旅行から帰ってきた。
車での移動距離約1,200kmで、東北縦断往復旅行な感じ。
流石に疲れた・・・。

さて、今日もアジア歴史資料センター『大正十二年九月・関東戒厳司令官命令通牒告諭(レファレンスコード:A03032035800)』から見ていくことにします。
9~10ページ目。
1923年(大正12年)9月4日付『関東戒厳司令官命令第2号』より。

第2号
関東戒厳司令官命令

軍隊の増加に伴ひ、警備完備するに至れり。
依て、左の事を命令す。

一.自警の為め団体若くは個人毎に所要の警戒法を執りあるものは、予め最寄警備部隊、憲兵又は警察官に届出で、其の指示を受くべし。

二.戒厳地域内に於ける通行人に対する誰何、検問は、軍隊、憲兵及警察官に限り之を行ふものとす。

三.軍隊、憲兵又は警察官憲より許可あるに非ざれば、地方自警団及一般市民は、武器又は凶器の携帯を許さず。

大正12年9月4日
関東戒厳司令官 福田雅太郎
ってことで、4日には自警団その他を統制しようとしているわけです。
特に、「通行人に対する誰何、検問は、軍隊、憲兵及警察官に限り之を行ふ」が面白い所。
「十五円五十銭」や「ガギグゲゴ」とか・・・ねぇ?(笑)

この告諭と命令について、前回の日弁連の「関東大震災人権救済申立事件調査報告書」の中では、

これらの告諭及び命令は、「不てい団体ほう起の事実を誇大流言し、かえって紛乱を増加する」 事態の存在を前提にしており、こうした状況が生じてしまっていたこと(ないしその懸念が生じていたこと)を示している。そして、自警団を初めとする一般人による、通行人に対する誰何、検問、武器・凶器の携行が行われていたところ、軍隊による警備完備に伴って、そのような事態を変更しようとしたことを示している。
このように不逞団体蜂起の流言飛語の流布という状況は自警団による虐殺行為の前提として存在していたのであり、戒厳司令官はこのような事態を認識したうえで、その転換を図る挙にでたのである。
これは、こうした事態が国家的関与と国家的政策の支配の下におかれていたことを示しているともいえる。
と宣っているわけですが、最後の「こうした事態が国家的関与と国家的政策の支配の下におかれていたことを示しているともいえる。」って、ぶっ飛び過ぎだろ。(笑)

さて、続いては『御署名原本・大正十二年・勅令第四百二号・大正十二年勅令第三百九十九号〔大正十二年勅令第三百九十八号(一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スルノ件)ノ施行ニ関スル件〕中改正 (レファレンスコード:A03021469600)』より。
1923年(大正12年)9月4日付『勅令第402号』。

朕大正12年勅令第399号中改正の件を裁可し、茲に之を交付せしむ。

大正12年9月4日
内閣総理大臣 伯爵 山本権兵衛
陸軍大臣 男爵 田中義一

勅令第402号
大正12年勅令第399号中、左の通改正す。
「東京府、神奈川県」の下に「、埼玉県、千葉県」を加ふ。

附則
本令は、公布の日より之を施行す。
更に対象地域拡大。
つうか、法令とかって何で元法令を直す形になってるんでしょうねぇ?
改正後の条文が無ければ、途中抜かしたらワケわからなくなっちゃう。(笑)

つうことで、第399号が「東京市、荏原郡、豊多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡」だったのを、第401号で「東京府、神奈川県」に変更し、今回の第402号で追加して「東京府、神奈川県、埼玉県、千葉県」になった、と。

で、この勅令402号での地域拡大を受けて、『大正十二年九月・関東戒厳司令官命令通牒告諭(レファレンスコード:A03032035800)』の10~11ページ目から。
1923年(大正12年)9月5日付『関東戒厳司令官命令第3号』より。

第3号

本年勅令第402号を以て、戒厳施行地域を千葉、埼玉両県下に拡張せられたるに依り、関係地方長官及警察官、竝郵便局長及電信局長は、勅令第402号施行地域内に於て、本司令官の管掌の下に左の諸勤務を施行すべし。
但し、之が施行は、罹災者の救護竝地方民心の安静を目的とするを以て、能く時勢の緩急に応じ、寛厳宜しきに適するを要す。

一.関係地方長官竝警察官は、時勢に妨害ありと認むる集会、若は新聞紙・雑誌・広告を停止すること。

二.関係地方長官竝警察官は、兵器・弾薬等、其他危険に亘る諸物品は、時宜に依り之を検査し押収すること。
関係地方長官竝警察官は、時宜に依り出入の舩舶及諸物品を検査すること。

三.関係地方長官竝警察官は、各要所に検問所を設け、通行人の時勢に妨害ありと認むるものの出入を禁止し、又は時機に依り水陸の通路を停止すること。

四.関係地方長官竝警察官は、昼夜の別なく人民の家屋・建造物・船舶中に立入り検察すること。

五.関係地方長官竝警察官は、本令施行地域内に寄宿する者に対し、時機に依り地境外に退去を命ずること。

六.関係郵便局長及電信局長は、時勢に妨害ありと認むる郵便・電信は、開緘すること。

大正12年9月5日
関東戒厳司令官 福田雅太郎
前回の冒頭、1923年(大正12年)9月3日付『関東戒厳司令官命令第1号』とほぼ同様の内容なわけですが、大きく違う点が2つ程あります。

まず、各条文の文言から「警視総監」が抜けている事。
勿論、千葉や埼玉に警視総監がいる筈も無いですから、当然っちゃ当然の話。

もう一つは前文ですね。
「罹災者の救護を容易にし、不逞の挙に対し之を保護するを目的」から、「罹災者の救護竝地方民心の安静を目的」と変わっております。

日弁連の「関東大震災人権救済申立事件調査報告書」での「こうした事態が国家的関与と国家的政策の支配の下におかれていたことを示しているともいえる。」。
僕なんかが見れば、逆に単に自警団のやり過ぎが目にあまって、戒厳令地域が「東京市、荏原郡、豊多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡」→「東京府、神奈川県」→「東京府、神奈川県、埼玉県、千葉県」に拡大されていっただけのように見えますが。

内務省警保局長の打電とか、不穏な噂が流れている段階で警戒態勢を取るのって、当たり前だろ、と。
浮説の発生源が明白になる事なんてあり得ないわけで、警保局のせいにするのもどうかと思うんですがねぇ。

まぁ、どちらにせよ自警団が色々とやっちゃってるらしいですな。


ってところで、今日はここまで。



関東大震災関係史料(一)
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