何となく展開が早くなった気がするのは、気のせいなんだろうか。
細かい報告があまりなくて、イギリス・ロシアの介入中心の史料が多く、反復する部分も多かったので、楽できたせいかも知れないなぁ・・・。(笑)

< 2008年8月のエントリー >
イギリスとロシアの介入とそれに対する応答ってのは、中間部の山場じゃないかなぁ、と。
まぁ、日数的に結構交渉続くんですが。(笑)

日清戦争開戦まで(六十八)

属邦問題に関する、大鳥と朝鮮政府の往復文書が中心のエントリー。
何で「いや、独立自主の国だよ。」って即答できないのかが不思議。(笑)


日清戦争開戦まで(六十九)

情報不足のため、割とワンダーランドな元山は置いておいて、清国内の動きがメインですね。
特に、在清イギリス公使から談判開始条件の話があったのは重要。
5月12日のエントリーの条件で1回日本側はオッケー出してるわけですが、日本が朝鮮自主国論を唱えるのを止めること及び撤兵という、二つの追加条件が。
小村は、撤兵に対しては「撤兵は今後の談判を促進しねーし、朝鮮変乱の再発の憂慮もあんだろ」と回答。


日清戦争開戦まで(七十)

いよいよ本格的なロシアの介入。
ヒトロヴォの勧告と、それに対する拒否の意向を在ロシア西公使へ伝える電信についてのエントリー。
この、ヒトロヴォの勧告から結構事態が激しく動き始めます。


日清戦争開戦まで(七十一)

ヒトロヴォの勧告に対する拒否意向について、在イギリス青木公使に伝えられると共に、イギリスによる介入の話も出てきます。
今度は、属邦問題に言及すんな、と。
これに対して陸奥は、色々矛盾してるけど、明確に説明してくれんなら受けるよと返事。


日清戦争開戦まで(七十二)

朝鮮政府が自主国である事を確証した旨の電信が、大鳥から出されます。
もう一つの史料は、ワンダーランドな元山からの報告。


日清戦争開戦まで(七十三)

清国軍南下説について、朝鮮政府とのやり取りの史料が2件。
後は、聶士成の布告について「マジだって」という、袁世凱の回答について。


日清戦争開戦まで(七十四)

ヒトロヴォの勧告に対する拒否意向とイギリスの介入の報告と、それに付随しての大鳥公使への訓令が行われます。
過激な事すんなよ、と。


日清戦争開戦まで(七十五)

これまたヒトロヴォの勧告に対する拒否意向とイギリスの介入について、今度は北京の小村への電信がメイン。
イギリス公使にはちゃんと説明してくれれば受理するよって言っといて、と。
もう一つ、李鴻章が朝鮮政府に「日本の言う事聞くなよ」という電信を送ったっつう話も面白い。


日清戦争開戦まで(七十六)

ロシアの勧告に対する拒否が閣議決定されています。
後は、朝鮮の独立・属邦問題に関する史料となっています。


日清戦争開戦まで(七十七)

天津の荒川領事から、李鴻章とカシニーを中心とした報告についてのエントリー。
特別触れておくような事は特に無い気も・・・。


日清戦争開戦まで(七十八)

小村経由でイギリス公使から、仲裁条件に関して「朝鮮の独立」じゃなくて「朝鮮の保全」だという話が。
つうか、1回OK出した条件に更に追加て。(笑)
もう一つの史料は、ロシアの勧告に対する正式拒否について、在ロシア青木公使への電報。


日清戦争開戦まで(七十九)

ロシアの勧告に対する正式拒否について、在ロンドン青木公使・在京城大鳥公使・在北京小村臨時代理公使・在上海大越領事への電報。
中身は在ロシア青木公使へのものとほぼ同じ。


日清戦争開戦まで(八十)

陸奥の方針に対して、不満げな大鳥公使。
つうか、「諸外国の介入に逆らう強い方針を採る事を心から望む」ってなぁ・・・。


んー、全体とおして見たら、日付は兎も角、話自体はあんまり進んでないのかもなぁ・・・。(笑)