ここ2ヶ月で4日分の史料しか扱ってない・・・。
そりゃ、話進まなくて飽きるわなぁ、と。(笑)

< 2008年6月のエントリー >
先月から2日分しか進んでなくても、内政改革の項目が閣議決定されたり、かなり重要な話はあるんですが。
如何せん、史料が長い。(笑)

日清戦争開戦まで(四十四)

日本にとって、というか実は朝鮮にとっても重要だったんじゃねぇの?という、京城・釜山間の電線架設の話から始まります。
次いで、改革勧告に関連する電報。
最後に、清国1回拒否ったけど、朝鮮領土保全の相互尊重と、騒擾防止を基本とした申し入れがあれれば、日本は清国の提案を受け入れるかもよ、と言っても良いという小村への電訓。
いずれも、地味ながら重要な話。


日清戦争開戦まで(四十五)

改革勧告の閣議決定について。
別に、善政しろと言ってるわけではなく。
少なくとも「独立国」としての体裁を守り、他国との交易に最低限必要な事ぐらいはしろよっていう勧告でしょ?と。
( ´H`)y-~~


日清戦争開戦まで(四十六)

改革勧告の各項目の詳細についての前編。
外国交渉云々ってのは、外交当局者の話がコロコロ変わる事について。
現代韓国ですら、米韓FTAなんかを見ると非常に怪しく。(笑)
裁判云々については、「延て外交上事端を滋すに至る故に」。
会計出納と兵制警察云々については、東学党の乱対策と独立国の体裁整えろって事かな。


日清戦争開戦まで(四十七)

改革勧告の各項目の詳細についての後編。
幣制云々については、「貿易上の不便」。
次の交通云々と合わせて、商業基盤を整備しろって事でしょうね。
最後に、陸奥の『蹇蹇録』の記述に対する巷間の説に対する疑義提示を。


日清戦争開戦まで(四十八)

前段は、改革勧告と同時に要求する事項について。
清国人と同等の待遇要求と、朝鮮人の海外留学と、国事犯の特赦について。
後段は、『日清戦争開戦まで(四十二)』で見た聶士成の布告の真偽照会に対する袁世凱の回答について。
良く分かりません、と。(笑)


日清戦争開戦まで(四十九)

天津の神尾少佐から大鳥公使への、清国というか李鴻章の動きに対する報告。
やる気の李鴻章と、出兵許可しない中央政府。
ここまで何度か清国の援軍が送られる話が出ていたのに、実際にはまだ送られてないのは、そういう事情らしい。


日清戦争開戦まで(五十)

長文の対韓政策についての具申を出した翌日、更に追加で具申する京城領事内田定槌。
真面目というか、その上に「生」が付きそうな勢い。(笑)
もう一つは、混成旅団報告。
内容的には、第二次輸送兵の配置について。


日清戦争開戦まで(五十一)

大鳥から陸奥への、朝鮮属邦説の排斥と内政改革断行の手続きに関する上申についてのその1。
情報の遅延・不足・意見の温度差等による錯誤。
大鳥も「是迄貴我の電信にては意味充分に相通せざりし廉をも判明」な筈なんですがね。
まぁ、大鳥や陸奥も俯瞰して見るわけにも行かないわけで。


日清戦争開戦まで(五十二)

大鳥から陸奥への、朝鮮属邦説の排斥と内政改革断行の手続きに関する上申についてのその2。
なんか大鳥、内政改革に燃えちゃってるんですが・・・。(笑)
つか、開戦に向けても盛り上がっちゃってる雰囲気。


日清戦争開戦まで(五十三)

大鳥から陸奥への、朝鮮属邦説の排斥と内政改革断行の手続きに関する上申についてのその3。
独立属邦問題と内政改革問題の具体的実施手順について。
割と強引。


日清戦争開戦まで(五十四)

大鳥から陸奥への、朝鮮属邦説の排斥と内政改革断行の手続きに関する上申についての別紙。
本文の上申の方で述べてた通りの内容で、特筆すべき点は特になし。


日清戦争開戦まで(五十五)

取り上げてなかった史料、『仁川港局外中立ノ件』について。
取りこぼしの部分だけで終わっちゃった。(笑)
簡単にまとめると、日本軍が仁川到着して清国公使が抗議→租界内への日本軍の駐留に対して英国副領事が苦情申し立て→清国軍艦の到着や日本軍の京城移動等を見て、居留地で臨時会を開いて仁川を局外地とする議決→京城使臣へ提出予定→『日清戦争開戦まで(二十八)』の1894年(明治27年)6月24日付『機密諸第8号』で対応協議という流れ。


弥縫策と決行の方針

「決行の方針」=「閔妃暗殺」って、倫理飛躍しすぎ~。
「決行の方針」云々の10日後には、閔妃の懐柔の話が閣議に出されてるという、熊本大の小松くんのお粗末な史料調査でしたとさ、チャンチャン。


つうか、アジ歴の目録は相変わらず酷い。(笑)
( ´H`)y-~~