果たして、当初の目的である「更に分かりやすくまとめ」る事が出来ているのか、非常に不安な昨今、如何お過ごしでしょうか?(笑)
前回は、李泰鎮せんせいいぢりで終わってしまいました。
あれだけいぢり甲斐のある素材も珍し・・・くは無いんですよね、あの国。(笑)

さて、今日は「提示されなかった委任状」についてのお話を。
オランダ国立文書保管所の担当者・ハイデブリンク氏曰く、

「3人がハーグで皇帝の信任状を提示したという記録はまったく存在しない」
ですね。

これについては、「■二年目の回答 関連スレ」の方でちょっとツッコみました。
まずは、一昨年の6月22日のエントリーの、1907年(明治40年)7月4日『来電第125号』から一部抜粋。

尚、同人等は韓帝の全権委任状を有すと謂ひ居れり。
まぁ、既に「李相卨(咼の上にト)は韓帝に謁見を遂げたる後」なんて嘘吐いてるわけですが、取りあえず「皇帝の全権委任状を持っているニダ!<#`Д´>」と。

続いて、一昨年の6月26日のエントリーの、1907年(明治40年)7月7日付『来電第57号』から一部抜粋。

海牙に於て、陛下の派遣委員は委任状を所持することを公言し、且新聞に依り日本の韓国に対する行動を悪意的に非難したる以上は、彼等が陛下より派遣せられたることは、世界の熟知する所なりとの事を明白に申込みたり。
前掲、1907年(明治40年)7月4日『来電第125号』に基づいての発言かも知れませんが、取りあえず委任状の所持を公言、と。

ついでに、★ハーグ密使事件100周年(一)の記事中より。

最近、オランダ・ライデン大のクン・ツィステル教授は、高麗大が主催した学術大会で、「当時、万国平和会議の副総裁だったドゥ・ボフォートが密使らと話を交した後、“本物の密使”との判断を下した」という趣旨の発言をした。
しかし、この際も信任状を示したわけではなかった。
これについて、やはりHDが吹っ飛んで休憩中のkimuraお兄さんのブログ「木村幽囚記」の中で、「< ヘイグ 特使は 列強の 目に どうに 映っただろうか?>」として取り上げられています。
ってことで、元記事である(連合ニュース6月13日)の機械語翻訳から抜粋。

ドボポトは朝鮮使節団の到着消息を聞いて ホテルで行って 彼らを 会った.
特使を 会った ドボポトの 一番目質問は"あなたたちが 朝鮮皇帝が 親しく送った謝絶が当たりなさい?"であった.

高宗の特使は 皇帝の勅令を持ってあると言ったし ドボポトは彼らが偽り密使がないという判断を下った.
しかし 使節団の活動に 大海は極めて懐疑的だった.
やはり、「皇帝の勅令を持ってある」と言ってるだけなんですね。
口だけ大将。(笑)

そして、前出の「< ヘイグ 特使は 列強の 目に どうに 映っただろうか?>」(連合ニュース6月13日)によれば、

李ジュンの 噴射( 憤死) わ 李ウィゾンの 積極的な 言論活動は ついに 主要 言論の 関心を 導いて 出すのに 成功した.
ということで、主要言論が関心を持ったも係わらず、委任状が提示された記録が無い。
そんな中、記事によれば1907年8月に突然ニューヨークの雑誌『インディペンデント』に掲載されるわけですよ。
何じゃそりゃ?と。(笑)

内容は前回の通り非常に疑わしい。
おまけに、現地で提示されない委任状って何ですか?と。(笑)

というわけで、再び一昨年の6月26日のエントリーの1907年(明治40年)7月7日付『来電第57号』から一部抜粋。

皇帝は急に、右は朕が与り知る所に非ずとの弁明せらるるも、本官は今日の事、最早虚言を弄して解決すべきに非ず。
この、「右は朕が与り知る所に非ず」って、存外マジだったんじゃね?と。(笑)

ってところで、今日は早めに。



★ハーグ密使事件100周年(一)
★ハーグ密使事件100周年(二)