以前エンコリで、韓国人ID:nominallyと朝鮮笞刑令で絡みました。
一応当該スレ掲示。
(注意:非常に重いため、パワーの無いマシンは落ちるかもしれません)
[資料] 朝鮮総督府の苔刑(笞刑) 制度 [702]
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1875578
苔刑(笞刑) ボロン(補論): 旧法の苔刑条項問題 [340]
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1876014

で、韓国ウォッチャーには割とお馴染みの「朝鮮笞刑令」なんですが、googleで「朝鮮笞刑令」を検索しても、まともな解説をしているサイトが1つも無い。
ってことで、ちょっと整理してみましょうかね、と。
傲慢?(笑)

さて、どっから話すか非常に迷うんですが、まずは基本から。
そもそも笞刑というのは、律令の時代から所謂「笞杖徒流死」の5刑の1つとして記される由緒ある刑罰なわけです。
そして李氏朝鮮時代には、明の法典『大明律』が基本的に援用されてたんですね。
まぁ、この辺は皆さん御承知の部分かと。

で、甲午改革期。
稀にエンコリで「甲午改革で笞刑も廃止されたの!<#`A´>」なんて韓国人も居るわけですが、勿論そんな筈もなく。
1894年(明治27年・光緖20年・開国50)12月16日(陽暦1895年1月11日)の高宗実録より。

法務大臣奏“地方裁判外法務衙門一切裁判權行於義禁司而該司改名以法務衙門權設裁判所諸般裁判竝行於該所自本衙裁判及用刑等事一切勿施何如 又奏“凡刑具中酷刑之具犯死罪外竝勿許而刑則只用笞囚則只用枷鎖如盜賊及傷人衝火等罪用枷如問招時無論輕重罪呑吐不承款者用笞輕罪及老弱則勿許枷鎖若有逃逸之慮者不在此限京外各營各邑各鎭用刑之地一遵此例無或異同何如”竝允之
ってことで、笞刑が無くなったわけじゃない。
ついでに言えば、1895年(明治28年・光緖21年)5月26日(陽暦1895年6月18日)に『勅令第124号 国内郵遞規則』というのが定められていまして、しっかりとその罰則規定にも10~100回の笞刑の規定があるわけで。

国内郵遞規則7国内郵遞規則6
(各クリックで拡大)
(開国504年閏5月28日『官報号外』より)

この後も1896年(明治29年・建陽元年)1月24日『勅令第11号 陸軍懲罰令』などで、個別の法令の条文に笞刑の規定が見られるんですね。

続いては露館播遷期。
1896年(明治29年・建陽元年)4月1日には笞刑のほとんどが100回という、『法律第2号 賊盜処断例』が出されます。
まぁ、この辺までは割とどうでも良い話。(笑)

その翌週の1896年(明治29年・建陽元年)4月7日。
『法律第3号 刑律名例』が出されます。
まずは、画像で全文を。

刑律名例2刑律名例1
刑律名例3
(各クリックで拡大)

相変わらず漢字ハングル混じり文は読めません。(笑)
ま、取りあえず第1条で刑罰は死刑、流刑、役刑(懲役刑)、笞刑の4種類に分けられ、 その内笞刑は第5条で10~100回の10段階に分けられたんですね。
あと笞刑に関係するのが第20条~第23条。

第20条で、懲役刑1年以上に該当する犯人は笞刑を併施。
第21条が、笞刑は軽い罪にのみ施行。
第22条が、倫常風化以外は、笞刑は収贖できる。
この「倫常風化」が良く分からないけど、不貞罪?
強姦罪?

んで「収贖」の方は、実刑の代わりにお金を納める事。
律令的な法典だと、割と普通にあるんじゃないかな?
その額については第23条で、笞1回につき銅銭1両4銭と規定されています。
この時はまだ、笞刑メインで罰金補助の形ですね。

「笞杖徒流死」のうち、徒刑は役刑に代わったのかな?
んで、杖刑は無くなったといるんで、一応刑罰整理って感じでしょうね。
まぁ、『大明律』なんかとも併用されてはいるようですけど。

そして光武改革期(と表現させてもらう事にする)。
1900年(明治33年・光武4年)1月23日には『法律第3号 鐵道事項犯罪人處斷例』。
1900年(明治33年・光武4年)9月4日の『法律第5号 陸軍法律』等で、条文中に笞刑の規定が存在する法律が見られます。

そして、いよいよ1905年(明治38年・光武9年)2月29日に『法律第2号 刑法』、所謂「刑法大全」が出されることになるわけです。


ってところで、今日はここまで。