前回は、1908年(明治41年)3月24日付ロサンゼルス新聞所載記事抄訳から、「この売国ヤツよ!<#`Д´>」という張仁煥に、微笑みながら「可哀想なヤツ。( ´H`)y-~~ 」と述べるスチーブンスまで見ました。
今日はその続きから。
では早速。

(中略)

「スチーブンス」氏、「エマーゼンシー」病院より「セントフランシス」病院に遷されんとするとき、警官来りて陳述書を作らんことを■べて、「ス」氏曰く、予は年齡55歳。
住所は韓国京城なり。
韓国内閣の顧問にして、事務庁は韓国宮中にあり。
予は日本丸にて横浜にて当市に来り、3月20以来滞在せり。
這般狙撃事件の背後には、政治問題ありと考ふ。
此等の韓人には未だ面識なし。
只、昨夜韓人数名「フエアモント・ホテル」来り予を襲撃せり。
韓人等は椅子を以て予に殴ってかかりしに、予は抵抗せるを以て彼等は遂に「ホテル」より遁れ去れり。
予が顔面の右にある傷は、此時負ひたるものなり。
予は、今朝連絡停車場に於て自動車より降りんとする際、此の2韓人を見受けたり。
其1人は、前の方に突進し来りて劇しく予の顔を殴打せり。
但し、両者の内孰れなるかを知らず。
其時予は、此者(病床に於ける田を指して)を追跡せり。
而して此者(張を指して)が予を射たるなり。
彼は2回予に発射せり。
誰か彼の手より短銃を捩ぢとりたるものありと思ふ。
其内群衆集り来りて出来事に干繁せり。
是れ出来事の梗概なり。
予は思ふ。
今の処、予の容体は死生相半ばす。
予は多望なり。
スチーブンスの陳述。
当時、55歳だったんだねぇ・・・。

で、11月5日のエントリーでのフェアモントホテルでの襲撃事件について、韓国人等は椅子でスチーブンスに殴りかかって来た、と。
しっかり火病ですがな。(笑)
つうか、それを「同氏は深く之を意に介せず、暴行者の捕縛せられざることを希望せり」だったのかよ・・・。_| ̄|○

一方、狙撃事件。
自動車から降りる時に2人の韓国人を見つけ、うち1名が前方から突進し激しく顔を殴打。
スチーブンスが田明雲を追った時に、張仁煥がスチーブンスに向けて2発発射した、と。

次が、田明雲の供述になります。

(中略)

田の陳述書に於て田曰く、予は25歳なり。
学生として米国に来れるも、資力なきを以て農業に従事し地方にありたり。
予は5日以前に桑港に帰り来りたり。
然れども、未だ職業を見出し得ず。
世界各国は、韓国を劣等国とせり。
予は常に之を悲む。
予は学んで以て自国を救はんが為めに本国を出発せり。
予は、他の国の如く自国の繁栄を見んと欲す。
而も、予が斯る希望を以て本国を出発せし以来韓国の状況は益々悪しく、日本は唯力を以て正理なりとなせり。
日本は、其望み通りの各種の條約を取結ばんと我国に圧■り。
如斯事情を以て、国は益々悲運に傾けり。
予の兄弟及親戚にして、日本人に殺されたるものあり。
然れども、茲に之を表明すべき何等の力を有せず、只空しく孤立せざるを得ず。
数日前「スチーブンス」氏は桑港に来り、韓国に関して多くの虚説を新聞紙へ伝へたり。
就中韓人は、本国に於て日本人を歓迎すと云ひ、氏は此事に関して米国民に講説せんとすと云へり。
茲に於て、予は氏を殺し、己も亦死せんと決心せり。
予は新聞紙より氏の肖像を得、其の華盛頓に赴かんとするを聞きたるを以て之を衣嚢中に蔵し連絡停車場に至りしに、1台の自動車近づき来り、1紳士が日本人とともに車を降りるを見たり。
直に肖像と見較べ、此紳士こそ予の索むる人なることを確め、其車を降らんとする際に狙撃せんと試みたり。
然れども、予が銃の車は回転せざりしを以て、直に銃を以て氏を殴たんと試み、出来得べくんば其の両眼を失はんと欲したり。
氏は予を打たんとせしを以て、其の刹那に予は逃れたり。
之れが我より強きを以てなり。
而して「スチーブンス」氏は、背後より予を射撃せり。
予は単独なりき。

予は、朝飯をも喫せざりき。
又た、何人にも予の企を告てざりき
予は単独なりしことを茲に繰返し置く。
予は目的の場所に行かんと、何人とも約束せざりき。
予は今や、死せんことを欲す。
予は負傷の疼痛に耐へざるなり。
予は又桜府并に桑港の夜学校に通ひしことあるを付言し置く。

(他は、大抵日本新聞記事と大差なきを以て訳を略す)
はい、ここ。
予習したとこですね。(笑) → ■獄長日記 【クソスレ】
まぁ、「世界各国は、韓国を劣等国とせり」と分かっている分、田明雲の方が張仁煥よりはマシかも知れない。(笑)

田明雲はこの時25歳。
学生としてアメリカに来たが、金が無くなって農業しながら地方に居た、と。
5日以上前にサンフランシスコに来たが、まだ職が無い。

で、「世界各国は、韓国を劣等国とせり」。
田明雲は常にこのことを悲しく思っていた、と。
そこで、勉強して自分の国を救おうと思って韓国を出発し、他の国のように韓国が繁栄するのが見たかった、というわけです。

田がそういう希望を持って韓国を出発して以来、韓国の状況は益々悪くなり、日本はただ力が正義だとして日本の望み通りの各種条約を韓国に強要し、韓国の国運は益々悲運に傾いた、と。
やはり、直接韓国に居て知ってたわけじゃなく、農業しながら伝聞しただけなのね。
っていうか、金が無くて農業してた田明雲自体の運命が悲運に傾いてるんじゃないんか、と。(笑)
田明雲の兄弟や親戚で日本人に殺された者がいたが、世間に訴える事も出来ずに孤立せざるを得なかったと言うんですが、この時期殺されたとすれば、暴民の一人だったか犯罪者だろ、と。

そんな中でスチーブンスがサンフランシスコに来て、韓国人は日本人を歓迎している等の虚説を述べ、それをアメリカ人に講演するってことを聞いて、田はスチーブンスを殺して自分も死のうと決心するんですね。
で、自動車から紳士が降りた所で新聞紙の肖像と見比べ、彼がスチーブンスであると確認。
狙撃しようとしたらリボルバーの弾倉が回転せず、仕方ないので拳銃でスチーブンスに殴りかかる。
ところが、スチーブンスが強かったので逃げる。
つうか、相手を殺して自分も死のうと決意して55歳に殴りかかって、自分より強かったから逃げる25歳って・・・。(笑)

逃げ出した田明雲に対して、スチーブンスが背後から自分を射撃した、と。
背後から撃たれても、誰が撃ったか分かるのね。
おまけに、自分一人でやった事で、朝飯も食わずに誰にも自分の計画は話さず、目的の場所に行こうと誰とも約束しなかったって・・・。
ねぇ、張仁煥は?
張仁煥は?(笑)

11月5日のエントリーでは、「不図同類の発したる弾丸に中り」だったわけですが、さてどちらが正しいんですかねぇ。
つうか、田の単独犯行なら傷害とかで済むかも知れませんし、自分の罪を軽くするための嘘にしか見えませんわなぁ。(笑)

で、負傷の痛みに耐えられないから、死にたい、と。
・・・。


今日はこれまで。



スチーブンス暗殺事件(一)
スチーブンス暗殺事件(二)
スチーブンス暗殺事件(三)
スチーブンス暗殺事件(四)