ての書状が1通、総領事から送られてきた・・・って・・・。
どういう心境で残していったんだろう・・・。

で、同様に外務大臣へも書状があったようです。
石塚英蔵長官代理から、珍田外務次官への書翰より。

「スチーブンス」氏が当地出発前、其の万一の死去を慮り、其の際は発送せられ度旨を述べ、在京城米国総領事に寄托したる外務大臣宛書状一通、同総領事より送付し来り候に付、茲に封入及御伝達候也。
その書き残していった文面は、以下のとおりになります。

I have two sisters who are entirely dependent upon me, and whom my death will leave in straitened circumstances.
If I survive and return to Korea and my relations with Korean Government terminate a present will be made to me.
May I ask Your Excellency in case of my death to direct that some allowance be made to my sisters.
I trust that the services I have rendered may justify this request in your eyes.
Stevens.

Dated, Seoul. December 7, 1907.
2人の妹に関して托した言葉ですね・・・。


今日はここまで。



スチーブンス暗殺事件(一)
スチーブンス暗殺事件(二)