何か、一気に事態が進展しているのに、その間の史料がまったく無いというのは、実にかんしゃくが裂けますね。
( ´H`)y-~~

さて、前回いよいよ張仁煥への判決が出る事になったわけですが、果たして。
1909年(明治42年)1月4日発『来電第9号』より。

趙仁漢の裁判は、去る30日開廷の筈なりしも延期。
本日開廷。
被告より再審の請求ありしも却下せられ、25年の禁錮に処する旨判決言渡ありたり。
被告は目下控訴する模様なき趣、在桑港領事代理より電報ありたり。
と言うことで、張仁煥の判決確定。
禁錮25年、と。

続いて、1909年(明治42年)1月14日付『機密送第4号』より。
別紙も含めて一気に見ていきたいと思います。

客年12月3日貴電第133号を以て御申越の、「スチーブンス」事件の被告に対する裁判判決書送付方に関しては、其砌往電第186号を以て申進置候次第有之候処、右に関し今般在桑港永井総領事代理より、米国に於ける裁判は、全然陪審官制度に有之。
判決の主脳者は陪審官にして、彼等は密室に於て論議の上、単に犯人の何罪の何等に処すべきものなるやを宣告するに止まり(本件は殺人2等)、判事は右陪審官の判決に基き刑期を宣告するに過ぎず、従て右判決書にては、本邦に於ける判決文と異り、何等事件の成行を知悉するに足らざるものと被認候趣を以て、別紙目録の通該件裁判速記録、「スチーブンス」屍体検屍調書、并に陪審官に対する判事の申渡書、及最終の刑の判決録、総計10綴送付致来候に付、右茲に及御転送候間、御査収相成度。
尚ほ、前記申渡書及判決禄等は、火急入手の為米貨50ドルの仕払を要することと相成たる趣、同総領事代理より申越有之候に付ては、右に相当する金額、当方へ御廻送方可然御取計相成度、此段申進候也。

追て前記速記録は、他日田明雲に対する審判開始の期も有之候はば、必要のものに有之候趣に付、其御含を以て相当保存方御取計相成度、此段申添候。


○ 別紙
上件裁判書類目録

張仁煥に対する警察裁判速記録 一綴 93枚
同      上等裁判所速記録 一綴 自1頁至122頁
一綴 自123頁至186頁
一綴 自187頁至305頁
一綴 自306頁至438頁
一綴 自439頁至527頁
一綴 自528頁至585頁
一綴 自586頁至680頁
「スチーブンス」屍体検屍調書 一綴 70枚
陪審官に対する判事の申渡書及最終の刑の判決録 一綴 自1頁至29頁・自1頁至7頁
12月3日の第133号って、前回の12月2日発『往電』なのかな?
んー、でも往電第186号って『来電第203号』とは違うっぽいしなぁ。
まぁ、別物と考えて、まだ見つけてないと思っとこうっと。

で、アメリカは当然陪審員制度なんで、陪審員が密室で論議して、単に犯人が何罪の何等に相当するかを宣告し、裁判官がそれに基づいて刑期を宣告するだけだ、と。
ってことは、張仁煥の場合は陪審員が殺人2等として、裁判官が禁錮25年としたってことですね。

そういうことで、アメリカの判決書では日本の判決書と違って事件の成り行きが分からないため、別紙の目録の通り各種裁判資料を転送するから、と。
ちなみに、裁判資料を送るのに急いで入手したため50ドル必要になったから、朝鮮統監府で支出よろぴく、と。(笑)
んー、やっぱり歳入出とか予算の話、ピンポイントだと面白いよなぁ。

で、別紙が警察での記録やら裁判記録やらの目録、と。
・・・。
全部で800ページ分程度の資料読まんと駄目なんかい・・・。

まぁ、幸いというか何というか、これらの資料はまだ見つけてないんだけどね。
いや、見つからないと何が起きたか詳細が分からないじゃないか・・・。_| ̄|○


さて、気を取り直して次の史料へ。
次は、裁判や判決言い渡しの模様について。
1909年(明治42年)1月29日付『機密送第6号』より。

韓人張仁煥被告事件に対する裁判并に判決言渡の状況に関し、在桑港高橋総領事館事務代理より別紙甲乙号寫の通り報告有之候に付、御参考迄に右茲に及御送付候間、御査収相成度。
尚、別紙新聞切抜は御閲覧済の上御返戻有之度、此段申進候也。
ということで、別紙甲・乙号を見ていきましょう。
まずは、裁判に関する『別紙甲号』から。
長いんで、分割しながら。

故「スチーブンス」氏暗殺者、韓人張仁煥に対する裁判に関しては、本月10日附機密第43号を以て及御報告置候通り、本月7日より当市「Superiorion,Caurt,Department,No.12,Jadg e Carrell cook」の法廷に於て開始し、検事側より「Assistant District Attorney James Hanley」及当館より傭入れの「Samuel Knight」氏「Special Council」として列席し、被告側よりは「Nathan C. Coghlan」「John J. Barrett」及「Robert Ferral」の3氏弁護人として出席し、11日に至って陪審官13名(1名は事故欠員を生じたるときの予備)の選択を了し、引続き証人審問に着手す。
其状況左の如し。
全然関係ありませんが、陪審官13名とか聞くと「十二人の怒れる男」を思い出したり。(笑)

12月14日午前10時開廷。
弁護人「ナイト」氏は検事側とし、陪審官に対し「Opening Statement」として張仁煥犯行の状況を詳述し、其後検事側に於て提出すべき種々の証拠に鑑み、張仁煥に対し殺人犯の判決を与へんことを請求し、第一証人として旅館「フエアマウント」の傭丁「E. B. Findley」を召喚して、「ス」氏遭難の状況を詳述せしめ、続て「ス」氏傷所の治療に従事せし「Dr. J. W. Huntington」「Dr. Wallace, J. Terry」及「Dr. Fred, H. Dumwalt」の3氏を召喚して、傷所及施術の模様を詳述し、「ス」氏の銃傷2ヶ所共致命傷にして、医師の手当に何等の手落なかりしを証言せしめ、午後4時半閉廷せり。(前記3医師は、「ス」氏治療の為め雇入れたるものなり)
まずは検事側から、犯行状況を知っている証人による証言と、スチーブンスの受けた傷及びその治療に関して、治療に当たった医師らの証言について。
つうか、何を話したかが知りたいのに、やっぱり書かれてねーよ・・・。_| ̄|○


今日はこれまで。



スチーブンス暗殺事件(一)
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