飽きた飽きたと言いながら、結構頑張ってやってるなぁ、と自画自賛。(笑)
もう少し早く話が進展しないかなぁとは思ってるんですが。

< 2008年7月のエントリー >
もう少し、日清戦争開戦前の話では無い話も盛り込んでいきたい処なんですが、如何せん日清戦争関連の史料をまとめる方に手一杯で、他の史料を読む時間も無く。
休日は休日で家族サービスしたりですしぃ。
と、誰に向けてるのかも分からない言い訳をしてみたり。(笑)

朝鮮人ノ氏ノ設定ニ伴フ戸籍事務取扱方ニ関スル件

2年も前の宿題。(笑)
巷間、総督府の強制により後半に「幾何級数的」に増加したと言われる、その統計数字について、「全て内地人式の創氏なのか」という点と、「戸主が届け出を行った時点でのカウントでは無いのではないか」という疑問が。


日清戦争開戦まで(五十六)

仁川港中立問題に関する史料。
居留地って、租借地ではないだろうから朝鮮の主権が及ぶ地域なのかな?
だから、特別に中立にしてよ、という話でしょうねぇ。


日清戦争開戦まで(五十七)

前半の上海港中立問題や、後半の元山の上野領事からの文書は、そんなに重要な話では無いですね。
It does not seem politic at present to attempt expulsion by force of Chinese soldiers at 牙山.」については、杉村の在韓苦心録の「乍去在牙山ノ清兵退去セシムルコトハ、現下ノ政略ニ背ク」だと、「by forceが抜けてる」とか「politic"s"じゃなくてpolitic」なんて違いがありまう。


日清戦争開戦まで(五十八)

清国側の動きに関する史料と、ロシアの動き、っつうか在清国ロシア公使の動きに関する史料。
長い割に、話としては全く進んでない。(笑)


日清戦争開戦まで(五十九)

牙山の聶の布告に関する、李鴻章との往復文書と、日本兵の入京差し止めに対する朝鮮政府との往復文書。
前半は話が前進しておらず、後半は割とリンク集。(笑)


日清戦争開戦まで(六十)

在朝鮮公使館側の発案による属邦問題に対する言及の話と、京釜線の電信線架設についての話と、上海港中立問題についての話。
属邦問題に対する言及の話は、何度も出てくるので新鮮味に欠けますねぇ・・・。


日清戦争開戦まで(六十一)

上海の中立問題と、日本の内政改革要求の補足について。
日本の内政改革要求の補足である、陸奥から大鳥への内信は、これから重要になってくるんじゃないかな。
要チェック。


日清戦争開戦まで(六十二)

朝鮮駐留中の清国兵の動きについての照会と、属邦問題に関する返事の督促。
後はロシア本国の動きに関する史料。
「お前、俺に東学党の乱は鎮圧したって言ってたけどさぁ、本当は掃討できないから清国にまた頼んで剿滅しようとしてんじゃね?」ってのは、割と悪辣な照会。(笑)


日清戦争開戦まで(六十三)

イギリスとアメリカの動きについて。
China is suzerain of Corea.」という李鴻章の声明や、「Minister for Foreign Affairs requested me to induce you to communication of your demands on China and Corea」っていうイギリス政府の要求など、英文史料の割にはかなり面白いというか興味深い内容。


日清戦争開戦まで(六十四)

前半部分がロシア本国の動き。
ポイントは、後半部分の「If they answer that they recognize we shall immediately besiege royal palace and demand explanation and apology of their grave violation of article I 江華 treaty」と、その返事の「I received your teregram 12 before resorting to violent measure wait for further instruction.」。
どれが何に対する返事なのかは、押さえて貰いたいところ。


日清戦争開戦まで(六十五)

旅団報告と混成旅団の参謀長岡外史から川上操六中将への私報。
旅団報告の臨検チックな話と、京城龍山間の軍用電線架設の話以外は、そんなに重要ではなさげ。
後は、京城入りしたわけじゃなく、龍山布陣ってのもポイントなのかなぁ。


日清戦争開戦まで(六十六)

混成旅団の参謀長岡外史から川上操六中将への私報の続き。
朝鮮側の妨害工作の数々は結構面白い。
後は、水原遷都の話と清国軍による日本人抑留の話も、今後チェックしときたいポイント。
まぁ、これっきりな可能性もあるわけですが。(笑)


日清戦争開戦まで(六十七)

混成旅団の参謀長岡外史から川上操六中将への私報の続きと、仁川の能勢領事から大鳥への報告。
軍としては、清国軍に京城方面を攻撃させて、それを迎撃するスタイルをとりたいようで。
ただ、軍略としてあれこれ考えて、日本軍有利な状況を作り出そうという所までは兎も角、実行に移す前に2月4日のエントリーの大島への訓示くらいは守れや、と。


内政改革要求の話あたりから、ゆっくりではありますが色々な事があちこちで起きてます。
メモっておかないと、今後ツッコんだり補足したりするの、忘れそう。(笑)