最近、法律関係の話ばっかりで、飽きません?
いや、書いてるお前が言うなって話ですが。(笑)

ってことで、休憩というわけでは無いですが、併合後の刑法大全に基づく笞刑の適用事例について、少し見てみたいと思います。
史料は、アジア歴史資料センターの『密大日記 明治44年/1、拷訊事件処分に関する件報告(レファレンスコード:C03023023500)』より。
朝鮮駐箚憲兵隊司令官明石元二郎から、当時既に朝鮮総督だった陸軍大臣寺内正毅への文書ですね。
勿論、名義の話だけで、文書自体は陸軍省が受領しています。
1911年(明治44年)8月19日付『朝憲密常第44号』から。

拷訊事件処分に関する件報告
明治44年8月19日
朝鮮駐箚憲兵隊司令官 明石元二郎
陸軍大臣伯爵 寺内正毅 殿

刑事被告人拷訊者並に監督責任者処分に関し、別紙の通報告有之候に付、及報告候也。

追て、平壌憲兵隊長より監督不行届の廉を以て進退伺出の処、今回に限り本職に於て特に将来を戒め置候に付申添候。
朝鮮半島において憲兵が行政・司法警察も取り扱うようになった話は、一昨年の10月23日のエントリーでも若干取り上げましたが、1906年(明治39年)2月8日の勅令第18号『韓国ニ駐箚スル憲兵行政警察及司法警察ニ関スル件(レファレンスコード:A03020662000)』を嚆矢とするようです。

続いて同年10月29日には勅令第278号『憲兵條例中改正(レファレンスコード:A03020688000)』が出され、憲兵条例で取り扱う事となり、その附則によって勅令第18号が廃止。
更に1907年(明治40年)10月7日の勅令第322号『憲兵條例中改正(レファレンスコード:A03020733700)』によって憲兵条例から取り除かれ、同勅令第323号『韓国ニ駐箚スル憲兵ニ関スル件(レファレンスコード:A03020733800)』が公布されます。
ここで、業務は治安に関する件と軍事警察となり、それまでの行政・司法警察を取り扱う権限が縮小されています。

その後、併合直前の1910年(明治43年)6月29日の勅令第296号『統監府警察官署官制(レファレンスコード:A03020860900)』、勅令第302号『統監府警務総長、警務部長、警視、警部ノ任用及分限ニ関スル件(レファレンスコード:A03020861500)』によって、警務総長は韓国駐箚憲兵の長が、警務部長は各道憲兵の長が兼任する事となり、警視にはその他憲兵将校が、警部は憲兵准士官がなる事ができるようになります。
そして、併合後の1910年(明治43年)9月10日の勅令第343号『朝鮮駐箚憲兵条例(レファレンスコード:A03020865600)』によって、憲兵在職のまま警察官の職務が執行できるようになるという経緯を辿ったようです。

うー、やっぱり法令の話になってる・・・。_| ̄|○

兎も角、刑事被告人に拷問した者と、その者の監督責任者の処分について、別紙のとおり報告があったので報告。
追って、平壌憲兵隊長から、監督不行き届きということで進退伺いが出されていましたが、今回に限り明石が戒告処分にしておいたので申し添えます、と。

んじゃ、続き。

平憲密常第30号 朝憲庶親受第293号

被告人拷訊関係者処分の件平壌憲兵隊長報告。
成川分隊
免訴 憲兵上等兵 吉見森蔵
免訴 福田鹿太郎
免訴 仝 補助員 金相翊
免訴 張九洪
笞60(刑法大全第182条に依り収贖) 呉善柱
笞60仝 金基珍
笞50仝 金■俊
右者、本年2月強盗被告人拷訊事件に関し、刑事訴追に附し、朝鮮駐箚軍陸軍軍法会議に於て審理中の処、8月10日各頭書の通判決相成候趣、通牒有之候。
就ては、当該所属分隊長に対し本日別紙の言渡書の通り懲罰処分に附し候間、此段及報告候也。

追て、参考軍法会議判決謄本寫別紙添付候なり。

言渡書
成川憲兵分隊長
陸軍憲兵中尉 古谷堅城

2月2日、分隊に於て強盗犯嫌疑者を取調べしたる際、其の部下伍長代理上等兵以下が拷問を加へたるに、其の当時之を知悉せず、又斯る行為を為さしめしは教育及監督不行届の致す処とす。
仍て軽謹慎5日に処す。

明治44年8月15日
憲兵隊長 杉村勇次郎
この「憲兵補助員」というのは、元々1908年(明治41年)6月に韓国政府の軍部令第3号として出された物に基づくらしい。
らしいというのは、勿論現物を入手できていないから。
で、これは韓国軍解散に大元があるらしい。
韓国軍の解散によって旧軍人が義兵になり運動が熾烈化するのは、韓国ヲチャにとっては周知なわけだけど、それに対する人員不足・言語的問題への対処と、職を失っている旧軍人への就職面という、言わば両面作戦な法令だったわけです。
勿論人手不足と言語面の問題は短期間で解消される筈も無く、1910年(明治43年)6月29日勅令第301号『明治40年勅令第323号中改正(レファレンスコード:A03020861400)』で、改めて日本の勅令として憲兵補助員制度が成立するわけです。

で、日本人憲兵2名と朝鮮人憲兵補助員2名が免訴で、朝鮮人憲兵補助員3名が笞刑に処され、8月14日のエントリーで見た刑法大全第182条に基づいて収贖したという事ですね。
笞1回につき10銭なので、6円と5円かな?
憲兵補助員の給料表で一番下の8号給で月額7円ですので、約1ヶ月弱の給料分ですね。

で、1911年(明治44年)2月の強盗被告人拷問事件について刑事訴追し、朝鮮駐箚軍陸軍軍法会議で審理。
8月10日に判決が出たことから、当該所属の分隊長に対して懲罰処分、と。

部下が拷問したのを知らず、又そうした行為が行われたのは、教育と監督の不行き届きであるとして、軽謹慎5日。
朝鮮人3人が笞刑で収贖、日本人・朝鮮人2名ずつが免訴、その分隊長は軽謹慎5日、隊長は進退伺いの上戒告処分。
拷問したのに罪が軽い、悪辣な日帝ですね。(笑)


途中ですが、今日はここまで。



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