裁判の話がようやく出てきましたが、今日はウラジオストックの野村領事からの報告から見てみます。
11月11日のエントリーの李麟榮の檄文もそうですけど、どうしても捜査や裁判をアメリカが行っているので、事件の与えた影響の方が先に来てしまいますね。
発日がイマイチ不明なんですが、恐らく1908年(明治41年)5月3日発と思われる『送第42号』より。

韓国外部顧問「スチーブンス」氏被害事件に関する韓字新聞の論調に関し、在浦潮野村領事より別紙寫之通報告有之候に付、御参考迄右茲に及御送付候間、御査収相成度此段申進候。
敬具



スチーブンス暗殺事件に関するハングル新聞の論調は別紙のとおり、と。
で、この別紙が1908年(明治41年)4月17日付『第122号』になります。

桑港に於ける「スチーブンス」氏被害の報、当地在留韓人間に伝はるや、彼等は其機関紙とも目すべき海朝新聞に依りて大に這般加害者の行動を密窺し策を極て其究行を謳歌し、去本月7日の同新聞紙上に於て別紙訳文の如き意味の文を掲載し、玄、趙両名に対する義捐金の募集中にして、既に今日迄に同紙上に発表されたる応募金額累計159円余に上り居り候。
同新聞発行の義に関しては、曩に3月3日附公第75号を以て及報告置候処、爾來今日迄継続して発刊致居り、論説・本国通信・雑報・別報・電報・寄書・小説・漫筆等の諸欄を、論説としては主として母国の政治問題に関する評論を掲載し、本国通信としては主として暴徒に関する記事を蒐め、乃至中央政府若くは地方官の行動等動もすれば其私行を剔発し、大概母国又は本邦の各新聞紙を訳載し来り居り。
殊に暴徒の記事に於ては、之を「義兵」と称して暴徒側に有利なる記事に重きを置き、寄書(投寄者は稍文字を翻する当地又は北韓地方の韓人なり)は概して排日的口調のもの多く、或は社主崔某の同新聞発行計画乃至は其声望を謳歌するもの多く、就中全紙面を通して国民教育の普及に関しては、之が報道・奨励・評論等大に力を致したるの跡相見へ候得共、元来資本充分ならず、且発刊部数僅々4、500の間に在る小新聞のこととて、其本国通信・外報・電報などと称するも、一の通信員を有するにあらず。
又、一通の電報を接受する訳にも無之。
前記の如く他新聞の記事乃至電報を其儘通信乃至電報として訳載するに過ぎず、稀に北韓地方より入り込む韓人の伝ふる所を掲載する位に有之候。
元来同新聞は、韓人にして露国に帰化したる崔鳳俊なる者の経営に係り、当地方在留韓人の排日的意嚮を利用して之を慫慂し、陰に自家勢力の扶植に努めんとするものの如く、動もすれば露に阿りて我を誣ひんとするの意あるものの如く、先頃京城より来りし元皇城新聞社長張志淵を主宰とし、一小些事を報道するにも之を棒大に記載して以て其排日主義の鼓吹に努め居候へ共、今日迄の処未だ韓人間に何等の反嚮をも与へざる趣に有之候。
元来頑迷固陋にして時勢の如何を知らざる韓人輩が、其国権恢復、大韓独立等の文字の美にして其の辞の彼等を魅するよりして、何等深謀底意あるなく唯単に空文傲語に雷同して以て快となすは、其の母国に在ると外国にあるとを論ぜず一般韓民の常性に有之。
微々たる一韓字報「海朝」の如きが、如何に其の排日主義の鼓吹に努めたりとて、1、2の徒輩が其自己の利害より打算して之に附和雷同する位に止り、畢意徒労に帰するの外なく、彼等は事実其生活上の安心をさへ得れば母国政変の如何等に関しては、毫も痛痒を感ずる所にあらず。
今回桑港に於ける兇行に対しても、一般韓人は雲煙過眼更に何等の感念をも有せざるものの如く、唯崔某の名望其他海朝新聞経営者に対する関係上、単に表面上の応募を為したる位に有之候。
彼等は、母国の状態等大袈裟なる問題よりも、寧ろ自己生活の安寧と幸福とを計るに熱中し居るの実状に有之、当地方の排日熱の如き、目下の所にては深く留意するに足らざるべくと存候。
尚、今後一般韓人の言動に関しては、隨時報告可致候へ共、不取敢右報告旁卑見開陳仕候。
敬具
ここで言う玄・趙とは、田と張の誤字・誤訳でしょうね。
スチーブンス暗殺事件の報が在ウラジオストック韓国人に伝わると、彼等の機関紙とも言える海朝新聞で別紙のような文を掲載し、田と張に対する義援金を募集し、現在海朝新聞で発表された募金総額は159円に上る、と。
なお、別紙についてはこの後で。

海朝新聞の発行についてはこれまでも報告していたが、それ以来継続して発刊しており、主として韓国の政治問題に関する論説や、韓国や日本の新聞を訳した記事から暴徒に関する事や中央政府や地方官の行動を転載する本国通信等を掲載しているんですね。
特に暴徒については、これを「義兵」と呼んで暴徒側に有利な記事を書く、と。
ええ。
「義兵」ではなく、「暴徒」に過ぎませんから。(笑)

で、寄書は大体排日的口調のものあるいは社主崔某の同新聞発行計画ないしは其声望を讃えるものが多い、と。
ちなみにこの海朝新聞、あの安重根も投稿した事があると供述調書の中で述べております。

とりわけ、全紙面を通して国民教育の普及については報道・奨励・評論等大に力を入れているようだが、元々資本も少なく発行部数も4~500部なので、本国通信・外報・電報と言っても通信員が居るわけでもなく、他の新聞のパクリに過ぎない。
まぁ、史料中の『3月3日附公第75号』によれば、第1号は1908年(明治41年)2月26日発刊であり、この報告の翌月の1908年(明治41年)5月26日には、資本不足で廃刊になる、たった3ヶ月間しか発行されなかった新聞ですしねぇ。(笑)

元々海朝新聞は、韓国系帰化ロシア人の崔鳳俊という者の経営であり、ウラジオストック地方の韓国人の反日感情を利用してそそのかし、密かに自分の勢力を養おうとしているようであり、ややもすればロシアに阿って日本を誣いようとするようである、と。
つうか、帰化ロシア人って聞くと昨年の5月12日のエントリーを思い出すわけですが・・・。(笑)
どうせ、韓国籍から離脱してないんでしょうなぁ。

主宰となった張志淵は、皇城新聞で「是日也放声大哭」という文章を書いた人として有名ですね。
まぁ、現在の処韓国人になんの反響も与えていない、とされていますが。(笑)

次の表現がまた秀逸ですな。
「元来頑迷固陋にして時勢の如何を知らざる韓人輩が、其国権恢復、大韓独立等の文字の美にして其の辞の彼等を魅するよりして、何等深謀底意あるなく唯単に空文傲語に雷同して以て快となすは、其の母国に在ると外国にあるとを論ぜず一般韓民の常性に有之。」
元々考え方に柔軟さがなく、適切な判断ができず、時勢がどうであるか知らない韓国人達が、国権回復や大韓独立といった美名に酔っているだけで、何も深い考えがあるわけでもなく、単に役にも立たない見下した言い方に同調してこれを快いとするのは、韓国本国だろうと外国だろうと関係なく、一般韓国人の常態だ、と。
先日の、潘基文外交通商相が国連事務総長になった時の騒ぎを思い出すわけですが。(笑)

一ハングル新聞に過ぎない「海朝」が、いかに排日主義を鼓舞したとしても、1、2の輩が自分の利害で打算によって付和雷同する程度に止まり、彼等は生活上の安心さえ得れば韓国の政変について少しも痛痒を感じるわけではないのだから、無駄な努力となるだろう、と。
今回のスチーブンス暗殺事件についても、一般の韓国人は直ぐに忘れてしまって、何か感じたり思ったりする事もなく、ただ崔某の名望や海朝新聞経営者に対する関係上、単に表面的に応募したくらいだろ?と。
まぁ、159円しか集まってないようですし。
つうか、この後直ぐに廃刊になるわけですが、義捐金はどうなったんでしょうねぇ?(笑)


史料中の『別紙訳文』は次回に回すことにしまして、今日はこれまで。



スチーブンス暗殺事件(一)
スチーブンス暗殺事件(二)
スチーブンス暗殺事件(三)
スチーブンス暗殺事件(四)
スチーブンス暗殺事件(五)
スチーブンス暗殺事件(六)
スチーブンス暗殺事件(七)
スチーブンス暗殺事件(八)