何だかんだで連載18回目。
1回のエントリーの記述を短めにしたら、読むのは比較的楽になったと思うんだけど、さすがに回数は伸びるね。
ま、書いてる方もこっちのが楽だから良っか。(笑)

っていうことで、取りあえずの最終回。
前回までで1909年(明治42年)1月29日付『機密送第6号』と、それに付属の裁判状況を記した『別紙甲号』を見てきました。
今度は、刑期宣告の話に当たる『別紙乙号』に入っていきます。
では早速。

故「スチーブンス」氏暗殺者韓人張仁煥に対し、本月2日を以て判決言渡ありたる趣は、不取敢電報致置候次第の処、尚御参考迄当日弁論の模様左に報告申進候。

当日開廷するや、先づ被告側弁護士は、本件審査中被告は同国人田明雲の危難を救ふため「ス」氏を射撃したるものにて、所謂正当殺人「Justicial Homicide」を以て弁護の主脳となしたるに、判事が陪審官に与へたる論告中「Court Instruction」、右被告側の申立に係る條項を包含せざりしは違法なるに拠り、本件の再審を請求する趣旨を以て請願書を提出したるも、判事は右に対し、被告弁護人等は正当殺人を主張すと雖も、本件審理中被告は曾て之に言及したること無之。
且つ、此際被告の口供を徴するとするも、被告は一方既に狂者なるの理由を以て弁護せらるる以上は、本人の口供は何等の価値なく、従て右弁護方法に関し論告の必要なかりしものと認むるを以て、再審の請求を容れざる旨を宣したるに、被告弁護人「Farrell」は陳述して曰く、本件連日の審理にて判事の熟知せらるる通り、本人の行為は愛国の至情に出でたるものにて、其情況尤も愿諒すべきものあり。
已に陪審官の決定も2等殺人犯となせり。
されば、仮令法律の規定する刑の範囲は、加へて終身禁錮に及ぶを得るも、此際同人を殆んど極度に処罰するは陪審官決定書の趣旨に違反するものなれば、賢明なる判事に於て情状酌量の上、軽きに従ひ処罰せられんことを希望する旨を述べたり。
1909年(明治41年)1月2日、判決言い渡しの日。
開廷するや、被告弁護人がスチーブンス暗殺事件について、田明雲の危険を救うためにスチーブンスを撃ったもので、所謂正当殺人であるという旨の弁護の主軸として、判事が陪審員に与えた論告中、弁護側の申し立てに係る条項を含んでいなかったとして、再審請求。

すると判事は、弁護人は正当殺人と主張するけど、今回の審理中張仁煥は一度もその話をした事がなく、またその時に張仁煥の証言を得たとしても、もう張仁煥は狂人だったという理由で弁護しているんだから、その証言に全く価値無いでしょ?と。
法廷戦術、失敗。(笑)

で、正当殺人については論告の必要は無いものと認めたため、再審請求は受け付けないよ、と。
更に弁護側は、張仁煥の行為は愛国心から出たものであり、情状酌量すべきであり、現に陪審員も2等殺人犯とした。
そうであるなら、例え法律の規定する刑の範囲は終身刑まであるけれども、張仁煥に重い刑を科す事は、陪審員の決定書に違反するものであり、賢明なる判事は情状酌量して軽い刑を希望した、と。

之に対し原告側「Knight」は、被告が最も公平なる審理を受けたるは何人も首肯する処にして、本件が最も凶悪なる殺人犯なるに拘らず、2等殺人犯の宣告を受けたるに止まるは、主として賢明なる被告弁護士諸君の技倆に依るものにして、決して事件の性質上酌量すべき処あるが故にあらず。
被告弁護士諸君は、事情の憐むべきを云為せらると雖も、本件に何等酌量の余地なきは疑なき処にして、凶行前日及当日朝当地在留韓人代表者等が、「フエアモントホテル」に「ス」氏訪問の事実等は、当法廷に証拠として提供するを拒絶せられたるが如きは、寧ろ被告に有利なる審理を受けたるものと云ふべし。
されば、此際必ず重きに従ひ終身に処罰せられんことを希望する旨を述べたり。
一方検察側は、張仁煥が公平な裁判を受けてるだろ?
今回の事件が凶悪犯罪であるにも拘わらず、2等殺人犯の宣告に止まったのは、主に被告弁護士の技量によるものであって、事件の性質によって酌量されたわけじゃないでしょ?と。
つうか、テロ推奨状態になっちゃいますからねぇ。(笑)

で、弁護側は事情が憐れむべきだと言うけど、今回の事件に関して情状酌量の余地が無いのは疑いなく、事件前日に韓国人の一団がフェアモントホテルにスチーブンスを訪問した事実とか、今回の裁判に証拠提出を拒否されてるでしょ?と。
まぁ、前日のフェアモントホテルの一件の話があれば、在米韓国人団体の繋がりによる計画的殺人の疑いが濃厚になるってことでしょうね。
証拠云々よりも、特に陪審員の心証的に。

ってことで、裁判は寧ろ張仁煥に有利なものだっただろ?と。
そして、検察側は終身刑を希望するわけですね。

判事は、本件は陪審官に於て2等殺人犯に決したる以上は、之に対して終身刑を加ふるは本官の意にあらず、従前の例に徴するに、2等殺人犯に対しては10年・15年・17年及20年にして、重きも之に過ぐるは稀なるも、本件は寧ろ極端のものと認むるを以て、被告張仁煥の25年間の禁錮に処すべしと宣し、茲に本件は一段落を告げたる次第に有之候。
被告は右に対し、控訴の模様無之候。
右及報告候
敬具
判事は、今回の事件を陪審官が2等殺人犯に決めた以上は、張仁煥に終身刑を加えるのはおかしい、と。
前例からすれば、2等殺人犯は10年・15年・17年及20年の禁固刑であり、これ以上重い刑は稀ではあるけども、今回の事件は極端なものであると認め、張仁煥に25年の禁固刑が宣告されるわけです。

陪審官は比較的軽めの2等殺人犯とし、裁判官はその2等殺人犯の中でもかなり重い刑罰を科したという形になりますね。

さて、11月19日のエントリーで統監府に届いた裁判資料ですが、どうもそのまま統監府にあったわけでは無いようです。
京城地方裁判所検事正中川一介から統監府外務部長の小松緑への、1909年(明治42年)2月1日付『発第7号』より。
「スチーブンス」殺害事件に関する、田明雲・張仁煥に対する米国に於て為されたる判決書寫送致方、予て関東都督府法院検察官より嘱託相成居候に付、右判決書寫御接受の上は、直接都督府へ御送致相成候様致度、此段及照会候也。
関東都督府法院からお願いされてたので、判決書等の寫を直接関東都督府へ送ってくれ、と。
これを受けて、曾禰統監から関東都督への、1909年(明治42年)2月2日付『機密統発第190号』。

「スチーブンス」殺害事件に付き、田明雲・張仁煥に対し米国に於て為されたる判決書寫送附方、予て貴府法院検察官より京城地方裁判所検事正中川一介に嘱託相成居候処、今般外務省より右判決書寫送附し来り候に付、右書類一括小包を以て本日郵送候條、御査収相成度。
尚、該申渡書及判決録等入手の為米貨50ドルを要したる旨、別紙客月14日附機密送第4号の通り外務省より申越候に付、右金員貴府より同省へ御直送方可然御取計相成度、此段申進候也。
ということで、先の11月19日のエントリーでの裁判資料は関東都督府に。
ついでに、その際の料金50ドルも関東都督府に。(笑)

あー、詳細調べるんなら、まずは関東都督府にあった資料が何処に行ったかから始めないと駄目なのね・・・。
つうか、無理。(笑)


ってことで、スチーブンス暗殺事件でした。
おしまい。



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