俵孫一の訓示が長すぎて、倒れて保健室に運ばれそうなので、ちょっと休憩。(笑)
ってことで、標題。

ハーグ密使事件から100周年ということで、何やら朝鮮日報が特集しているらしい。
先月も、HDが吹っ飛んで休憩中のkimuraお兄さんのブログ「木村幽囚記」で、【【コラム】100年前の6月(上)】(朝鮮日報6月7日)と、【【コラム】100年前の6月(下)】(朝鮮日報6月7日)の2つの記事が紹介されていました。

で、今日は合計4つの記事を紹介したいな、と。
全部纏めて掲載します。


まともな「信任状」もない旅立ち(上)
まともな「信任状」もない旅立ち(中)
まともな「信任状」もない旅立ち(下)
ハイデブリンク氏「信任状に関する文書、所蔵していない」


今から100年前の1907年4月、大韓帝国のイ・ジュンとイ・サンソル、イ・ウィジョンら3人の「密使」は、日帝による侵略の不当性を訴えるため、オランダ・ハーグで開かれていた第2回万国平和会議の会議場へと旅立った。

しかし、当時世界を牛耳っていた列強は、彼らに関心を持とうとせず、日本による妨害は執拗(しつよう)なものだった。
国運の危機は頂点に達し、密使らは死を覚悟していた。
彼らがハーグに到着したのは6月25日のことで、イ・ジュンは7月14日に現地で亡くなった。
本紙は、密使らの動きを逆追跡(ハーグ←サンクトペテルブルク←ウラジオストク←釜山←ソウル)し、この100年間埋もれたままになっていた新事実を発掘する。

時々刻々と締めつけを強める日帝の圧迫、そして国際社会から疎外され、冷遇を受け、絶望と鬱憤(うっぷん)に倒れていった彼らの絶叫が今も耳に響いてくるかのようだ。


◆密使らが到着した100年前の駅はそのままだが…

2007年6月15日、オランダ・アムステルダムのスキポール空港から汽車に乗り、30分余りでハーグ中央駅に到着する。
ここから1キロ程度離れた場所に、今でも100年前の姿をそのままとどめたハーグHS駅がある。

1907年6月25日、3人の東洋人が暗い表情を浮かべながら、ハーグHS駅に降り立った。この3人の東洋人とは、前平理院(最高裁)検事のイ・ジュン(48)、前議政府参賛のイ・サンソル(37)、前駐ロシア公使館参書官のイ・ウィジョン(20)。
釜山港を出発してから2カ月後、数万里におよぶ旅路がここで終わりを告げた。

万国平和会議は既に10日前に開幕していた。
彼らの足取りは重かったが、取り急ぎ、みすぼらしい「ドゥ・ヨン」ホテルに宿所を定めた。
そして、その翌日に彼らは「皇帝の玉璽が押された信任状」を手にし、会議への出席を要求したとされている。

しかし、今回の取材で会ったオランダ国立文書保管所の担当者・ハイデブリンク氏は、本紙とのインタビューで意外な事実を指摘した。

「3人がハーグで皇帝の信任状を提示したという記録はまったく存在しない」

「ドゥ・ヨン」ホテルの位置に建てられた「イ・ジュン烈士記念館」。訪ねる人もほとんどいないこの場所には、「信任状」の写真がきれいに飾られている。
この写真は、イ・ジュンがこのホテルの部屋で亡くなってから1カ月後の1907年8月、米ニューヨークで発行された雑誌『インディペンデント』に掲載されたものだ。
4月20日付となっているこの信任状には、3人の特使を派遣し、韓国の外交権回復に当たらせるという内容が記されている。
左側には「大皇帝」という文字の下に手決(自筆署名)があり、その下に「皇帝御璽」の印が押されている。
以来、この写真は多くの書籍に転載された。


◆信任状の御璽を偽造

しかし、この信任状に押された皇帝の印章は、偽造の可能性があるとの主張がソウルで提起された。
書誌学者のイ・ヤンジェ氏(イ・ジュン烈士殉国100周年記念事業推進委員会総務理事)は「信任状に押された皇帝の印章である御璽が、本物ではないことは明らかだ。皇帝のほかの親書と比べて見ると、印刻の字体が大きく異なり、印章を押したのではなく、筆で描かれたもので、にじんだ跡が見える」と指摘した。

また、印刻専門家のチョン・ビョンレ氏(古岩篆刻芸術院院長)も写真を見た後、「“帝”の字は、上の部分の画の長さや間隔がそろっておらず、“璽”の字も真ん中の文字の切れ目がないことから見て、ほかの文書にある御璽とは完全に異なっている。非常につたない実力で作成した模作に過ぎない」と断定した。

だが、御璽が偽造とは一体どういうことなのだろうか。
ソウル大国史学科の李泰鎮(イ・テジン)教授は「わたしが見ても信任状の御璽や手決に違和感が感じられる。しかし、皇帝の命もないのに特使として活動することはできない。そのため、信任状には高宗の意中が込められており、任務を口頭で伝え、後で書き入れるようにした委任状と見るべき」と推測した。

つまりこれは、日本軍が宮中を取り囲んだまま、水も漏らさぬほど厳重に皇帝を監視していたため、白紙の信任状を渡したということだ。
事をしくじった場合、善後策を講じることのできなかった高宗としては最善の防御策であり、目前に迫っていた万国平和会議を前に焦っていた密使らにとっても、ほかに選択肢がなかったのだろう。
ハーグ密使委任状2


◆高宗の「特使」派遣努力は挫折

最近、オランダ・ライデン大のクン・ツィステル教授は、高麗大が主催した学術大会で、「当時、万国平和会議の副総裁だったドゥ・ボフォートが密使らと話を交した後、“本物の密使”との判断を下した」という趣旨の発言をした。
しかし、この際も信任状を示したわけではなかった。

イ・ジュンは3月24日夜、徳寿宮重明殿で皇帝に極秘裏に拝謁したが、やはり信任状を受け取ることはできなかった。
信任状はその後、尚宮(宮廷女官)や外国人のハルバート博士のように、日本軍によるチェックを余り受けずに済む人物によって持ち出されたものと推定されてきた。

ここで再びハーグ現地のイ・ジュン烈士記念館に話を戻すと、記念館にはイ・ギハン館長が探し出したロシア側の招待国リストの写本が展示されている。
このリストによると韓国は、47カ国におよぶ招待国の中で12番目に記されている。
1905年の第2次日韓協約(韓国の外交権を日本側に譲り渡した条約)直前、ロシア皇帝ニコライ2世が06年に予定されていた万国平和会議の招待状を高宗に送った。
このとき高宗は特使派遣に非常に積極的な姿勢を見せ、列強の国家元首らに親書を送り、第2次日韓協約が無効であることを訴えた。
しかし、既に外交権を喪失していたため、皇帝の努力は挫折に終わった。

その後、万国平和会議が1年延期され、今度は民間から特使派遣を唱える声が上がった。
1907年3月、ソウル尚洞教会を中心に、全徳基(チョン・ドクキ)、イ・ジュン、李会栄(イ・フェヨン)などの人物らがこの問題について協議し、この3人を特使として派遣するという原則が打ち出された。
そこでイ・ジュンが高宗に拝謁し、「特命」を受けたというのがこれまでの通説だった。
ハーグ密使行程



◆密使らはどれほど暗鬱で切迫していたのか

しかし、密使らは出国が迫った4月末まで、誰かが代わりに持ってくるはずの「印章だけが押された白紙の信任状」すら受け取れず、高宗はロシアから送られた招待状も密使らに渡すことができなかった。
その後も力なき皇帝は、密使を自分が送ったということを是認も否認もできなかった。

ただ明らかな事実は、信任状に問題があることを知りつつも、急きょ出発しなければならないほど、3人の密使のハーグ行きが非常に差し迫った状況の中で行われたものだったということだ。
イ・ジュンが釜山港を出発したのは、信任状の日付からわずか3日後の4月23日だった。
2カ月後、ハーグHS駅に到着したとき、彼らの心中はどれほど暗鬱かつ切迫していたことだろうか。

「イ・ジュンら3人の密使は、皇帝から特使として委任されたと主張したが、ハーグでそれを証明する証拠を提示したという記録は残っていない」

ハーグにあるオランダ国立文書保管所のイリス・ハイデブリンク氏(57)=写真=は、10年余り前から韓国関連の外交文書を整理してきた担当者だ。

信任状に関する記録について、ハイデブリンク氏は「密使らが何も示さなかったため、われわれも信任状に関する文書を所蔵していない」と述べた。

またハイデブリンク氏は、当時密使らに関心を示した各国の記者の中には、彼らが本当に韓国皇帝の命を受けた代表なのか疑う人もいたと話した。
しかし、ハイデブリンク氏は、この3人が第2次日韓協約は強制されたものであると訴える書簡を各国代表に送ったことは、「国際社会に向けた最後の訴え」として大きな意義があると指摘した。

3人の密使は、各国代表に送った書簡で、「日本の奸巧がわが国と友邦国家との間で維持されてきた友好的外交関係を断絶させ、恒久的な極東の平和を脅かすことを、われらが独立国家としてどうして受け入れることができようか」と堂々たる叫びを上げた。

この抗議書について、ハイデブリンク氏は「当時、弱小国が作成した多くの抗議書を見てきたが、この抗議書のように明瞭かつ卓越した表現で、列強による侵略の不当性を訴えた文書はほかにない」と高く評価した。

まぁ、色々とツッコミ所も多いわけですが、最大のツッコミ所である「委任状のハンコが偽物」の部分、「まともな「信任状」もない旅立ち(中)」を使って2つのスレッドをENJOY Koreaに立てて、ツッコんでみました。

■二年目の回答
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1880884


■二年目の回答 関連スレ
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1880896


これに関して、更に分かりやすくまとめて、他にもツッコんでみようかな、というのが今回の話。


で、取りあえず記事のせいで長くなったので、今日はここまで。(笑)