前回は、俵孫一の訓示の長さに飽きていたところへ「★ハーグ密使事件100周年」という面白い記事が引っかかり、その記事とENJOY Koreaに立てたスレの紹介という、実に手抜きのエントリーをお送りしました。(笑)

で、今日は前回の予告通り、「更に分かりやすくまとめて、他にもツッコんでみる」事を目標にお送りしたいと思います。
ちなみに、今回の記事は「ハーグ密使事件」のカテゴリーと、李泰鎮教授が折角また馬鹿を晒してくれているので、「バファリン作戦」のカテゴリーへのダブルエントリーとなっています。
同記事が二つ並んでいるのはそのためで、重複というわけでもありませんので宜しく。

それでは本題に入りましょう。
まずは、委任状に関する整理。

一昨年の6月17日のエントリーで、

ここで私が疑問に思っているのは、ハーグ密使の所持していた委任状の日付である。
大韓光武11年4月20日。
1907年4月20日である。
この時点で、李儁は兎も角として、北間島にいた李相卨(咼の上にト)、ロシア領内におり未だ名前の出てこない李瑋鐘が、委任状に名前を記載されている事になる。
条約書類発見と玉璽偽造事件を見てきた私などは、当然思ったりするわけである。

これ、本物の委任状ですか?(笑)

と書いた。
元々、同エントリーの1907年(明治40年)5月24日付『機密第6号』中、

今般同人等協議の末、元学部協弁李相卨(咼の上にト)なる者の北間島に在りて学校を私設し、子弟を教育しつつありしを当地に呼寄せ、更に謀議を凝らしたる結果、韓国の将来に関し、直接露国政府に向ひ嘆願する為め、委員簡派の議を決定し、前記李儁・李相卨(咼の上にト)及当地の富家車錫甫の子某の三名は、愈々去るに11日を以て当地出発、露都に向ひたる由に有之候。
の記述の時点で「誰が委任されたか」について疑われたわけですね。
ここで、前回の地図を見てもらうと更にイメージが浮かびやすいと思います。

ハーグ密使行程

ウラジオストックで合流した李相卨(咼の上にト)については前述の史料から疑わしく、サンクトペテルブルグで合流した李瑋鐘に至ってはあり得ないだろ。
どうやって連絡とってたんだよ。(笑)
という状況証拠による類推だったわけです。

さて、今度は前回の記事。
イ・ヤンジェ氏(イ・ジュン烈士殉国100周年記念事業推進委員会総務理事)曰く、

信任状に押された皇帝の印章である御璽が、本物ではないことは明らかだ。
皇帝のほかの親書と比べて見ると、印刻の字体が大きく異なり、印章を押したのではなく、筆で描かれたもので、にじんだ跡が見える
印刻専門家のチョン・ビョンレ氏(古岩篆刻芸術院院長)曰く、

“帝”の字は、上の部分の画の長さや間隔がそろっておらず、“璽”の字も真ん中の文字の切れ目がないことから見て、ほかの文書にある御璽とは完全に異なっている。
非常につたない実力で作成した模作に過ぎない
と断定しちゃうわけです。
これを受けて朝鮮日報も、

密使らは出国が迫った4月末まで、誰かが代わりに持ってくるはずの「印章だけが押された白紙の信任状」すら受け取れず、高宗はロシアから送られた招待状も密使らに渡すことができなかった。
とするわけですね。
そんな中、我等がイテジン(李泰鎮、李泰鎭)せんせい。

わたしが見ても信任状の御璽や手決に違和感が感じられる。
しかし、皇帝の命もないのに特使として活動することはできない。
そのため、信任状には高宗の意中が込められており、任務を口頭で伝え、後で書き入れるようにした委任状と見るべき
■二年目の回答」のpolalis氏の発言より。

「しかし、皇帝の命もないのに特使として活動することはできない。」…ここまでわかっていれば、もう少しなのにねぇ。
御璽が偽物でも、皇帝の命はあったとする李泰鎮せんせい。
勿論、そんな事を示す史料があるはずも無く、既に、絵合わせ状態の李泰鎮せんせい。
それでも、外交通商部で「日本侵略史」を講演したりする、ソウル大学国史学科のとても偉い李泰鎮せんせい。

同じく「■二年目の回答」から、jpn1_rok0氏の発言。

そう言えば、李泰鎮って、併合役に皇帝の璽がないことを不法の根拠としてなかったっけ?w
併合は皇帝の璽が無いから無効で、密使の委任状は璽が偽物でも皇帝の命はあったとする李泰鎮せんせい。
絵合わせ大好きな李泰鎮せんせい。
それでも、外交通商部で「日本侵略史」を講演したりする、ソウル大学国史学科のとても偉い李泰鎮せんせい。

続いて、同スレよりhitkot氏の発言。

♪またマスコミの都合でトリミング加工< `∀´>。w
これは、バファリン作戦の際の李泰鎮教授の回答14、「御'はもとは私のノート記録にはあったが、新聞のインターネト画像では切られそうです。」を当てこすった発言でしょう。(笑)

兎も角、hitkot氏の指摘通り委任状の冒頭の3行が削られています。
実はこの3行目が重要だったりするわけです。

まずは「擡頭」。
敬意を高めた表現で、対象となる偉い人の名前なんかが書かれる時に、普通の部分よりチョコンと飛び出る書き方。
勿論、自分が偉い人はやりません。

次いで、冒頭の「大皇帝勅日」。
「大皇帝が言いました」ですので、これまた高宗の書いたものでは無いわけです。

ってことで、本文も「誰か」が書いたもの、なわけですね。

で、勢い余って「手決(自筆署名)」にまで違和感を感じちゃう、流石ボクらの李泰鎮せんせい。
李泰鎮教授の言葉も勘案すると、次の通りになります。

ハーグ密使委任状3

先生!
高宗が関与した部分が一箇所も無くなります!(笑)


「信任状には高宗の意中が込められており、任務を口頭で伝え、後で書き入れるようにした委任状と見るべき」
先生!
これは委任状でも白紙委任状ですらなく、既にただの白い紙です!(笑)


それでも、外交通商部で「日本侵略史」を講演したりする、ソウル大学国史学科のとても偉い李泰鎮せんせい。
( ´H`)y-~~


僕らの李泰鎮教授の素敵さを満喫したところで、今日はここまで。



★ハーグ密使事件100周年(一)