今日は、ちょっと東学党の乱をお休みして、目先を変えてみます。
尤も、1月30日のエントリーでも出てきた通り、全く無関係なわけではないわけで。
というか日本が朝鮮に出兵した理由が済物浦条約というのは、割とポピュラーな話だと思うわけです。

でもまぁ、ちょっとググって見れば分かるとおり、割と全条文が載ってるところってまず無い。
ってわけで、載せておこう、と。
決して東学党の乱に飽きてきたとか、ちょっと楽してこっから先の連載を纏める時間を作ろうとか、そういう意図ではありませんよ。
ええ。
決して。(笑)

さて、それでは史料を。
とは言っても、そのままズバリの史料をアジ歴では見つける事が出来なかったので、今回は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーから、韓国統監府が1906年(明治39年)に出した『韓国ニ関スル条約及法令』によってテキスト化したいと思います。

済物浦条約(明治15年8月30日済物浦に於て調印)

日本暦7月23日、朝鮮暦6月9日の変は、朝鮮の兇徒日本公使館を侵襲し、職員多く難に罹り、朝鮮国聘する所の陸軍教師又惨害せらる。
日本国は和好を重ずる為め妥当議弁して、下記の6款及別訂続約2款を実行することを約し、以て懲前善後の意を表す。
是に於て両国全権大臣は記名捺印して、以て信憑を昭にす。

第一
今より20日を期し、朝鮮国は兇徒を捕獲し巨魁を厳究し、重きに従て懲弁する事。
日本国は員を派して立会処断せしむ。
若期日内に捕獲する能はざるときは、応に日本国より弁理すべし。

第二
日本官吏にして害に遭ひたる者は、優礼を以て瘞葬し、以て其の終を厚ふする事。

第三
朝鮮国は5万円を支給し、日本官吏の遭害者の遺族竝に負傷者に給与し、以て体■(血+おおざと)を加ふる事。

第四
兇徒の暴挙に因り日本国が受くる所の損害、公使を護衛する海陸兵費の内50万円は、朝鮮国から填補する事。
毎年10万円を支払ひ、5箇年にして完済す。

第五
日本公使館は兵員若干を置き警衛する事。
兵営を設置修繕するは、朝鮮国之に任ず。
若朝鮮国の兵民律を守る1年の後、日本公使に於て警備を要せずと認むるときは、撤兵するも差支なし。

第六
朝鮮国は特に大官を派し国書を修し以て日本国に謝する事。

大日本国弁理公使 花房義質 印
朝鮮国全権大臣   李裕元   印
朝鮮国全権副官   金宏集   印
まぁ、締結過程とか、そもそもの壬午事変なんかは、気が向いたらやりたいとは思うんですが、今のところやる気無し。(笑)
きままに歴史資料集さんのとこで、かなりの部分理解できますしね。
(ちなみに、済物浦条約の調印に関しては、「明治開化期の日本と朝鮮(23)」から。)

ちなみに前文の部分は、「及別訂続約2款」とあるとおり、後に書き換えられた部分ではないかと思われます。

で、ついでなんで、参考までに漢文の方も。(一部字体変更)

濟物浦条約(明治十五年八月三十日於済物浦署名蓋印)

日本暦七月二十三日朝鮮暦六月九日之変朝鮮兇徒侵襲日本公使館職事人員致多罹難朝鮮国所聘日本陸軍教官亦被惨害日本國為重和好妥当議弁即約朝鮮國實行下開六款及別訂續約二款以表懲前善後之意是両國全権大臣記名蓋印以昭信憑

第一
自今二十日朝鮮國捕獲兇徒厳究巨魁従重懲弁事
日本国派員眼同究治
若期内未能捕獲応由日本國弁理

第二
日本官胥遭害者由朝鮮國優禮瘞葬以厚其終事

第三
朝鮮國撥支五萬圓給與日本官胥遭害者遺族竝負傷者以加體■(血+おおざと)事

第四
因兇徒暴擧日本國所受損害及護衛公使水陸兵費内五拾萬圓由朝鮮填補事
毎年支十萬圓待五箇年濟完

第五
日本公使館置兵員若干備警事
設置修繕兵営朝鮮國任之
若朝鮮國兵民守律一年後日本公使視做不要警備不妨撤兵

第六
朝鮮國特派大官修國書以謝日本國事

大日本國辨理公使 花房義質 印
朝鮮國全権大臣   李裕元   印
朝鮮國全権副官   金宏集   印
さて、見て貰えば分かるんですが、1月30日のエントリーで話に出てきた、1885年(明治18年)7月18日高平臨時代理公使の知照についても掲載されていますので、そちらも見てみましょう。

護衛兵派遣の権利留保に関する往柬

以書翰致啓上候。
陳者当7月21日我護衛兵全数を撤回するは、是我明治十五年済物浦に於て訂結せし條約に照遵し、其の警備を要せざるを認め暫く撤回するものなれば、将来若事ありて再護衛を要するときは、仍随時兵を派して護衛せしむべければ、今回護衛を撤するに因り、誤て前約を廃滅したりと謂ふを得ず。
宜く此の意を以て、一併に朝鮮政府に声明知照し、且其の各兵営は何れも暫く之を返還すべき旨、今般本国政府より檄文を以て訓令有之候に就き、早速右撤回方取計候條、此段御紹介得貴意候。
敬具

明治18年7月18日
大日本国代理公使高平小五郎
大朝鮮国督辨交渉通商事務金貴下
要するに、今回撤兵するけど、また何か起これば随時派兵して護衛するからね。
済物浦条約が無くなったわけじゃないので、ヨロ、と。
で、次がこれに対する朝鮮政府の返事となります。

同上の来柬

以書翰致啓上候。
陳者当7月21日我護衛兵全数を撤回するは、是我明治十五年済物浦に於て訂結せし條約に照遵し、其の警備を要せざるを認め暫く撤回するものなれば、将来若事ありて再護衛を要するときは、仍随時兵を派して護衛せしむべければ、今回護衛を撤するに因り、誤て前約を廃滅したりと謂ふを得ず。
宜く此の意を以て、一併に朝鮮政府に声明知照し、且其の各兵営は何れも暫く之を返還すべき旨、今般本国政府より檄文を以て訓令有之候に就き、早速右撤回方取計候旨御照会の趣、謹で致閲悉候。
右御照会の趣は、記録に存し置候條、此段御回答得貴意候。
敬具

乙酉6月初8日
大朝鮮国督辨交渉通商事務金
大日本国代理公使高平小五郎貴下
これについては、漢文の方は省略。


ってことで、済物浦条約と1885年(明治18年)7月18日高平臨時代理公使の知照でした。


(了)