さて、前回は別紙の解説が長くなったために途中で打ち切りましたが、1908年(明治41年)4月17日付『第122号』の最後に「去本月7日の同新聞紙上に於て別紙訳文の如き意味の文を掲載」とありましたので、今日はその別紙訳文の方を見てみましょう。

桑港志士玄・趙氏に対する義捐金募集の檄

敢て江東在留の我同胞に檄す。
曩に在米桑港の正義団が国賊「スチーブンス」を斃せしは、本紙の既に報道せし所なり。
乱臣賊子に誅戮を加ふるは孔夫子春秋の明示するところ、我外部顧問たりし彼は、我の禄を食み、我政府の責を負ひ、当に須く我皇の為めに嘉謀嘉猷あるべきに事茲に出でず、只管日本の為めに我国権を収奪せんことをのみこれ努め、遂に新協約の締結を見るに至らしめ、彼は揚言して曰く、太皇帝陛下政府大臣和同協意以て自ら日本の保護を請へりと其上下を欺瞞し、日本の手足となりて我韓を亡せんとし、我2,000万の同胞を売国一進会の徒と同一視する等、豈憤然たらざるを得んや。
今回彼が桑港に入るや我同胞に告げて曰く、日本の保護を受くるは汝等韓民の幸福なりと。
人心憤忿の情其の極に達し、遂に愛国の志士玄・趙両氏をして起て国賊を斃さしむるに至れり。
2氏は直に自首し、今や獄中に在り。
其の如何なる結案を見しやは未だ知る能はざるも、布哇其他在米の同胞が両氏の義気を飮暴し、各義捐金を募集し、獄中の両氏を救済せんとすと云ふ。
嗚呼、両氏の義気や、日月と其光を受くべく秋霜と其冽を競ふ欽愛せざらんと欲するも能はず、吾人他国の領土に在りと雖も、祖国に対する衷情は敢て人後に墮ちざるを自信す。
露領在留の我同胞数十万人中、豈両氏の如き忠義の士なしと謂はんや。
吾輩、茲に両氏の為めに義捐金募集を発起す。
有志の士、幸に応分の義捐を為し、以て両氏に同情を表せられんこと切望の至りに堪へず。

隆熙2年4月5日
自首?(笑)

さて、続いても今回の連載の主題からは、少し離れた史料から。
付日不明の『機密統発第495号』を、別紙(1908年(明治41年)5月1日発『第54号』)と併せて一気に見ていきましょう。

「ビシヨツプ・ハリス」に対する韓人陰謀の件

「ビシヨツプ」に対する在布哇韓国人の陰謀に関し、林外務大臣より伊藤統監宛別紙訳文の通電報到達候條、御心得迄右及送付候也。
(電文訳文各一通添付)


別紙訳文(『第54号』)

在布哇総領事より、左の如き電報到達したり。
韓国人金建鎬・李來洙・安元奎・李成(不明)・朴元基の5人は、電報を以て桑港に於ける韓国人同盟団を使嗾し、「ビシヨツプ・ハリス」の身体に対して危害を与へしめんとしたる趣に付、小官は直ちに電報を以て在米国桑港総領事に之を通知したるが、今や「ビシヨツプ」は危難を免がれたる趣報導せらる。
当地に於ける米国の検事は、目下本件に関して調査中なり。
ビショップ・ハリスは、昨年の12月13日のエントリーや今年1月8日のエントリー等で取り上げた事がある、メソジスト派宣教師。

彼に対して、在ハワイ韓国人の金建鎬・李來洙・安元奎・李成(不明)・朴元基の5人は、電報を使ってサンフランシスコの韓国人同盟団をそそのかし、ハリスに危害を加えようとしているようなので、在サンフランシスコ日本総領事に通知。
ハリスは難を免れた、と。

日本に有利、韓国に不利な発言しただけでこんな有様なんでしょうねぇ。
まぁ、11月11日のエントリーでの檄文の影響や、スチーブンス暗殺事件の影響が大きいんでしょうな。

続いて、今回の事件の大本になっていると目されてきている、合成協会・大同保国会・共立協会等に関連した史料を。
1908年(明治41年)5月29日付『機密送第24号』と、その別紙(1908年(明治41年)5月8日付『機密第26号』)より。
長いので分割しながら見ていきます。

桑港在韓人朴鳳來は、去る2月初旬より大同報及合同新報の2新聞を刊行し、大に排日思想を鼓吹致居り候趣に付、右実否取調方在同地小池総領事へ及訓令置候処、韓語新聞5葉相添へ別紙寫の通報告有之候に付、為御参考及御送付候間御査収相成度、此段申進候也。


別紙(『機密第26号』)

本年3月3日附機密送第5号信を以て、当地在留韓人朴鳳來なる者排日を目的とせる大同、合同(之れは布哇にて発刊)の2新聞発行の件に関し取調べ報告方御下命相成り、敬承致候。
爾来、右に関し種々探索候処、当地に於ける大同公報(桑港にて本年4月9日迄週刊、其後停刊)、共立新報(週刊)の両韓字新聞に直接関係する者の中には該名の人無之。
目下紐育某大学の在学生に朴鳳來なる者有之候由なるも、本人の性行及同人が果して貴信御申添の記事の投書者なるやは未だ詳知し得ず候へ共、当今在米韓人中には、一般に激烈なる排日思想行はれ居り、幾分文筆ある者は当地又は本国新聞に対し過激無稽の言論を投書し、以て其愛国の誠を衒ふ者多々有之。
右朴の如きも、多分此の中に洩れざる事と被存候。
前陳の如く、朴鳳來自身は当地両新聞の直接関係者にあらざると共に、彼は地方韓人の主張を左右する程の勢力ある者にあらざるは明白に有之候へ共、大韓毎日申報紙上、朴の書簡に於て主張する処は実に在米韓人一般の思想を代表するものに可有之候。
今回の史料の発端は、サンフランシスコ在住の韓国人朴鳳來に関する調査のようですね。
で、その報告、と。
ただ、史料中の1908年(明治41年)3月3日付『機密送第5号』については、見つけることが出来ていません。
まぁ、あまり重要でもなさそうなんで、気合い入れて探してないってのもあるんですが。(笑)

とりあえず、朴鳳來が問題となっている記事の投書者かは不明だけど、今在米韓国人の間では排日思想が激しく、少しでも文の書ける者は過激で荒唐無稽の言論を投書して愛国精神をひけらかす者が多い事から、朴みたいなのもその一人だろう、と。

その話の大本になった朴鳳來はサンフランシスコの2つの新聞の直接関係者でも、該地方韓国人の意見を左右するような勢力も無いのは明白であり、大韓毎日申報で朴が主張しているのは、在米韓国人一般の思想を代表しているに過ぎない、と。

投書が載ったのは毎日申報だったんですね。
この頃、丁度ベセルが『1907年清国及び韓国に関する英国枢密院令』違反で告訴された頃ですなぁ。
もしかしたら、その証拠とするための関連調査だったのかも知れません。
まぁ、この辺は1908年(明治41年)3月3日付『機密送第5号』等を調べないと不明ですけど。


史料、中途半端ですが、長くなりそうなので今日はここまで。



スチーブンス暗殺事件(一)
スチーブンス暗殺事件(二)
スチーブンス暗殺事件(三)
スチーブンス暗殺事件(四)
スチーブンス暗殺事件(五)
スチーブンス暗殺事件(六)
スチーブンス暗殺事件(七)
スチーブンス暗殺事件(八)
スチーブンス暗殺事件(九)