今日は前置き無しで。
アジア歴史資料センターの『日清戦役ノ際清国上海及韓国仁川港二於ケル各国居留地局外中立ノ儀二付交渉一件/2.仁川港局外中立ノ件(レファレンスコード:B07091143600)』を見ていきます。
26画像目。
大鳥から陸奥への、1894年(明治27年)7月11日付『機密第123号』より。

仁川港をして兵禍を免がれしむる件

清国兵入韓以来、我兵も亦追々京城仁川に渡来致候処、今回事件の成行如何によりては、仁川港の安寧に関係する処少なからざるべきを以て、先年清仏葛藤の際上海を中立地となしたる例により、該港を中立地とすべき旨、同港在留外国人等中に主張致居候もの有之候処、遂に同港英副領事より当地総領事代理へ申出て、同総領事より当時筆頭米公使へ、本件に付使臣会議開会の義申出でたる趣を以て、同公使より本官へ移牒致越候。
然るに、従来当地使臣会議には袁世凱氏出席不致例なれども、本件の如きは同官は勿論、朝鮮政府よりも督弁臨席致候方可然と存じ、本官より駐剳使臣一切■同相催すべき旨督弁へ注意致候処、去る7日統署に集会可致旨申来候間、同日松井書記官並に国分書記生を帯同し統署に赴き候処、別紙議事録の通り要領を得ず、更に10日を以て集会致すべき事にて当日散会致候。
然るに、同日午後3時よりは当国内政改革委員と会議可致積りに有之、同使臣会議へは臨席難致候に付、兼て第20号電信を以て申進候通り、別紙覚書の事項に同意を得るにあらざれば、本件は断然同意難致旨、書面を以て督弁迄申送り候。
然るに、天津よりウェーバー氏帰韓の電報ありたるが為め、俄臨時代理公使並に仏領事共、同氏の帰来を待備へ当日統署に出席致さず、旁他使臣共ウエーバー氏帰来の後開会候方可然との考に付、更に来る16日会同致事にて当日散会致したる趣に有之候。
■今日迄の成行具申及候也。

追て、昨10日の会議録督弁より送越候間、御参考迄に別紙丙号の通り写取り■進候。
其内、本官の申込と不同処並に不都合の点は、次会に於て訂正可為致積りに有之候。
何度か出てきた仁川港中立問題ですが、仁川のイギリス副領事から京城のイギリス総領事代理、イギリス総領事代理から使臣筆頭のアメリカ公使へ、仁川港中立問題に関する使臣会議を開こうという申し出があったらしく、アメリカ公使から大鳥へ使臣会議開催の通知が来た、と。

でも、これまでの使臣会議は袁世凱が出ないのが通例だったけど、今回のような案件は袁世凱や朝鮮の督弁も臨席する必要があるんじゃね?ってことで、大鳥から督弁へ全部の使臣集めて会議すべきじゃね?と言っておいたら、7月7日に統署で集会する事を言ってきたわけです。

で、松井書記官と国分書記生を連れて統署へ行くと、別紙のとおり要領を得ず、結局7月10日にもう一回集まるべしって事で、当日は散会しちゃった、と。

ただ、その7月10日は午後3時から内政改革委員と会議するつもりだったんで、使臣会議は欠席。
で、10月13日のエントリーの1894年(明治27年)7月8日発『電受第391号』で言ったとおり、別紙覚書の事項に同意を得られなければ同意できない旨を、書面で督弁に送っておいた。

しかし、天津からウェベルが帰ってくるという電報があったため、ロシアの臨時代理公使とフランス領事とかは、ウェベルが帰ってくるのを待って使臣会議に出席せず、他の使臣もウェベルが帰ってきてからにするべって事で、7月16日に集まることにして散会したようだ、と。

で、これに別紙がついています。
まずは、先ほどの1894年(明治27年)7月11日付『機密第123号』で「議事録」と言われてたもの。
28画像目からの、別紙甲号。

明治27年7月7日午後3時
統理衙門会議録

出席員
督弁、日本公使、俄臨時代理公使、英総領事代理、独領事、仏理事署務代理、清国駐在官

趙督弁、開会の手始として、本日の会議は去る5日、日本公使の来翰に基き各位の来集を煩したる旨を述べ、且つ本日は我が政府顧問官李善得及具礼(グレートハウス)を出席せしむ可き旨を述べ、次て大鳥公使に向ひ、何か御意見あれば御発言ありたしと云へり。

大鳥曰く、本会たるや、始め英総領事代理の発意に出でたるものなれば、同官始め其他諸君に於て御意見あれば発言ありたし。
本官は、今別に発言することなし。

英総領事代理
本日会議の目的は、仁義公道に基き稍確定せる万国公法中「ニュートウリゼーション」の規則を当国に適用するにあり。
今本会議出席の各位は、欧州并に東洋の各強国を代表せらるるに付ては、諸君の同意して確定したるものは必ず実際に行はるるものなるを以て、本官は充分諸君の討議を尽されんことを希望す。
然れども、今本件の細論に入るに先だち、本官は外務督弁閣下に向って希望するものあり。
閣下が本官に送られたる公文によれば、各国政府は兵を当国に派したり云々と記載あれども、日本及清国を除くの外、他の諸国は曽て一兵だも当国に差送りたることなし。
依て、議事に入るに先だち本文を修正ありたし云々、長々と弁し去りたり。

此時督弁は、其照会案を持来るべき旨傍の官吏に命じたれども容易に見当らず、其内俄公使より督弁に送りたる啓文ありしに付、之に依て派兵の文字を取調べたるに、「派兵艦」とあるべきを寫字の誤りにて、英館への照会には艦の一字を脱したるが為め単に派兵とありしこと相分り候に付、英総領事代理も大に力の抜けたる様子なりしが

兵艦の艦の字を脱したりとするも、本官は猶此に向て各位の注意を促さざるを得ず。
本官の見る所にては、英政府は素より各国政府とても決して兵艦を派したるに非ずと信ずる而已ならず、兵艦の仁川に来りたることは、清国及日本兵の来りたると何等の関係あるにあらず、単に平和の際各国の開港場に往来し、交誼友睦の意を其国に表するの趣意に出でたることなれば、此意を督弁閣下に於ても充分に了承ありたし。
右に付、俄・独の使臣も略ほ仝意を表する旨内々の談話ありしも、別に立て演説する■することなし。
此時、袁世凱は立て

兵艦派遣云々のことは本日の議事と何等の関係なく、本日会議の目的は、将来当国に或は来ることあるべき清国兵と日本兵と或は衝突するやも難計に付、其際を予期して萬一の準備をなさんとするに外ならざれば、此意を以て討議せられんことを希望す。
且つ本官は、諸君に向て目下南方にある清兵は、仁川港に対し何等危険を与へざる旨を声明することを憚からざる可し。
と述べたる後は、唯数十分を経過し、督弁には殆んど為す所を知らず、■然たる様子に付き具礼は此間に奔走し、右は別に本日会議の目的と大関係なければ、大概に看過し、更に必要の発議提出すべき様英総領事代理に注意し、俄臨時代理公使は米公使に勧めて決議案を提出せしめつつありし処、遂に米公使は立て、

本日会議に上るべき問題は、頗る重要にして熟考を要するものなれば、本日は一先づ左の趣意にて散会し、追而し明後日にても更に会同しては如何。

Resolved that it is the sense of this meeting that all foreign settlements in Corea and all places open by treaty to foreiners for trade and residence including Seoul and the road from it to chemnlpo should be neutral ground enjoying immunity from military accupation and warlike operations.

と発言し、俄臨時代理公使之に賛成し、袁世凱氏は右発議案を各開港市場、京仁間の道路及び朝鮮政府の指定する場所と修正したき旨述べたるに、大鳥公使は

本日は仁川港をして可成兵禍の難を避けしむる為めに議事を開きたるに、今議論の成行を見るに独り仁川港而已ならず、各開港場其他に迄も之を及ぼさんとするに至りては実に案外なり。
斯くては、事甚だ重大にして、本官は政府に伺ひたる上ならでは、茲に何等の意見を陳述することを得ず。
と述べたる所、何れも少しく出し抜かれたる様子にて、大鳥公使の言は尤もなりとて多くは之に賛成を表し、米公使は右の決議案を取消し、更に次回会仝の節は、仁川港に関してのみ討議せんことに修正案を提出したる処、何れも之に同意し、次の火曜日午後3時を以て更に集会することに決して、当日の議事を散ぜり。
時に午後6時頃なりし。
話の中身自体がgdgdなんで、詳しい部分はやらないでおきます。
32画像目からの別紙乙号の方も省略。
風邪がまだ長引いてて、あんまり考えたくないってのは無・・・くもないかもしれない。(笑)
まぁ、中身的にも冒頭の1894年(明治27年)7月11日付『機密第123号』で概要が話されてるとおり、特に取り上げるような内容でもないし。

簡単に言えば、イギリス総領事代理が朝鮮政府の出した会議通知に文句つけて、アメリカ公使は決議案を作る。
そんな中で大鳥は、「そんなん俺が決める権限あるはずねぇーだろ。( ´H`)y-~~ プハー」。
ってことで、10日にまた集会することになった、と。

つうか、危うく仁川港だけじゃなく、他の開港場等も中立になるかも知れなかったんですねぇ・・・。


ってところで、今日はここまで。



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